Shpfiveのgooブログ

主にネットでの過去投稿をまとめたものです

あるチベット在住の方のネット投稿を引用します(2)

2017-07-17 19:29:27 | 国際情勢
Q&AサイトであるYahoo!知恵袋にチベット在住の方が参加しています。

その方のチベットについての肌身に感じたリアルな考察が知恵ノートという形で投稿されていました。

が、この度の知恵ノート廃止という知恵袋運営の判断により、この貴重な投稿が見られなくなってしまうのは損失であると個人的に思い、ご本人の承諾を得た上で、勝手ながら私のブログに引用させていただくことにしました。

以下をお読みいただいた上で、特にチベット問題に関心のある方にご判断願えればと思います。

第二弾です。

チベットの問題 その2(文盲および半文盲について)

文盲および半文盲について

 2010年に青海省のチベット族高校生たちが、中国語教育の強化に反対するデモを行いましたが、この時彼らはデモの呼びかけや相談に、携帯メールを利用しました。

ここで「あれ?」と思った方はどれくらいいるでしょうか?

そう、彼らはこのデモの呼びかけのために「中国語」を利用しましたが、大勢のチベット人は中国語が分からないためにこのメールが読めませんし、例えこのメールを受信したとしても、誰かに内容を聞かなければいけなかったのです。

このようにチベット問題は多くのジレンマを抱えており、だからこそ「問題」だと言えます。
                           
                          *

 多くの日本人は、日本語以外は文盲ではないかと思いますが、だからと言ってそれで困ることもないでしょう。

 前回「その1」で、戸籍のない子供たちについて少し触れましたが、彼らが学校へ行けないというのは正確ではありません。私の知人達の中にも戸籍はなかったけれども学校へ行った人たちは何人もいます(注:今現在は戸籍がありますし、小学校までですが)。

 では彼らは文盲ではないねと言えばその通りなのですが、彼らはチベット語でしか教育を受けていないので、中国語の読み書きができません。だから、戸籍(戸口簿)の記載は中国語で行われますが(身分証は両言語)、それが読めないので、前回で取り上げたような問題も起こります。
 
 ここではたと疑問が起こります。中国政府は識字率(文盲率)を発表していますが、チベット人たちの中には、上記したようにチベット語しか読めない人たちもいれば、漢字は読めるがチベット語はまともに読めない人たちもいる中で、一体誰を指して文盲と言っているのかと。正解は、明確ではないといったところでしょう。

 就学については、戸籍の有無よりも、元々その地域に学校が無かったり、親の考えが大きな比重を占めているように思います。学校へ行くよりも家畜の世話や畑仕事を手伝ってもらいたいと考える親もいるでしょう。ですから、どうしても女の子の就学率の方が下がってしまいます。

 
 私がお役所関係に出掛けて行くとちょくちょく、読み書きができないので代わりに申請書を書いてくれや、代わりにサインをしてくれとお願いされます。 
 申請書については、私も同じように言葉の問題があると言って断りますが、その人のサインについては快く引き受けます。でも、もはやサインの意味をなしてはいません。

 いくら読み書きができないと言えども、本当は自分の名前を形として覚えている人は多く、書けないことはありませんが、彼らは自分でサインをしたがりません。何故か?
それは、1.書くのが遅い。 2.書き順がめちゃくちゃ。 この為に担当者から文盲だとばれてしまい、恥ずかしく感じるからです。
前回は名前と生年月日しか取り上げませんでしたが、戸口簿には学歴欄もあり、学校へ行ったことが無くても、「小卒」と記載された人は大勢います。それが嘘であることもばれてしまいます。

 私もこちらで契約書を作りサインをしてもらうことがありますが、読めない人にはちゃんと契約内容を説明し、もちろん一切のごまかしはありませんが、どうしても後ろめたい気持ちになってしまいます。

ロシア人の靖国神社観について

2017-07-17 19:19:43 | 国際情勢
かつてロシア外務省は日本の安倍首相の靖国神社参拝に遺憾の念を表しています。
https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_12_27/126531624/

>外務省のアレクサンドル・ルカシェヴィチ報道官は26日、「靖国参拝が第二次世界大戦で日本の侵略を受けた国々の国民に深刻に受け止められることを、東京は知悉していた筈だ」と指摘。「世界が共有している第二次世界大戦の結果に関する評価と異なる日本社会の傾向性を拡張しようとする一部の勢力の試みが加速していることが背景にあるため、日本の首相のこうした行為は憂慮を呼ばないではいない」とした。

イタル・タス、BBCロシア語放送

→あくまでも、これがロシア国家としての公式な立場であることは言うまでもありません。

が、一般のロシア人、特に「在日ロシア人」の方々は、むしろ靖国神社を好意的にとらえているという事実もあります。

例えば在新潟ロシア連邦総領事館副領事をつとめたゲオルギー・ブリレーフスキー氏の発言。

>ところでロシアは、歴史的な問題は、中国や韓国とは違う。靖国問題で中国や韓国が騒ぐのは日本から何かが欲しいから。
私は大使館勤務であった当時から、個人的に靖国神社を参拝していた。今でも毎年初詣は靖国神社に行く。
戦争という行為そのものが悪いこと。でも、国のために戦って、戦死した人に対しては尊敬しなければならない。私は戦死者に敬意を表して靖国神社に参拝する。

(『実は日本人が大好きなロシア人』P90より)

拓殖大学日本文化研究所教授、ロシア科学アカデミー東洋学研究所主任研究員のワシーリー・モロジャコフ氏

>ロシアには神道を“敵の宗教”だと決めつけて、暗い、危ないという“神道コンプレックス”はない、と私は結論しています。
ロシアの日本学者たちは、神道を日本の精神、文化、文明の大きな柱だとして、偏見なく若い世代に神道を教えていますよ。
そう言えば、2013(平成25)年の年末に安倍総理が靖国神社を参拝して中国、韓国そしてアメリカまでが政治問題にして色々と問題になっていますが、はっきり言うと、いわゆる「靖国神社の問題」は日本人自身の問題で、日本の国内問題なだけですよ。

(上掲書P154)

在日七十年の医師、アクセョーノフ・エフゲーニー氏

>私は通訳として、巣鴨プリズンや戦犯の病棟があった同愛病院で、梅津美治郎大将や松井石根大将、松岡洋右外務大臣と毎日会っていました。
その後、彼たちが靖国神社に祀られましたから、私はよく靖国神社に行きました。今でも私は靖国神社に行きたいと思っています。行って彼たちにお参りしたい。
彼たちは日本の愛国者として日本のために戦って死んだのだから、靖国神社にお祀りされて当たり前です。

(上掲書P214)

例は、まだまだありますが

在日ロシア人の靖国神社観というのは、私たち日本人がロシアという国に対して持っているネガティブなイメージとは裏腹に

好意的なものです。

参考文献:田中健之 著『実は日本人が大好きなロシア人 在日ロシア人だからわかる日本人の素晴らしさ』(宝島社新書)

あるチベット在住の方のネット投稿を引用します(1)

2017-07-12 22:05:20 | 国際情勢
Q&AサイトであるYahoo!知恵袋にチベット在住の方が参加しています。

その方のチベットについての肌身に感じたリアルな考察が知恵ノートという形で投稿されていました。

が、この度の知恵ノート廃止という知恵袋運営の判断により、この貴重な投稿が見られなくなってしまうのは損失であると個人的に思い、ご本人の承諾を得た上で、勝手ながら私のブログに引用させていただくことにしました。

以下をお読みいただいた上で、特にチベット問題に関心のある方にご判断願えればと思います。

では、その第一弾です。
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/note/n24924


>チベット問題と聞くと、皆さんはチベット人VS.中共といった構図や、曖昧ながらも人権問題を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
でもここでは現地チベット人が抱えるもっと実際的な問題を取り上げようと思いますので、中共との対立といった構図に興味がある方には面白みに欠けるかもしれません。

 これから述べていくことの中には、もしかしたら中共にとってや亡命チベット人団体にとって、都合の悪い情報が含まれているかもしれません。でもそれは、私がこの場でどちらかに加担しようという意図のものではなく、事実を述べようと努めている為だとご了承下さい。

 それから現地チベット人が抱える問題とは言っても、あくまでも第三者である私(完全な第三者でもないですが)から見た問題意識と、実際の現地チベット人たちの問題意識には当然ながら温度差がありますので、そのことも理解してお読み下さい。

チベットの問題 その1(戸籍について)

 中国で戸籍問題と聞くと、皆さんの中には戸籍の無いブラックチルドレンを思い浮かべ、彼らは学校へ行けないし、碌な仕事にも就けないと思っている方が多いのではないでしょうか?
 
 でもちょっと考えてみましょう。
日本でもいわゆる300日問題などで、戸籍を持たない子供達がいますが、我々は、彼らは戸籍を持たないから学校へは行けないと果たして考えるでしょうか?
では何故このようなことが、まことしやかに言われているのでしょう。


 戸籍で最も重要な情報、それは名前と生年月日であることに、誰も異論はないものと思います。
 
 実はチベットでは戸籍を持たない人が大勢いたのですが、数年前までに政府の活動によって、大抵の人が戸籍を持つようになりました。
 でもこの時、多くの人の名前が変わってしまいました。何故このようなことになったのでしょう?
 まずは担当者による聞き間違いです。チベット人の名前と一言で言っても、例えばラサの人から見れば、地方の人で聞き馴染みのない名前が無数に存在します。さらに方言によっては、同じチベット文字でも発音が違ったりしますので、名前を聞いても、何の事だかよく分からない名前なのは別に珍しいことではありません。そこで担当者は、担当者自身が聞き覚えのある名前を想像し、変換してしまうということが起こりました。
 次に自分の意思で名前を変えた人たちです。上記した通り、名前によって、地方出身であることや文化背景が分かりますので、そのことで蔑まれる場合もあります。そこで、名前をいかにもラサ風に変える人たちが出ました。

 次に生年月日です。
 大抵のチベット人は日本人同様、自分の干支は知っていますので生まれた年は分かります。
 でも大勢の人たちは誕生日を知りません。そこで戸籍を作る際、どうやって誕生日を決められたのか、それは好きな季節や数字を聞かれるというものでした。
 
 このように大抵の人が明確の戸籍(ここまで読めば分かるとおり、明確なのと事実は別です)を持つ以前、仲良くなった旅行者から誕生日を聞かれて、数日後を答える女性達を見かけたものです。本当は彼女達は自分の誕生日を知らないのですが、何故数日後を答えるかについては説明はいらないものと思います。


さて最初に学校の問題を述べ、あえて途中で止めてしまいましたが、それについては次回のテーマを「文盲」として、述べてみようと思います。戸籍(戸口簿)に書かれた自分の名前が読めれば、名前が変わってしまう事体もずっと少なくなったのではないでしょうか。
 

「慰安婦問題」の、いわゆる否定論について

2017-07-09 14:56:05 | 近現代史関連
「慰安婦問題」について、日本軍による「不法な強制」があった事は、すでに「史実」として確定しています。


この問題についていかなる立場に立つとしても、まず「事実とは何か」という視点から考えるべきであり、また様々の考え方の人たちが事実関係を共有することで「コンセンサス」を作らないことには、問題の解決はおろか、我が国は国際社会において、ますます不利な立場に立たされるのではないでしょうか?

ただし、少なくとも現時点では「特定の価値観」により、この問題を考えるのは困難である、と考えます。

ここでは、あくまでもネットで見られる「おかしな主張」に対する、事実関係はどのようになっているのか?

という点のみを指摘したいと思います。

以下、「否定派の主張」と、それに対する「反論」という形で記していきたいと思います。

※なお「否定派による意図的なトリミング」がされやすい個所は太字にしました。


「否定派の主張」
「慰安婦問題」についての「強制」はありませんでした。
旧植民地だった朝鮮半島や台湾において『「軍による慰安婦狩り」の史料が発見されていないだけの話』と矮小化して言いますが、その事実だけで「強制はなかった」と言うべきです。

「反論」
むしろ動員後の苛酷な人権蹂躙に問題の本質があります。

米国下院「慰安婦」謝罪決議(H.Res.121)全文より抜粋
http://wam-peace.org/ianfu-mondai/intl/resol/us20070730/

>日本政府による強制軍事売春たる「慰安婦」制度は、その残酷さと規模において前例のないものであるとされ、集団強かん、強制中絶、屈従、そして身体切除、死、結果的自殺に至った性暴力を含む、20世紀でも最大の人身取引事件の一つ

そもそも慰安婦問題の論点は「強制連行」だけではありません 。

が、仮に「強制連行があったかなかったか」という点に話を限定するとしても、中国や東南アジアなどで強制連行があった事は日本国政府も認めています。

例えば、オランダ政府からインドネシアにおける日本軍による慰安婦強制連行・売春強要の文書資料が提供されていますし、1999年度には法務省に埋もれていた中国等における日本軍による慰安婦強制連行・売春強要を示す文書資料が国立公文書館に移管されています。
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130526/1369543851

「否定派の主張」
朝日新聞などのサヨク勢力がデマ記事を書くなどしてさんざん騒ぎを大きくしておきながら、強制を示す史料が発見されないので困った彼らは、「狭義の強制性と広義の強制性」と定義を拡大し始めました。

「反論」
「狭義の強制性と広義の強制性」についてですが、まず中国や東南アジアなどで強制連行があった事は上述のとおりですので、強制を示す史料が発見されないという主張自体が成り立ちません。

次に定義を拡大したという指摘についてですが、例えばアメリカ下院で可決された非難決議を見ても、どこにも強制連行という言葉は使われていません。
問題が取り上げられたきっかけよりも、現在どのように認識されているのかを理解する方が先決ではないでしょうか?

あと朝日新聞などのサヨク勢力がデマ記事を書くについては、いわゆる「吉田清治氏の証言」の事を指しているのだと思いますが、例えば吉田氏は平成4年(1992年)1月23日の朝日新聞で連行した朝鮮人女性は950人と証言しています。
(1992年1月26日の「赤旗」では連行した女性は1000人以上と証言)

これについては日韓双方の追跡調査により、創作であることが判明し、本人も慰安婦狩りが創作であったことを認めています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85%E6%B2%BB_(%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6)

一部に疑義を主張する向きもあるようですが、いずれにしても信頼性はない、と断定していいでしょう。

ただし、問題の本質はそこにはありません。

まず「吉田清治証言」を根拠に自説を主張する歴史学者は存在しません、

次に吉田氏一人が朝鮮半島に限らず、台湾、あるいは中国、東南アジアなど広範囲の「慰安婦の強制連行」をしたわけではありません、

したがって吉田清治氏の証言を否定することで慰安婦問題全体を否定しようとしても意味はありません。


「否定派の主張」
リンク先の史料はすべて1975年以降の史料ですね。
こういうのは史料価値が極めて低く、これだけで『業者を介さず、軍が直接、慰安婦を徴集していました。』と言い切れるバランス感覚が不思議です。

「反論」
史料の発掘などにより、研究が進んだのがその時期から、というだけの話。

なお日本国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題についての本格的調査を行い、1992年7月6日、93年8月4日にそれぞれ調査結果を発表しています。
その結果である『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』(全5巻、龍溪書舎出版)復刻版については、こちらのリンクで確認できます。

デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金 慰安婦関連歴史資料
http://www.awf.or.jp/6/document.html


「否定派の主張」
慰安所の存在が戦争犯罪だったというのでしょうか?

「反論」
当時の国内法・国際法に照らしても違法です。

例えば当時慰安婦にされて日本から戦地に送られた女性の中には、実際の「仕事」の内容を知らされずに「良い仕事がある」などと騙されて連れていかれた人が多数見られますが、これは旧刑法226条「帝国外に移送する目的を以て人を略取又はしたる者は二年以上の有期懲役に処す 帝国外に移送する目的を以て人を売買し又は被拐取者若くは被買者を帝国外に移送したる者亦同じ」とに違反しており、国外移送誘拐罪・国外移送人身売買罪等に該当します。

また、日本は1925年に「醜業を行わしむる為の婦女売買禁止に関する国際条約」に加入しており、未成年女性の場合はたとえ本人が同意していても売春に従事させてはならないし、成人女性の場合なら詐欺や脅迫など、本人の自由意志を無視して売春に従事させれる事も罰せられることになっていました。

詳しくは、こちらをどうぞ
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1266.html


「否定派の主張」
「醜業を行わしむる為の婦女売買禁止に関する国際条約」について、「日本はたしかにこの条約に署名したが、年齢に関する第5条条項(21歳未満を禁止)については留保している。
さらに、条約が朝鮮半島、台湾、関東租借地を包括しない旨を宣言している。ようするに朝鮮半島は除外しているのだ。
ちなみにイギリスはこの条約に調印しながらも当時独立国でなかった植民地での適応を含まない旨の留保を宣言している。
条約に署名したのは事実だが、日本は「朝鮮半島は除外している」

「反論」
こちらから抜粋します。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1266.html

>本来この「植民地除外規定」(第十一条)は、当時の植民地において結婚する時に家族に贈られる「花嫁料」など「近代」以前の長年の習慣・伝統が残っていた為に挿入されたものであり、条約の意図は売春のために女性を国外へ連れて行くことを容認することではありませんでした。
「国際法律家委員会(ICJ)」は見解で「朝鮮女性に加えられた処遇について、その責任を逃れるためにこの条文(規定)を適用することはできない」と述べています。
(吉見義明『従軍慰安婦』p169)

さらに、植民地から連れて行くことは、国際法上まったく自由だったのかというと、そうではないと国際法学者の阿部浩己教授は次のように指摘しています。
朝鮮人の慰安婦の多くは、朝鮮半島から鉄道で移送される以外は、日本の船を使用して南方や中国南部などへ移送されました。誘拐などの起点が植民地であったとしても、日本の船舶は「国際法的には日本の本土とみなすことができる」ので、条約は適用される、と述べています。また、台湾の場合、移送は船舶以外は考えられず、かりに日本の飛行機で移送されたとしても飛行機も日本本土とみなされる、と述べています。
(引用ここまで)
次の資料からは、実際内務省は慰安婦の集め方が国際条約に照らして相当にヤバイことを自覚していた事がわかる。
http://nippon-senmon.tripod.com/hantou/rekishi/juugun_ianfu.htmlより


「否定派の主張」
現在の警察が「性風俗店」と定義して呼んでいるソープランドやデリヘルを、「民間の施設であるはずがありません、警察の施設に決まっている」とでも言うのでしょうか?
こりゃたまげた

「反論」
こちらから抜粋します。
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukihon.html

「従軍慰安婦」問題の根幹とは何か? それはズバリ、国家自らが管理売春に乗り出したこと、そのものに他なりません。
即ち、日中戦争・アジア太平洋戦争における日本軍は、内部に売春施設を設置し、そこで売春に従事する女性の徴集を行ったのでした。
このことを日本軍は組織ぐるみで行い、内務省、外務省など他の国家機関もこれに協力しました。
国家が管理売春に乗り出したこと、このことの是非が何よりも先ず問われるのです。


「否定派の主張」
それは韓国が海外で運動を展開しているからで、「sex slave」という実態と全く異なるイメージを流布しているからこそなのです。

「反論」
マクドゥーガル報告書では

「慰安婦」が「自主性を著しく奪われていたこと」

「したがって日本軍による彼女たちの扱いが人的財産に近かったこと」

をもって「奴隷」状態にあったとしています。「慰安婦」を「性奴隷」と呼ぶのは実態を充分に反映しており、誇張ではありません。

参考までに
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%AB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8

なお、奴隷制の歴史を紐解けば、奴隷が必ずしも「鎖に繋がれて」いたわけではなく、給料も支払われていた(時代によっては金を支払うことで奴隷の身分から解放されたり、他の奴隷を「所有」することもできた) こと、休暇さえ得ている例があることがわかりますが 、それをもって「歴史上『奴隷制』は存在しなかった 。歴史家の捏造だ」などと言ってもまともに相手をされることはないでしょう。

その呼称が妥当かどうかは別にして、反論するなら必要なのは具体的な根拠だとおもいます。


「否定派の主張」
それにしても、どうして「親や恋人の借金を返すために風俗で働く女性」を使用する風俗業者の営業を許可している警察を告発しないのでしょうか?

「反論」
1996年に、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用があり、専門家委員会は被害者女性たちの慰安所での状態が1930年の「強制労働条約 第29号」(我が国は1932年に批准)に違反していると認定しています。

ちなみに同委員会からは以降、数回にわたって、日本政府に対し被害者に適切な対応をするよう求める勧告が出されています

それを知った上で、「風俗業者の営業を許可している警察」と同一視する、というなら、正気ではない、としか言いようがありません。


「否定派の主張」
スマラン事件を「慰安婦の強制連行があった証拠」としているようです。
「語るに落ちる」とはこのことです。
強制連行などしてはいけないとしていた軍の通達を無視したから事件になったのです。

「反論」
そもそもこの事件を「唯一」とか「例外的」な事件とする主張自体が間違いです。

そうでないことは、オランダ政府の調査報告書を読むだけでも明らかで、スマラン事件の現場でもある「スマラン倶楽部」(軍慰安所)でさえ、閉鎖を前にして別の事件が発生しました。
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20120225/p1

例えばフロレス(フローレス)島事件

1944年4月中旬、憲兵と警察がスマランで数百人の女性を検束し、「スマラン倶楽部」で選定を行い、20名の女性が憲兵によってスラバヤに移送されましたが、そのうち17名(20名のうち2人は逃亡、1人は病気で残留)がさらにフロレス島の慰安所に移送され、そこで売春を強制されたという報告事例がありますが、この時に憲兵はいい関与どころか、女性が逃亡しないよう監視しています。

「強制連行したことが事件になった」のは、「強制連行はしないように軍が通達していた」というい事実の証明でしかないというなら、にもかかわらず、強制連行が多発しているのは、なぜ?
という疑問にもつながります。

裁かれたようなケースは氷山の一角に過ぎないことは留意しておくべきでしょう。

追記
当然ですが、軍による直接的な「強制徴集」の多発については、業者は介在していません。
朝鮮・台湾はともかく、中国や東南アジア・太平洋地域の占領地においては、業者を介さず、軍が直接、慰安婦を徴集していました。
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html

秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社)137頁
ところが、四五年三月、艦隊の帰国の直前に、慰安所の復活が計画され、特警隊と政務隊が現地警官を使って女性の徴集に乗り出した。元売春婦や志願者や日本人の愛人(チンタ)を対象とする建前であったが、近くの島から女を連れていく時に「住民がどんどんやってきて〝返せ〟と叫び、こぶしをふりあげ、思わず腰のピストルに手を」と禾中尉が書いているくらいだから、拉致まがいの徴集もあったにちがいない。


「否定派の主張」
軍隊に娼婦がついて回るのは十字軍以来世界中で「アタリマエのこと」だったのですよ。(Professional Camp Follower)
そして朝鮮半島の「軍慰安所」は戦後韓国に引き継がれ利用され朝鮮戦争時には米兵も利用していた。
これを問題にするということの意味をわかっているのでしょうかね。

「反論」
必ずしも「日本だけが責められている」というわけではありません。
例えば戦時下の性犯罪・性暴力について、旧ユーゴスラビアやルワンダにおける民族浄化や集団的な強姦の問題などが取り上げられていますし、ナチスドイツによる強制売春の問題は長らくタブーとされていましたが、近年になって実態が解明されつつあります。

なお韓国軍慰安婦については、こちらの記事が参考になります。
http://hogetest.exblog.jp/6749030/

「軍慰安婦は日・米・韓にまたがる問題。米兵の慰安所利用実態も明らかにしたい」と話す金貴玉さん=京都市北区の立命館大学で

金さんは96年、離散家族のインタビューの中で、「50年10月、韓国軍の捕虜になり、軍慰安隊の女性と出会った」という男性の証言を得た。以後5年間インタビューを重ね、「直接慰安所を利用した」「軍に拉致されて慰安婦にされかかった」という男女8人の証言を聞いた。

さらに金さんは、韓国の陸軍本部が56年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』に「固定式慰安所−特殊慰安隊」の記述を見つけた。設置目的として「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」とあり、4カ所、89人の慰安婦が52年だけで20万4560回の慰安を行った、と記す特殊慰安隊実績統計表が付されている。

証言と併せ、軍隊が直接経営していた慰安所があった、と金さんは結論づけた。

軍関係者の証言の中には、軍の補給品は第1から第4までしかないのに、「第5種補給品」の受領指令があり、一個中隊に「昼間8時間の制限で6人の慰安婦があてがわれた」とする内容のものもある


どんな人が慰安婦になったかは明らかではないが、朝鮮戦争時に娼婦(しょうふ)が急増し、30万人にも及んだことから、金さんは「戦時の強姦(ごうかん)や夫の戦死がきっかけで慰安婦になった民間人も少なくない」と見ている。

金さんは「設置主体だった陸軍の幹部の多くは日本軍の経験者だった。韓国軍の慰安婦が名乗り出るためには、日本軍慰安婦問題の解決が欠かせない。韓国政府と、当時軍統帥権を握っていた米国の責任も追及したい」と話している。


なお、例えばソ連軍兵士による日本女性の強姦などはあまり取り上げられません。

ただ、こうした問題ももちろん実態解明と被害者救済がなされるべきである、という主張ならともかく、だから日本軍慰安婦の問題が免責される、という主張をするわけにはいかないでしょう。

それは結局、ソ連軍兵士による日本女性の強姦などを免責することにもつながると思います。


「否定派の主張」
当時の新聞報道を見ると、悪徳業者を軍や警察が必死で取り締まっているとしか思えません。 また、売春と強姦を一緒くたにすること自体女性をバカにしているとしか思えない。

「反論」これについては京都大学文学研究科教授である永井和氏の論文が参考になります。
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html

以下に一部抜粋します。

以上をまとめると、次のようになる。上海で陸軍が慰安所の設置を計画し、総領事館とも協議の上、そこで働く女性の調達のため業者を日本内地、朝鮮に派遣した。その中の1人身許不詳の人物徳久と神戸の貸席業者中野は、上海総領事館警察署発行の身分証明書を持参して日本に戻り、知り合いの売春業者や周旋業者に、軍は3000人の娼婦を集める計画であると伝え、手配を依頼した。さらに警察に慰安婦の募集および渡航に便宜供与をはかってくれるよう申入れ、その際なんらかの手ずるを使って内務省高官の諒解を得るのに成功し、内務省から大阪、兵庫の両警察に対して彼らの活動に便宜を供与すべしとの内々の指示を出させたのであった。

大阪府、兵庫県両警察部は、売春させることを目的とした募集活動および渡航申請であることを知りつつ、しかも営業許可をもたない業者による周旋・仲介行為である点には目をつむり、集められた女性の渡航を許可した。この時上海に送られた女性の人数は正確にはわからないが、関西方面では最低500人を集める計画であり、1938年1月初めの時点で大阪から70人、神戸からは220人ほどが送られたと推測できる。

残念ながら、悪徳業者を軍や警察が必死で取り締まっているとは思えません。

なお慰安婦の徴集のやり方について、間に業者が介在したことが多かったの で、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もあります。

しかし、それならば軍慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志 であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、帰すべきです。
しかし、そのような事例は史料からみても、極めて少なかったと考えられます。

少なくとも軍には「監督責任」が発生します。

また、慰安婦を強制的に集めるために、「看護婦にする」とか「工場で働かす」 とかの甘言で遠くへ連れだし、無理やり慰安婦にしてしまった事例も、確認されています。


なお、過去は水に流して共に許す、というのは、「否定」とは別な考え方です。

あえて言いますが、過去を振り返ってばかりだとそこから得られるものは何もありません。

基本的には歴史というのは、過去から学び、未来を科学するものである、と考えます。

私達がすべきことは、今後過ちを犯さない事であると思いますし、それには認めるべきことはきちんと認め、その上で未来を志向した建設的な考え方をすることではないでしょうか?

「あったことを認めない」というのは、その事実以上に恥ずかしいことである、と考えます。

「あった事をなかった」と強弁する人達が多数存在する、という事が、国際社会から非難されている理由の一つである、という事を、私たちはきちんと認識する必要があります。


個人的に言うと、日本側に都合の悪い事実もちゃんと記載し、公平な立場から書かれた書籍等を英文翻訳して出版するなりして、国際社会に向けて発信し、判断を仰ぐべきだと思います。


なお「ライダイハン問題」につきましては、別の記事がありますのでそちらもご覧ください。

「日本国憲法」は憲法として機能しているのでしょうか?

2017-07-09 14:42:37 | 日本国憲法
「日本国憲法」は、1946年(昭和21年)5月16日に、第90回帝国議会の審議のあと、若干の修正を加えたうえで、同年11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日から施行されました

1945年(昭和20年)8月15日にポツダム宣言を受諾した事により、我が国は事実上憲法改正の法的義務を負ったことになるわけです。

ポツダム宣言には

「日本軍の無条件降伏」

「日本の民主主義的傾向の復活強化」

「基本的人権尊重」

「平和政治」

「国民の自由意思による政治形態の決定」


が要求されており、連合国軍の占領中に連合国軍最高司令官総司令部監督下において「憲法改正草案要綱」を作成し、紆余曲折ののちに「大日本帝国憲法」第73条の憲法改正手続に従って、制定されました。

なお、施行されてから現在まで一度も改正されていません。

さて、まず「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」第73条の憲法改正手続に従って制定されたわけですが、その内容についてみると、主権(統治権)が「天皇」から「国民」へ移っている、とされます。

「日本国憲法」の「上諭文」 によればこうなります。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

憲法改正の「限界説」(後述)という考え方からすると、

「日本国憲法」の前文

「・・・その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、・・・」

これに対し、大日本帝国憲法の「上諭文」は

「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス・・・」

とすると「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の根本的な部分を否定しているわけで、理屈からすると「大日本帝国憲法」を否定するなら、その改定手続き(帝国憲法第73条)により「改正」された「日本国憲法」も論理的には成立しなくなります。

ところで「憲法改正」については、大別して「憲法改正無限界説」と「憲法改正限界説」という二つの考え方があります。

まず、いわゆる「成文憲法」の場合、基本的には憲法自体の改正手続を定めています。

改正手続に従って行われた「憲法改正」は、当然法的に正当なものとして承認されるわけですが(改正し得ない「憲法改正の限界」を当該憲法に明記してある場合を除く)、仮に「憲法改正」の限界が明記されていない場合であっても

例えば前憲法を無視して、100%全文に及ぶ改正をすることが可能なのか?
(憲法改正無限界説)

それとも法理論上一定の限界があるのか?
(憲法改正限界説)

という事について、学説上の争いがあります。

「憲法改正無限界説」によるのであれば、大まかに言うと「憲法改正手続に従った改正」であれば、いかなる内容への憲法改正も法的に正当化される事になります。

それに対して「憲法改正限界説」の場合、これも概略として言うと「憲法改正手続に従った憲法改正」といえども、前憲法の基本原理・根本規範を改めてしまうような改正は、改正前憲法によって法的に正当化されないと考えられています。

ただし言うまでもないことですが、改正前憲法によって法的に正当化されないからと言って、新憲法が「無効」という事になるわけではなく、新たな基本原理・根本規範によって正当性の理由付けが求められる事になります。
「憲法改正限界説」の立場から考えると、「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の改正ではなく、全く新しい別個の憲法である、ということであり、そして、それは「国民自らが制定した民定憲法」というわけです。

そこで憲法学者の宮沢俊義氏により、「日本国憲法」の理論的根拠として「八月革命説」が提唱されました。

以下はあくまでも「八月革命説」について内容の説明です。

まずポツダム宣言を受諾するに際して、同宣言には天皇大権を害する要求は含まれないとの解釈が正しいか否かについて、我が国は連合国に対して回答を求めています。
この照会に対して連合国側は、その解釈の正否には触れず、日本の最終の政治形態はポツダム宣言に従い日本国民の自由に表明される意思により決定されるべきことを言明しました。(バーンズ回答)

我が国はこの回答を了承した上で、1945年(昭和20年)8月14日、ポツダム宣言の受諾を通告したわけです。

バーンズ回答において日本の政治形態に関しての最終的な政治形態の決定権は、日本国民が有するとされており、、法的には「国民主権」とされています。
なので、ポツダム宣言の受諾は天皇から国民への主権の移行があったということになるわけで、ポツダム宣言の受諾を法的な意味での「革命」と解釈した上で「八月革命」と称したわけです。

ただし主権の所在が移行したからといっても「大日本帝国憲法」の全てが「無効」となったわけではなく、あくまでも「国民主権」に抵触しない限りにおいて存続していたため、形式的には「大日本帝国憲法」の改正手続に従い憲法が改正された、ということになるわけです。

事実関係でいうと、ポツダム宣言受諾後に行われた総選挙で新たに「主権者となった国民の代表者」として国会議員が選出され、内閣がGHQの指示を受けて起草した「大日本帝国憲法」改正案(日本国憲法案)を審議し、また名目上は主権者の地位を失った昭和天皇の裁可により「憲法改正」は成立しましたが、裁可の段階では修正は行われていません。

この事からも「日本国憲法」は、新たに主権者となった国民によって制定された憲法となるわけです。

現在においても「八月革命説」は「日本国憲法」の学説上の通説となっています。

さて、こうして「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の3つを三大要素とする「日本国憲法」は成立しました。
(実際は改正に関して様々な紆余曲折がありましたが、省略します)

それでは、実際問題として「日本国憲法」は我が国の「憲法」として、きちんと機能しているでしょうか?

まずは私の手元に『お役所の掟』(講談社α文庫)という本があります。

P33~34にはこうあります。

「日本はどうして三権分立ではないのでしょう」

「いや、三権分立になっているよ。憲法にもそう書いてある」

「でも実態は違うでしょう。本当に三権分立ならば、なぜ我々が法律作成をしているのですか」


(引用終了)

霞ヶ関のエリート官僚たちは、すでに国会議員の代わりに法律を作り、内閣の代わりに政策を立案しています。

これは「日本国憲法」第41条に規定された、国会は「国の唯一の立法機関である」に違反していると解釈できます。

憲法というのは、その精神が守られなければ、それは機能していないのと同じなのではないでしょうか?

大事なのは「文面」ではありません。

アドルフ・ヒトラーは、ワイマール共和制における憲法の廃止はしていません。

しかし彼は1933年の「全権委任法」の成立により「合法的」に独裁者となりました。

こうした時にどう判断するか?

「全権委任法」の成立により、ワイマール憲法は「死んだ」とみなされるわけです。

多くの方がご承知のように、英国憲法は慣習法からなっています。

「成文憲法」を持つ国家の場合であっても、憲法が文面と異なる慣習により運用されているなら、それは「憲法」が機能している、とは言えないはずです。

実際にも、いわゆる「発展途上国」は文面においては立派な「憲法」を作りますが、多くの場合、その運用は文面を反映せず、事実上は独裁国家になったりします。

さて上で説明した「憲法無限界論」というのは、この観点から見た場合に成立するでしょうか?

つまり慣習や法律でどうにもならないものを「憲法改正」で解決できる、という「憲法万能論」を想定する事ができるのか、という事です。

なので、私自身は「憲法無限界論」は採りません。

仮に「無限界論」に近い考え方で、限界は存在するが目に見えないだけ、という議論が成立するとしても、憲法がその国の「慣習法」と異なる内容であり、実態において異なる内容の運用をされているのであれば、それは当該憲法が機能しているとは言えないと思います。
つまり「目に見えない限界」を超えたわけです。

そして「日本国憲法」は、正しく運用されているでしょうか?

他に例を挙げます。

「在日米軍」に関する「砂川事件」最高裁判決の背景
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1197574596

>最高裁判決の背景[編集]
機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者やジャーナリストが分析したことにより、2008年から2013年にかけて新たな事実が次々に判明している。
まず、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた[1]。跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、1960年に予定されていた条約改定(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約から日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約へ)に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。そのため、1959年中に(米軍合憲の)判決を出させるよう要求したのである。これについて、同事件の元被告人の一人が、日本側における関連情報の開示を最高裁・外務省・内閣府の3者に対し請求したが、3者はいずれも「記録が残されていない」などとして非開示決定[2]。不服申立に対し外務省は「関連文書」の存在を認め、2010年4月2日、藤山外相とマッカーサー大使が1959年4月におこなった会談についての文書を公開した[3][4]。
また田中自身が、マッカーサー大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと[5]、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたこと[6]が明らかになった。ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書分析をして得た結論によれば、この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”という理論により導き出されたものだという[7]。当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした[8]。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている[9]。古川純専修大学名誉教授は、田中の上記補足意見に対して、「このような現実政治追随的見解は論外」[10]と断じており、また、憲法学者で早稲田大学教授の水島朝穂は、判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに「司法権の独立を揺るがす[11]もの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」とコメントしている[12]。


「砂川事件」において最高裁は「アメリカ側の要望」により「統治行為論」で押し切ることで「合憲」という判決をくだしました。
あくまでも私見ですが、これでは「日本国憲法」は、少なくとも実態において「憲法」としての効力を持っている、とは言い難いと思います。
国家としての「最高法規」以上の意思が働いたわけですから。

「砂川事件」の経緯を見ても分かるように、必要とあればアメリカからの圧力がかかり、それにより結果が動く、というのでは「憲法」と言えないのではないでしょうか?

また、例えば第1条に日本国および日本国民統合の象徴たる天皇陛下の存在は「国民の総意に基づく」とあるわけですが、国語辞典的に言うなら「総意」というのは「すべての意思」という事になります。
とすると「天皇制廃止」を叫ぶ人々が「護憲」を主張するのは「憲法違反」という事になります。

そして先にも引用した第41条には国会は「国の唯一の立法機関である」と規定されていますが、文字通りに解釈すると、地方公共団体に条例の制定権すら存在しない事になります。

ちなみに第94条により地方公共団体による条例の制定権は認められています。

そもそも第41条から考えるなら、上述のような官僚による「事実上の立法」など問題外だし、国会の作成した法律について、裁判所が「違憲判断」の審査ができるのも説明がつきません。

「一票の格差」が第14条違反、というのもよく話題になります。

逆説的に言うと第96条自体も守られていない事になります。
なぜなら「憲法解釈」により事実上の改憲がなされているなら、改正条項には意味がないからです。

きりがないのでやめますが、我が国においてなぜ「議会制民主主義」は、まともに機能しなくなったのでしょうか?

それは「憲法」がきちんと機能していないからではないかと思います。

現在、「憲法改正」について様々な議論が存在しますが、仮に文面だけの「改正」をおこなったとしても

本当に「憲法として機能する」のか?

それとも実際には「慣習法」による建前の「憲法」とは異なる運用となるのか?


というのは重要な要素である、と考えます。

なお、「日本国憲法」については「八月革命説」についての是非、あるいは「憲法無効論」その他の議論が存在しますが、それは他の機会に論じることとします。