先日、私たちはドキュメンタリー映画を観ました。この映画は都内にある児童養護施設が舞台で、施設という血のつながらない職員と子ども達の共同生活において、家族とも他人ともいえない微妙な「つながり」を持つ中で、成長していく子供たちの一年を追った内容です。「人のつながり」について考えさせられる作品でした。日本には施設等で暮らす社会的養護が必要とされる子どもたちが、約4万2千人(2024年時点)もいるとの心が痛む現実を知りました。
ある教会の礼拝にメッセージをしに行った時、礼拝前のこどものための教会学校にも参加しました。そこには児童養護施設の小学生の子供たちが職員と一緒に参加し、子どもの礼拝をしていました。施設の中で自発的に教会に行きたいという子ども達だけが、この教会学校に来ているそうです。私は子ども達が聖書に触れ、イエス様のお話を聞き、讃美歌を歌っている様子を見るにつけ、子ども達が施設を出てから大人になっても神様が共にいることを思い出してほしい、辛い時神様に祈って助けを求められること、独りでがんばらなくてもよいことを思い出してほしいと願っています。
つながりは大切です。自分が誰とつながっているかで安心感を持てますし、自分が何者なのかというアイデンティティの認識とも関連します。家族がいても、つながりを持つのが困難である関係も残念ながらあります。家族とは、必ずしも血のつながった親族の集まりだけでなく、安心してつながりを持てる共同体をも指すのではないかと思います。クリスチャンにとって、教会という共同体が家族のようなつながりを持っています。そのつながりは、聖書では「交わり」と記され、自分たちを造られた神様を信じ、神様が天の父であり、わたしたちは神のこどもであるという神の家族として交わりを持つことができます。この交わりは、神の家族として互いに自分たちを認識し、互いに愛し合う、お互いをケアし、支え合い、共に祈り、お互い赦し合う、また聖書に記される希望を持ってこの困難な世の中を生きることを励ましあえます。
イエス様はぶどうの木と枝の譬えから「木であるわたしに枝としてつながっていなさい」と弟子たちに言われました。「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」この「実を結ぶ」とは、愛の実を結ぶ、つまり互いに愛し合うことだと言えます。イエス様は、イエス様の喜びが私たちの心に満ち溢れるために、このことを弟子たちに言われています*2。
私たちは神の御子イエス様を信じることで、イエス様とつながることが出来ます。このつながりでは、自身を取り巻く状況が厳しくとも、状況に左右されない神様から与えられる愛と喜びを共有できます。神様は、この神様との交わりをイエス・キリストを通してすべての人に受け取ってほしいと願われています。この神様の愛を恵みとして体験させてもらっている者として、多くの方々に、特につながりを求めている方々に伝えていきたいと願っています。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」 ヨハネによる福音書 15章5節
*1 ヨハネの手紙 1 1章3-4節
*2 ヨハネによる福音書 15章11節