聖書のことばから  デボーション

聖書のことばから気づかされたことをつづっています。

和解・和平を祈る

2024-10-06 18:41:31 | 日記

 10月7日。昨年、イスラエル国にハマスというテロリスト集団が奇襲攻撃を始め、それから戦争状態が一年経ちます。そもそもハマスはパレスチナの代表でもなく、正式な軍隊でもない、テロリストであることを日本のニュースは報道しません。いつもイスラエルが悪いと報道するのは、日本のニュースが反イスラエルの中東諸国の国営放送からその情報を得ているからです。いずれにしても世界の紛争が早く終わるように、平和のために、今、何ができますか?と問われると、両者とも戦いを早く終え、お互い和解するよう、人々が安全に生活できるようにと平和のために祈り続け、そして情報を識別し、マスメディアに操作されないようにと心がけています。

 一方、人は他国の大きな戦争の和平を求めながら、自分の周りの人と、職場のある人と、家族と和解していないことがありがちです。つまり自分のことは棚にあげて、遠い国の国際紛争について早く和解すればと思えてしまうのです。

 聖書は和解について、こう記しています。「つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。 」 (1)実は、私たち人間は生まれた時から、神様に敵対しているのです。その敵対とは、人は自分を創った神の存在を否定し、信じないこと(これを聖書では罪といいます)、そして自分の思うままに生き、他者を傷つけ、自分も傷つけ、個人差があってもどこかで争いを起こす、もしくは関わりたくないので距離をおく、無視すると、実は自分は気づいていないだけで和解していない関係をどこかに持っている可能性があります。神を信じない罪から派生して、人間関係の争いが生じ、そして様々な罪に発展しています。一方、神を信じる者は、人間同士互いに愛し合いなさい、赦し合いなさいという、キリストの愛に倣って歩むものと教えに従おうと励まされます。

 神様は、全ての人間を大切に思い、祝福したいと、関係を修復したいと思われ、そこで世にご自分の御子イエスを送られました。その目的は、人が神に敵対してきたことを認め、その罪のためにイエスが十字架にかかられて死んでよみがえられたことを信じることで、全ての罪が赦されること、そして新しく生きることができるように心に聖霊が与えられ、地上で生きている間は、聖霊が正しい道へと私たちを導いてくださるので安心です。

 私たちキリスト者は、ヒューマニズム(人道主義)ではなく、キリストの愛が動機で、平和を求め、対話しようとし、祈り、行動します。なぜなら「まず、神様がわたしたちを愛して、キリストをこの世に送ってくださった」 (2)その十字架の救いの御業により、私たちはもはキリストに結ばれて生きるからです。神様の愛を受け、キリストを信じた者は、キリストの和解の言葉を他者に伝え、聖霊の働きにより平和を運ぶものとして、この世の中に派遣されていきたいと願います。

「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。 『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」(1ヨハネ4:19-21)

 

[1] コリントの信徒への手紙二 5:19

[2]ヨハネの手紙1 4:10

 


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