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北大路魯山人の本歌取り 本物を超えることはなかった男

2010年02月14日 09時34分25秒 | 美術・建築・工芸
魯山人の料理論・書道論・陶器論・文章論などいろいろ分野の事に著述を持つので魯山人を知りたければこのような著作も参考になる。

漱石と同じ慶應3年生まれである。

以前、東京の世田谷美術館で魯山人展があったが、魯山人の作品と本家の作品が一緒に並べられたことがあった。それはそれは驚愕したものである。なぜ驚愕したか? 魯山人の作品はほぼ本家そっくりであり、さらに魯山人の作品は稚拙でありすぎた。尾形乾山などは似ても似つかない陳腐なものであった。本家の作品がなければ魯山人の作品も極めて立派に見える。芸術新潮の特集で魯山人を扱ったときに、本家と魯山人の作品を事細かに比較したことがあるが、魯山人の稚拙さが目茶目茶に解析されてしまった。やはり魯山人の篆刻なども相当おおざっぱであった。

魯山人を見たければ笠間日動美術館・分館春(0296-72-0958下市毛1371-1)へ行けば旧居ごと見ることができる。

あらゆるものを本歌取りしたが、独自性を発揮したのは料理である。
魯山人の料理は参考になる。今の日本料理とは根本から異なっているので、偽料理人に騙されてはならないことを学ぶであろう。

魯山人の素材へのこだわりは天下一品である。魯山人は極めて厳しい言葉で料理人を侮蔑している。それを知りたければ、魯山人の著作を読むことである。

書は岡本良信に師事した。(岡本一平の父・岡本太郎の祖父である。)

魯山人

1959年(昭和34年)に肝吸虫、つまりいわゆる肝臓ジストマとも呼ばれた寄生虫による肝硬変のため死去。



タニシが好きでそのタニシを生で食べるのでこういう死に方をした。

お茶の世界を知りたければ益田鈍翁(孝)と松永耳庵の所蔵品を見なければならない。東京国立博物館には益田鈍翁のもと茶室があり、耳庵の所蔵作品が見られる。
その他では箱根・小田原を訪ねてみるとよい。(武相荘と格の違いが分かる)
箱根・小田原茶室

魯山人は改めて書いて見る。
ノートは沢山取ってある。

ちなみに魯山人の飲むビールはキリンのみであった。
ピカソとも面談し、ピカソを上から見下ろしている姿はいかにも偉そうである。
魯山人は長身でピカソはちびである。
パリの三ツ星レストラン「ツールダルジャン」にわさびと醤油を持ち込んでシェフたちに日本のソースの味を教え込んだともいう。

益田鈍翁(孝)が死んでから、日本の芸術界はどんどん衰退した。
なぜなら富豪たちが美術品を購入しなくなったことが影響しているからである。
益田鈍翁(孝)と近付くには美術に興味を持つだけでなく、名品と呼ばれるものを所有していなければならなかったのである。

耳庵の所蔵作品の逸品は、小林秀雄や青山二郎並びにその子分の白洲正子などの考えや所有物とは相手にもならぬものであり、有名な批評家もカヤの外に置かれていたのである。
東京国立博物館へ行けば長治郎やのんこうの作品が見ることができる。これらは耳庵の寄贈品である。


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子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

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