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師匠の名前でなければ存在しない工芸家や芸術家さんたち

2010年09月07日 06時12分24秒 | 美術・建築・工芸
ピカソの師匠はだれであるか、気にならないところがよい。
まさか人間国宝といふ名の堕落した師匠などは持ったことはないであろう。

セザンヌの師匠は自然である。人間国宝などではない。常に自然を探求した。科学者は一見自然の探求のようだが、彼らは法則を探求するだけで、それは自然とは言えない。セザンヌのような真摯な探求者は科学者には見当たらないところが良い。

そもそも山本有三という呑気な作家が人間国宝というものをこしらえ上げたのであろう。

どうも好きになれない作家である。そもそも藝術性の乏しい作家であったから、参議院議員になってみたり、現代仮名遣いを推奨したりしてこれたのであろう。

師匠の名前を表面に出すのは、演奏家や日本画家に多い。
工芸家に至っては全ての肩書きに、師匠人間国宝だれそれと出したがるようである。
みってもない芸のないことをやれるものである。
そういう連中の作品は見るも悲惨である。それに反するようにバカ高い値段を付ける。

そもそも工芸に芸術と言えるほどの内面の質が現れることはないようである。
フェルメールのような工芸品を望むものもいない。

それと同じで演舞でも工芸に似ているところがある。
大衆芸能の歌舞伎などは、あれでよく人間国宝や芸術院会員を出すことが出来るものであると思いきや、芸術院会員は結構幅広い分野で出している。文化勲章も松下幸之助などが審査員を務めていたというから、眉唾ものである。

唐獅子牡丹の「死んでもらいます」で、文化功労賞が貰える。飛んだりはねたり2000回やると文化勲章であるし、ヨットでセクハラをやっていても文化勲章である。

ともかく、この国の芸術に謎解きを与えたり、テロの取引となるような作品はほとんど見当たらないようだ。
厳粛な人間が育たない国であるだけに、お先は真っ暗である。

とにかく、傑作に学べ、自然に学べである。学校ではなく、神に教えを請わないような人間に傑作はできっこない。


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