Micです
フ先生のお話通り、ソースブック勉強会をこの間開催しましたが、スクール夜の部は夜景もきれいで、日中のコースとはまた違った空気感です。ゆったりした雰囲気がなんとも心地よく、本気で周辺に住もうかと考えました
そうですね、さきの勉強会参加者の方から感想なぞいただけたらうれしいです。
さて、今日は言葉の話。
最近、英語と向き合うことをし始めました。
そして、素朴な質問が出てきました。
世の中にはナゼたくさんの言語があるのだろう?と。
日本では日本語が使えればまず不自由は感じないと思いますが、ヨーロッパなど国と国が陸続きですと、公用語がいくつかあったりしますよね。
海外に旅行に行ったときなど、世界全部が日本語話していたらいいのに…と思ったのは私だけではないハズ。
言語の違いが生まれた起源ストーリーとして有名なのが、バベルの塔ですね。(知らない人は調べてけろん。興味深い話です)
何かの本でこんなことをいってたのが印象的でした。
「この世を創った創造主(エネルギー)は多様性を望んでいる」と。
異なる言語を生んだそもそもの理由がここにあると私は思いました。「違う」というのは、流れる風や水のようにとても自然な現象なんだと思います。
その昔、私は船で世界一周したことがあるのですが、そのとき「地球って色んな人が住んでるなー」と本当に思いました。とっても当たり前のことなんですけど、それを深く体感したんでしょうね。
言葉・肌の色・体型・通貨…本当に行くとこ行くとこ違うんですよ。
でも、やはり共通点があって、それは同じ人間だということ。
家族や友人がいて、それぞれの人生ドラマがある。楽しいときには笑顔を見せるし、悲しいときには涙を見せる。どこでも同じでした。
地域によってそれがオープンに表現されているか、シャイな形で出ているかの差はありましたが。
そんなたわいもないことを感じるだけで、ジーンときてしまったものです。
そういうことに気づくと、表面上の言語の違いなどはどうでもいい些細なことに感じてきました。発音や文法が間違ってないかという恐れも吹っ飛んで、そういうものを越えて、対面しているその人まるごとを理解したい、と思うようになりました。
私はこの感覚がとてもターコイズを連想させます。
個の違いがありつつ、大きなところで共通したものがあるという感覚。
オーラソーマでポマンダーのターコイズが外国語を使うときによいとされているのにも、このようなことが隠されているのではないかと考えます。
表面上の違いを越えて理解し合っていくことは、ターコイズの集合無意識とつながっていくことにもなるのではないでしょうか。
地球上に存在している人間を含む様々な生命体は、みな違う形や質を持っています。
そろそろ私たちは「違う」ことを恐れるのではなく、「違う」ことの素晴らしさを理解・喜ぶ時期にきているのではないでしょうか。
それができたとき、私たちは言語ではなく、テレパシーといった非言語でコミュニケーションすることが普通になるんじゃないかなーと思います。
そんな日が早くこないかな~と思いつつ、英語辞書に悪銭苦闘している今日この頃です。
Love, Light & Harmony!
フ先生のお話通り、ソースブック勉強会をこの間開催しましたが、スクール夜の部は夜景もきれいで、日中のコースとはまた違った空気感です。ゆったりした雰囲気がなんとも心地よく、本気で周辺に住もうかと考えました
そうですね、さきの勉強会参加者の方から感想なぞいただけたらうれしいです。
さて、今日は言葉の話。
最近、英語と向き合うことをし始めました。
そして、素朴な質問が出てきました。
世の中にはナゼたくさんの言語があるのだろう?と。
日本では日本語が使えればまず不自由は感じないと思いますが、ヨーロッパなど国と国が陸続きですと、公用語がいくつかあったりしますよね。
海外に旅行に行ったときなど、世界全部が日本語話していたらいいのに…と思ったのは私だけではないハズ。
言語の違いが生まれた起源ストーリーとして有名なのが、バベルの塔ですね。(知らない人は調べてけろん。興味深い話です)
何かの本でこんなことをいってたのが印象的でした。
「この世を創った創造主(エネルギー)は多様性を望んでいる」と。
異なる言語を生んだそもそもの理由がここにあると私は思いました。「違う」というのは、流れる風や水のようにとても自然な現象なんだと思います。
その昔、私は船で世界一周したことがあるのですが、そのとき「地球って色んな人が住んでるなー」と本当に思いました。とっても当たり前のことなんですけど、それを深く体感したんでしょうね。
言葉・肌の色・体型・通貨…本当に行くとこ行くとこ違うんですよ。
でも、やはり共通点があって、それは同じ人間だということ。
家族や友人がいて、それぞれの人生ドラマがある。楽しいときには笑顔を見せるし、悲しいときには涙を見せる。どこでも同じでした。
地域によってそれがオープンに表現されているか、シャイな形で出ているかの差はありましたが。
そんなたわいもないことを感じるだけで、ジーンときてしまったものです。
そういうことに気づくと、表面上の言語の違いなどはどうでもいい些細なことに感じてきました。発音や文法が間違ってないかという恐れも吹っ飛んで、そういうものを越えて、対面しているその人まるごとを理解したい、と思うようになりました。
私はこの感覚がとてもターコイズを連想させます。
個の違いがありつつ、大きなところで共通したものがあるという感覚。
オーラソーマでポマンダーのターコイズが外国語を使うときによいとされているのにも、このようなことが隠されているのではないかと考えます。
表面上の違いを越えて理解し合っていくことは、ターコイズの集合無意識とつながっていくことにもなるのではないでしょうか。
地球上に存在している人間を含む様々な生命体は、みな違う形や質を持っています。
そろそろ私たちは「違う」ことを恐れるのではなく、「違う」ことの素晴らしさを理解・喜ぶ時期にきているのではないでしょうか。
それができたとき、私たちは言語ではなく、テレパシーといった非言語でコミュニケーションすることが普通になるんじゃないかなーと思います。
そんな日が早くこないかな~と思いつつ、英語辞書に悪銭苦闘している今日この頃です。
Love, Light & Harmony!