昨日、ブログに書いた怪我のこと。
引き続き、しばらくつらい日々が続きます。
とはいえ、もちろん、ブログを立ち上げる状態になったということは、
もう許してもらえたのでご安心ください。
でも、そのときは、いろんな獣医師に相談したり、
インターネットで質問したり、
眠れぬ夜が続きました。
病院では、すこしずれていたらもっと危険だった(命が)とか、
「猫で、ほんとにここまでなるものなんですか?」と
看護士さんに云われるくらいものすごいケガで、
結局リンパに回って大変な思いをしました。
ことしも、まだ注射治療などがのこっている有様です。
だから、さきのことがわからないでよかった、と
思う私です。
たぶん、また子猫とかみつけてしまったら、
助けてしまう...もちろん脳みそは多少学習しているので、
めんまの前には連れて行きません。
でも、助けちゃうでしょうね...
そして、めんまが、そんなに思いつめる猫だったということ、
初めからわかってたら、一緒に暮らせたか?というのもあり、
ほんとに未来のこと、知らないからこそ
生きていけるんだなあと感じました。
2007年6月21日。めんまは、最後までおかしな声で鳴き続け、
うなり、威嚇。身を沈め、顔を横に振る。(ねえちゃんにのみ)
ねえちゃんはめんまと、初めて別の部屋で寝る。
(寝室を閉めて寝て、めんまはにいちゃんとにいちゃん部屋に。)
22日、怖くて、ねえちゃんのトラウマもかなりなもの。
病院以外は外にいけず、熱も出る。
声をかけることはしていた。
23日、子猫をほかの病院に連れて行ってくれた
動物愛護団体に、めんまをたくし、車で病院に
連れて行ってもらい、また連れ帰ってもらった。
ねえちゃんは、保護団体の人に様子をきいたら、
「長年ボランティアやってるけど、この猫は(触るとか、
キャリーからだすとか)無理です。」といわれた。
にいちゃんが家に帰ってから出してもらったが、
去勢手術、日帰りとはいえ、そばにいてあげたいときに
いられないつらさがひしひし。
めんまの声を聞いて、ねえちゃん、一人で
寝室で泣く。
なんとか、かつおぶし(うちではぶしぶしといいます)
を戸の隙間からあげてみた。
24日、ご飯をねえちゃんのみからあげることを再開。
シャーッというものの、私の(居間の)いす、
私の場所にいついているらしい。
戸の隙間から声をかけると、「エ、エ」と鳴くが、
しばらくしたら、またシャーッということが続く。
25日。姉ちゃんのかばんの中におしっこをされた。
この日から、暑いのに皮の分厚い、
中型犬が食いついても大丈夫そうなジャンパーを着て
めんまのまえに出てみた。
めんまは、ねえちゃんを求めて鳴くが、
触ってごろごろ言い出していても、いきなり
手をバシッと払いのけて威嚇を始める。
...と、一進一退のまま、28日は、ねえちゃんに
眠っていためんま、いきなり走ってきて襲いかかりました。
夢を見たのではないかと思います。
写真は、にいちゃんの足元で安心しているめんまです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/28/56f40058f5b14ffa4489b01685389ec5.jpg)
30日、保護した白猫のこと、いくら安いといっても
とても費用がかさんできて、困り果てていたら、
友人が「うちでひきとってもいい」との
涙が出るほどありがたい申し出。
ただ、すぐアレルギー反応や、白猫の大声で
友人にもストレスがかかってしまい、
ひと月後にはねえちゃんの親の家にとにかく移動させました。
白猫は、保護した当時はだれにでもあまえるような
そぶりでしたが、成長するにつけ、用心深い内弁慶な
子に育ちました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/5d/6e27a033f1bc3fe14236d0af8d517ed8.jpg)
ひと月後の移動になってしまったのは、
ねえちゃんの怪我の悪化、それとちょうどひと月以内に
ギャラリーでのねえちゃんの個展が前から決まっていたので、
もうどうしようもなくて友人に甘えてしまっていたということからです。
ねえちゃんは、夏の間くらいまで、
少なくともGジャンを気続けました。
6月30日、白猫を動かすためと、
白猫の薬を貰いに7月9日に病院に行ったところ、
病院のにおいか、白猫のにおいかでめんまに
また威嚇をされました。
その後、今に至るまで、めんまは
「浮気チェック」と呼ばれる、においチェックをするようになりました。
くんくんくんくん、お風呂に入るまでずっとチェックが続く日々です。
にいちゃんには、特に大丈夫。
たとえ白猫を抱っこした後でも大丈夫なのですが、
ねえちゃんだけ、とにかくチェックされます。
白猫は、実はとにかく目にでていたように風邪で、
ただその他の病気はなしでした。
入院(預けていた)間、治療をしてとても良心的な
病院でありがたかったです。
その後も、目薬などを貰ってちょうど、
親のところにいったときは直っていた感じです。
親も、実はがんなどの闘病生活をしています。
年齢のいっている、病気のひとにふつう預けるか?と
思いつつ、もともとめんまをあげようと
思っていたくらい、猫、小鳥、となくなってがっくりきていた親ですから、
もう、親に甘えて、ねえちゃんは、
白猫をあずけって貰い、(女の子だったので)
不妊手術をして里親を探そうと思ったわけです。
名前は、ほとんど真っ白で、目がアクアマリンのブルー、
あたまにうっすらとグレーの筋が少しだけある美人さんなので、
まりんにしようか、耳や手などがももいろなので
ももにしようか、さくらにしようか。と迷った挙句、
「もも」となりました。
親いわく、「1ヶ月はなかなか近寄ってこなかったわよー」だそうです。
もともととても小さかったので、手術はまだ先になりました。
オリエンタルショートヘアかな?というかんじの、
すらっとした華奢な子です。
めんま、8月にはいってからの写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/b5/a60ccd3a9a6b86089a395d99b5473e5d.jpg)
手術後は、10日か、2週間か、もっとだったかもしれませんが、
にいちゃんいわく「感情がフラットになっていて、
なんか、なんにもうれしがったり、おもちゃで遊んだりしない。
ロボトミー手術を受けたみたいだ。」というような
状態で、それも、手術のこともあるだろうし、
手術後のケガ回復期の場合は多少そうなったかもしれないのですが、
ずっとそのままだったら、ねえちゃんのせいかも。
と、思い悩んだものです。
7月頭には、威嚇を時々したものの、チュッチュもしたり、
7月29日には雷がなったときもシャーッといわれたり
(にいちゃんにはいわず。ねえちゃんにのみ。)
しながらも、じょじょに、じょじょに、
前のめんまがもどってきました。
ねえちゃんは、ほんとに、その経過を息をつめて
見守っていた状態です。
鉛筆などもにぎれないほど手がはれてたので、包帯で
固定して書き物をしてたなあ、とか、
思い出しました。よく、個展が無事迎えられたものです。
個展のときも、包帯してましたっけ...
引き続き、しばらくつらい日々が続きます。
とはいえ、もちろん、ブログを立ち上げる状態になったということは、
もう許してもらえたのでご安心ください。
でも、そのときは、いろんな獣医師に相談したり、
インターネットで質問したり、
眠れぬ夜が続きました。
病院では、すこしずれていたらもっと危険だった(命が)とか、
「猫で、ほんとにここまでなるものなんですか?」と
看護士さんに云われるくらいものすごいケガで、
結局リンパに回って大変な思いをしました。
ことしも、まだ注射治療などがのこっている有様です。
だから、さきのことがわからないでよかった、と
思う私です。
たぶん、また子猫とかみつけてしまったら、
助けてしまう...もちろん脳みそは多少学習しているので、
めんまの前には連れて行きません。
でも、助けちゃうでしょうね...
そして、めんまが、そんなに思いつめる猫だったということ、
初めからわかってたら、一緒に暮らせたか?というのもあり、
ほんとに未来のこと、知らないからこそ
生きていけるんだなあと感じました。
2007年6月21日。めんまは、最後までおかしな声で鳴き続け、
うなり、威嚇。身を沈め、顔を横に振る。(ねえちゃんにのみ)
ねえちゃんはめんまと、初めて別の部屋で寝る。
(寝室を閉めて寝て、めんまはにいちゃんとにいちゃん部屋に。)
22日、怖くて、ねえちゃんのトラウマもかなりなもの。
病院以外は外にいけず、熱も出る。
声をかけることはしていた。
23日、子猫をほかの病院に連れて行ってくれた
動物愛護団体に、めんまをたくし、車で病院に
連れて行ってもらい、また連れ帰ってもらった。
ねえちゃんは、保護団体の人に様子をきいたら、
「長年ボランティアやってるけど、この猫は(触るとか、
キャリーからだすとか)無理です。」といわれた。
にいちゃんが家に帰ってから出してもらったが、
去勢手術、日帰りとはいえ、そばにいてあげたいときに
いられないつらさがひしひし。
めんまの声を聞いて、ねえちゃん、一人で
寝室で泣く。
なんとか、かつおぶし(うちではぶしぶしといいます)
を戸の隙間からあげてみた。
24日、ご飯をねえちゃんのみからあげることを再開。
シャーッというものの、私の(居間の)いす、
私の場所にいついているらしい。
戸の隙間から声をかけると、「エ、エ」と鳴くが、
しばらくしたら、またシャーッということが続く。
25日。姉ちゃんのかばんの中におしっこをされた。
この日から、暑いのに皮の分厚い、
中型犬が食いついても大丈夫そうなジャンパーを着て
めんまのまえに出てみた。
めんまは、ねえちゃんを求めて鳴くが、
触ってごろごろ言い出していても、いきなり
手をバシッと払いのけて威嚇を始める。
...と、一進一退のまま、28日は、ねえちゃんに
眠っていためんま、いきなり走ってきて襲いかかりました。
夢を見たのではないかと思います。
写真は、にいちゃんの足元で安心しているめんまです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/28/56f40058f5b14ffa4489b01685389ec5.jpg)
30日、保護した白猫のこと、いくら安いといっても
とても費用がかさんできて、困り果てていたら、
友人が「うちでひきとってもいい」との
涙が出るほどありがたい申し出。
ただ、すぐアレルギー反応や、白猫の大声で
友人にもストレスがかかってしまい、
ひと月後にはねえちゃんの親の家にとにかく移動させました。
白猫は、保護した当時はだれにでもあまえるような
そぶりでしたが、成長するにつけ、用心深い内弁慶な
子に育ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/5d/6e27a033f1bc3fe14236d0af8d517ed8.jpg)
ひと月後の移動になってしまったのは、
ねえちゃんの怪我の悪化、それとちょうどひと月以内に
ギャラリーでのねえちゃんの個展が前から決まっていたので、
もうどうしようもなくて友人に甘えてしまっていたということからです。
ねえちゃんは、夏の間くらいまで、
少なくともGジャンを気続けました。
6月30日、白猫を動かすためと、
白猫の薬を貰いに7月9日に病院に行ったところ、
病院のにおいか、白猫のにおいかでめんまに
また威嚇をされました。
その後、今に至るまで、めんまは
「浮気チェック」と呼ばれる、においチェックをするようになりました。
くんくんくんくん、お風呂に入るまでずっとチェックが続く日々です。
にいちゃんには、特に大丈夫。
たとえ白猫を抱っこした後でも大丈夫なのですが、
ねえちゃんだけ、とにかくチェックされます。
白猫は、実はとにかく目にでていたように風邪で、
ただその他の病気はなしでした。
入院(預けていた)間、治療をしてとても良心的な
病院でありがたかったです。
その後も、目薬などを貰ってちょうど、
親のところにいったときは直っていた感じです。
親も、実はがんなどの闘病生活をしています。
年齢のいっている、病気のひとにふつう預けるか?と
思いつつ、もともとめんまをあげようと
思っていたくらい、猫、小鳥、となくなってがっくりきていた親ですから、
もう、親に甘えて、ねえちゃんは、
白猫をあずけって貰い、(女の子だったので)
不妊手術をして里親を探そうと思ったわけです。
名前は、ほとんど真っ白で、目がアクアマリンのブルー、
あたまにうっすらとグレーの筋が少しだけある美人さんなので、
まりんにしようか、耳や手などがももいろなので
ももにしようか、さくらにしようか。と迷った挙句、
「もも」となりました。
親いわく、「1ヶ月はなかなか近寄ってこなかったわよー」だそうです。
もともととても小さかったので、手術はまだ先になりました。
オリエンタルショートヘアかな?というかんじの、
すらっとした華奢な子です。
めんま、8月にはいってからの写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/b5/a60ccd3a9a6b86089a395d99b5473e5d.jpg)
手術後は、10日か、2週間か、もっとだったかもしれませんが、
にいちゃんいわく「感情がフラットになっていて、
なんか、なんにもうれしがったり、おもちゃで遊んだりしない。
ロボトミー手術を受けたみたいだ。」というような
状態で、それも、手術のこともあるだろうし、
手術後のケガ回復期の場合は多少そうなったかもしれないのですが、
ずっとそのままだったら、ねえちゃんのせいかも。
と、思い悩んだものです。
7月頭には、威嚇を時々したものの、チュッチュもしたり、
7月29日には雷がなったときもシャーッといわれたり
(にいちゃんにはいわず。ねえちゃんにのみ。)
しながらも、じょじょに、じょじょに、
前のめんまがもどってきました。
ねえちゃんは、ほんとに、その経過を息をつめて
見守っていた状態です。
鉛筆などもにぎれないほど手がはれてたので、包帯で
固定して書き物をしてたなあ、とか、
思い出しました。よく、個展が無事迎えられたものです。
個展のときも、包帯してましたっけ...