円地文子の小説「女面」に「野々宮記」というくだりがあって、
六条御息所の一般のイメージを払拭し、
源氏に書かれたその人にスポットを当てようとしています。
円地さんがかなり思い入れをしている人物です。
古来、六条御息所は怨霊、生霊のおどろおどろしい姿となって葵の上を取り殺した、
との一定のイメージが定着しています。
この既成の嫉妬の権化のようなイメージが固定化したのは、
能の「葵の上」が大きいといいます。
そうあの後シテの般若面、ですね。
確かにこの御息所は藤壺に匹敵する。
高貴な年上の貴婦人、
源氏に惹かれながら自分の意志を持ち、源氏から身を離していく、
そういう自立した女性像、
そういう共通点があります。
それなのに、片や永遠の女性、
片や生霊ばかりか、死霊ともなって
老いを迎え始めた源氏の周辺に出没するのですから、
その落差は大きい。
源氏の、藤壺に対する思慕、
叶えられないことゆえ、別の高貴な女性に求めた、
それが御息所だった、
強い自我をもち、
サロンの女主人公、知性の群を抜いていたそのひとの、
人生を狂わせてしまったのね。
また、共通する点として、
源氏に靡いた馴れ初め、が語られていない。
藤壺は若紫の巻で既成のこととして語られ
(それと匂わせている空蝉の巻でも、やはり既成事実なんですね)、
御息所も夕顔の巻で
六条わたりの御忍び歩き
と既成のこととしている、
そしてその頃には、もてあまし気味らしき若き源氏のようすも
間接的ながら分かってきます。
ところで、夕顔の巻では
六条わたりの愛人の身分は明かしてはいないのです。
打ち解けぬしっくりいかない間柄であることを
ほのめかしているだけなのですね。
対照的に語られる夕顔のなよやかな中の品の女、
が浮かび上がるように演出されている。
でもどういうわけでしょう、
円地源氏はあえてここで六条御息所その人となりを明かして登場させた、
そうご本人が記しています。
(昔円地源氏から読み始めたのですが、全然記憶にない…)
さて、この御息所の生霊、多く語られますが、
死霊になっても源氏物語の第二部、に登場し、
40代の老境?!にさしかかった源氏をも許さない、
かけがえのない人をあわや取り殺そうとします。
源氏が昔語りのなかで、
ほんのちょっと御息所のことを思い出しながら触れた、
それが引き金でまた彷徨い出てきます。
紫の上は、心労の上に
強力な霊力によっていったんは息絶えてしまいます。
三宮の柏木の思いがけない恋の災難も、
あるいは突然の宮出家の決意も、
どうも御息所の霊力のなせるわざ、との解釈は、
今の源氏研究にのっとっています。
円地源氏の理解、
なるほどと思う新たな発見あります。
御息所の、経済的基盤である財産の管理能力が、きわめて優れていた、
という点です。
すごいですね、こんな視点、
学者の研究なくはないのでしょうが、
作家が着目するのですから、やはり読み方が違います。
六条院そのものが、
御息所旧邸地→秋好中宮里邸を元に造営したわけですし、
六条院の表向きの女主人公は、ほかならぬ秋好中宮、
実際は紫上だとしてもです。
ですから、秋好中宮→退位した冷泉院の邸宅に移住=里邸ではなくなる。
財産は源氏の子孫のものに…、
ここに御息所の霊を呼び覚ます結果となった、
というわけです。
やっぱり、怖いですねー。
六条御息所の一般のイメージを払拭し、
源氏に書かれたその人にスポットを当てようとしています。
円地さんがかなり思い入れをしている人物です。
古来、六条御息所は怨霊、生霊のおどろおどろしい姿となって葵の上を取り殺した、
との一定のイメージが定着しています。
この既成の嫉妬の権化のようなイメージが固定化したのは、
能の「葵の上」が大きいといいます。
そうあの後シテの般若面、ですね。
確かにこの御息所は藤壺に匹敵する。
高貴な年上の貴婦人、
源氏に惹かれながら自分の意志を持ち、源氏から身を離していく、
そういう自立した女性像、
そういう共通点があります。
それなのに、片や永遠の女性、
片や生霊ばかりか、死霊ともなって
老いを迎え始めた源氏の周辺に出没するのですから、
その落差は大きい。
源氏の、藤壺に対する思慕、
叶えられないことゆえ、別の高貴な女性に求めた、
それが御息所だった、
強い自我をもち、
サロンの女主人公、知性の群を抜いていたそのひとの、
人生を狂わせてしまったのね。
また、共通する点として、
源氏に靡いた馴れ初め、が語られていない。
藤壺は若紫の巻で既成のこととして語られ
(それと匂わせている空蝉の巻でも、やはり既成事実なんですね)、
御息所も夕顔の巻で
六条わたりの御忍び歩き
と既成のこととしている、
そしてその頃には、もてあまし気味らしき若き源氏のようすも
間接的ながら分かってきます。
ところで、夕顔の巻では
六条わたりの愛人の身分は明かしてはいないのです。
打ち解けぬしっくりいかない間柄であることを
ほのめかしているだけなのですね。
対照的に語られる夕顔のなよやかな中の品の女、
が浮かび上がるように演出されている。
でもどういうわけでしょう、
円地源氏はあえてここで六条御息所その人となりを明かして登場させた、
そうご本人が記しています。
(昔円地源氏から読み始めたのですが、全然記憶にない…)
さて、この御息所の生霊、多く語られますが、
死霊になっても源氏物語の第二部、に登場し、
40代の老境?!にさしかかった源氏をも許さない、
かけがえのない人をあわや取り殺そうとします。
源氏が昔語りのなかで、
ほんのちょっと御息所のことを思い出しながら触れた、
それが引き金でまた彷徨い出てきます。
紫の上は、心労の上に
強力な霊力によっていったんは息絶えてしまいます。
三宮の柏木の思いがけない恋の災難も、
あるいは突然の宮出家の決意も、
どうも御息所の霊力のなせるわざ、との解釈は、
今の源氏研究にのっとっています。
円地源氏の理解、
なるほどと思う新たな発見あります。
御息所の、経済的基盤である財産の管理能力が、きわめて優れていた、
という点です。
すごいですね、こんな視点、
学者の研究なくはないのでしょうが、
作家が着目するのですから、やはり読み方が違います。
六条院そのものが、
御息所旧邸地→秋好中宮里邸を元に造営したわけですし、
六条院の表向きの女主人公は、ほかならぬ秋好中宮、
実際は紫上だとしてもです。
ですから、秋好中宮→退位した冷泉院の邸宅に移住=里邸ではなくなる。
財産は源氏の子孫のものに…、
ここに御息所の霊を呼び覚ます結果となった、
というわけです。
やっぱり、怖いですねー。
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