枕草子は、清少納言の鎮魂の書、
最後のほうにおかれた、300段
やがては下るといひたる人に
思ひだに かからぬ山のさせも草
たれか伊吹の 里は告げしぞ
実方への鎮魂の歌を載せて終わる、少納言の思いに打たれたのでした。
枕草子は、今は亡き定子さまへの鎮魂のために書かれた、
それはもちろんそうなのです。
少納言の潔さは、定子への賛美に徹していたこと、
それを引き出すためにのみ、自分の“われぼめ”があること、
草紙から読み取れるにもかかわらず、
誤解を生む表現、
紫式部日記のような女房たちの目をものともせず、
栄光の地位から一気に零落していく定子一門にもかかわらず、
一切暗部を捨象、華やかな一面のみを称える、
亡き中宮さまへの鎮魂の書、であります。
でも、それだけではなかったのです。
かつて愛した人の、配流・無念の死に対する想い、
それを直接表現するのは風雅を解しないこと、
あるいは何か摂関家・帝に対して憚ることだったのかもしれません。
…さしも草さしも知らじな燃ゆる思ひ
の実方の歌を受けた、
少納言の魂の声が聞こえてくるようです。
最後のほうにおかれた、300段
やがては下るといひたる人に
思ひだに かからぬ山のさせも草
たれか伊吹の 里は告げしぞ
実方への鎮魂の歌を載せて終わる、少納言の思いに打たれたのでした。
枕草子は、今は亡き定子さまへの鎮魂のために書かれた、
それはもちろんそうなのです。
少納言の潔さは、定子への賛美に徹していたこと、
それを引き出すためにのみ、自分の“われぼめ”があること、
草紙から読み取れるにもかかわらず、
誤解を生む表現、
紫式部日記のような女房たちの目をものともせず、
栄光の地位から一気に零落していく定子一門にもかかわらず、
一切暗部を捨象、華やかな一面のみを称える、
亡き中宮さまへの鎮魂の書、であります。
でも、それだけではなかったのです。
かつて愛した人の、配流・無念の死に対する想い、
それを直接表現するのは風雅を解しないこと、
あるいは何か摂関家・帝に対して憚ることだったのかもしれません。
…さしも草さしも知らじな燃ゆる思ひ
の実方の歌を受けた、
少納言の魂の声が聞こえてくるようです。
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