若菜上下では、
六条院世界の壮大さと華麗さ、
そしてまた、その秩序の内実が大きく変貌を遂げていく様相が、
二重奏のように同時進行していったのでした。
思わぬほころびは、
御息所の死霊によって、生死を彷徨う紫上に,
付き添う源氏の留守に起こったのです。
悲劇の結末をもたらす、柏木の「闇にまよはむ」道ならぬ執着、
彼自身の意思からはなれたところで、
その執心が独り歩きしていく様が語られています。
柏木の女三宮への異常な執着の遠因を、
幼いときより、乳母同士の関係で事に触れて宮の様子に接していて、
かかる思ひも つきそめたるなりにけり
柏木は姉の二の宮を娶るのですが、宮への思いは深まるばかり、
もとよりしみにしかたこそ なお深けれ
つき染めたる、染みにしかた、という表現をしています。
思い染める、染む、という言葉で、
ひとやりならず(誰のせいでもない)、さるべきこと(宿世)
に絡みとられてしまった様を語ります。
こうした執心の柏木が、忍んでいった宮の寝殿、
当初は宮の声を聞くだけでよいと思っていたのです。
ところが、らうたげな宮の反応に、一方的な大胆な行動に出てしまう柏木,
その状態のまま、夜明けの退出のときには、
柏木自身は宮から離れていくのに、
魂は身体から離れ、宮の元にとどまりぬる心地す、
と、柏木の「まどひ染めにし魂」にふれています。
離魂、
学者は、ここにあの六条御息所の生霊との共通性を見ます。
しかし、御息所がわれに返って自分を取り戻すことができたのとは違い、
柏木を、離脱したまま元に戻らぬ魂、
ぬけがらになって身体が置き去りにされてしまったすがたにしてしまいます。
こうして柏木の巻では、
源氏の眼力の一撃でノックアウトしてしまった哀れな柏木の
衰弱し切ったようすと、
綿々と宮に「あはれ」を乞う、最期の場面が語られます。
柏木 あはれとも いふべき人は おもほえで
身のいたづらに なりぬべきかな
いまはとて 燃えん煙もむすぼほれ
絶えぬ思ひのなほや残らん
宮の返歌
君だに 言はば恋ひわびて
死なむ命も 惜しからなくに
たちそひて 消えやしなまし 憂きことを
思ひ乱るる 煙くらべに
宮は返歌を急かされて、
身重の自分のほうがよほど死にたいのです、
と真っ当な気持ちを言っただけなのですが、
柏木は身贔屓に解して、
泡の消えいるやうにて 亡せたまひぬ
と、「水泡のように」はかなくなってしまったのです。
同時に、古今和歌集の引歌によって、「水泡のように」とは、
実らぬ恋に殉じてしまった柏木のあわれさも示しているのです。
六条院世界の壮大さと華麗さ、
そしてまた、その秩序の内実が大きく変貌を遂げていく様相が、
二重奏のように同時進行していったのでした。
思わぬほころびは、
御息所の死霊によって、生死を彷徨う紫上に,
付き添う源氏の留守に起こったのです。
悲劇の結末をもたらす、柏木の「闇にまよはむ」道ならぬ執着、
彼自身の意思からはなれたところで、
その執心が独り歩きしていく様が語られています。
柏木の女三宮への異常な執着の遠因を、
幼いときより、乳母同士の関係で事に触れて宮の様子に接していて、
かかる思ひも つきそめたるなりにけり
柏木は姉の二の宮を娶るのですが、宮への思いは深まるばかり、
もとよりしみにしかたこそ なお深けれ
つき染めたる、染みにしかた、という表現をしています。
思い染める、染む、という言葉で、
ひとやりならず(誰のせいでもない)、さるべきこと(宿世)
に絡みとられてしまった様を語ります。
こうした執心の柏木が、忍んでいった宮の寝殿、
当初は宮の声を聞くだけでよいと思っていたのです。
ところが、らうたげな宮の反応に、一方的な大胆な行動に出てしまう柏木,
その状態のまま、夜明けの退出のときには、
柏木自身は宮から離れていくのに、
魂は身体から離れ、宮の元にとどまりぬる心地す、
と、柏木の「まどひ染めにし魂」にふれています。
離魂、
学者は、ここにあの六条御息所の生霊との共通性を見ます。
しかし、御息所がわれに返って自分を取り戻すことができたのとは違い、
柏木を、離脱したまま元に戻らぬ魂、
ぬけがらになって身体が置き去りにされてしまったすがたにしてしまいます。
こうして柏木の巻では、
源氏の眼力の一撃でノックアウトしてしまった哀れな柏木の
衰弱し切ったようすと、
綿々と宮に「あはれ」を乞う、最期の場面が語られます。
柏木 あはれとも いふべき人は おもほえで
身のいたづらに なりぬべきかな
いまはとて 燃えん煙もむすぼほれ
絶えぬ思ひのなほや残らん
宮の返歌
君だに 言はば恋ひわびて
死なむ命も 惜しからなくに
たちそひて 消えやしなまし 憂きことを
思ひ乱るる 煙くらべに
宮は返歌を急かされて、
身重の自分のほうがよほど死にたいのです、
と真っ当な気持ちを言っただけなのですが、
柏木は身贔屓に解して、
泡の消えいるやうにて 亡せたまひぬ
と、「水泡のように」はかなくなってしまったのです。
同時に、古今和歌集の引歌によって、「水泡のように」とは、
実らぬ恋に殉じてしまった柏木のあわれさも示しているのです。
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