花菖蒲

日常やら何やらかんやら気儘に綴ります。気儘に。

欠如

2019-02-15 15:45:45 | やつがれシリーズ~心を捜して~
何が足りないのか…
実際はハッキリしてるし、認識をしたい訳でも無いから敢えて目を逸らしてきた。
あまり差支えはしなかったから…
欠落してる事は認識してる。
けれども欠落したそれをどうにかしたいとは特に感じなかった。
でも、何故か何とも云えない感覚に陥ったのは何故だろうか?
珍しく刺さった。心に強く。
不意に感じる。
いつもならば捨て置く事柄に対して何故か哀の感情を抱いてみたり…
何が何だか訳が分からなくなる。

優しさが無い。
よく、言われる。
自分でもその認識はある。
人の本当の優しさに触れた事が無かった。
それもある。
でも、結局はやつがれが先天的にそう云う部分が欠如してる事が最大の原因だろう。

サイコパス
この言葉は今では広く知られて居るだろう。
やつがれは間違いなく、どう足掻いても当て嵌まる。
と、云うか逃げるだけ無駄?
そう自ら感じるレベルである。
しかし何かしら色々なものが重なってるからか破壊衝動や良心の呵責が起き得る様な行動や衝動は上手く抑制出来ている。
後は快楽に関する部分も特に強くは出ない。
只、サイコパスの検査的なテストは間違いなくサイコパスを示す。
どんなタイプのテストをやっても程度は様々だが、必ずサイコパスの枠からは外れない。
やつがれが抑圧し、抑制出来てる理由は単に自分を客観的に見れてしまう妙な冷静さがあるからなのだろう。
この切り換えは幼少期から可能だった。
しかし、あまりやらなかった。
やつがれが変わるきっかけをくれた人の影響で再びこの切り換えを頻繁に使う様に最近なってきた事に気付いたのは数日前である。
色々と考える。
何故、今になってこんなにも
優しさの欠如に関して何となく気に掛かるのだろうか…
矢張り帰省して何かを取り戻した様な気がする。しかし、結局は諦めや叶う事は無いのだろうと感じたものが多かった。
もし、帰省した事により本当に得てきたものがあったのだとしたら、おそらく欠落した感情の一部に在った物なのかも知れない。
気が回らない訳じゃない。
けれど其処で手を伸ばす事をしない。
助ける必要が本当にあるかを冷静に見極めてる間に周りが手を出してるってのもザラ。
兎に角、動く前に緊急時では無ければやつがれは思考する。
緊急時は緊急時で冷静に動き過ぎてきみ悪がられたりするのもザラ。
そんな事も思い出したけれど、何となくどうでもよく感じられて…

普通の人が持つ当たり前の優しさを得たい。
そう、強く感じたやつがれの内面の想いを叶えてみたくなった。
それが有ればもしかしたら助けれるのでは無いだろうか?
そう、感じたのだ。
助けになりたい。
そう思える人が増えたからなのだろうか…

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