粗碾き蕎麦の美味しさを求めて

地元箕輪町上古田産石臼碾き「信濃1号」が主体の蕎麦屋です。

「一人で勝手にやれば」語る会 23

2011-07-09 10:23:13 | 語る会
 この詩は、童話作家の新美南吉さんの詩です。
新美南吉(にいみなんきち)は、1913-1943   29歳没
 愛知県半田市出身
 代用教員をやっていたが29歳の若さで結核に罹り没。
 「北の(宮沢)賢治、南の南吉」と云われた童話作家
宮沢賢治 岩手県花巻市出身
 でんでんむしのかなしみ

 いっぴきのでんでんむしがありました。
 ある ひ でんでんむしは たいへんな ことに きが つきました。
 
「わたしは いままで うっかりして いたけれど、 わたしの せなかの からの  なかには かなしみが いっぱい つまって いるでは ないか」
 
 この かなしみは どう したら よいでしょう。 
 でんでんむしは おともだちの でんでんむしの ところに やって いきました。

 「わたしは もう いきて いられません」

 と その でんでんむしは おともだちに いいました。

 「なんですか」

 と おともだちの でんでんむしは ききました。

 「わたしは なんと いう ふしあわせな ものでしょう。 わたしの せなかの  からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるのです」

 と はじめの でんでんむしが はなしました。
 すると おともだちの でんでんむしは いいました。

 「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも かなしみは いっぱいで す」

 それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつのおともだち の ところへいきました。
 すると その おともだちも いいました。

 「あなたばかりじゃ ありません。 わたしの せなかにも かなしみは いっぱい です」

 そこで はじめの でんでんむしは また べつの おともだちの ところへ いき ました。
 こうして、 おともだちを じゅんじゅんに たずねていきましたが、 どの とも だちも おなじことを いうので ありました。
 とうとう はじめの でんでんむしは きが つきました。

 「かなしみは だれでも もって いるのだ。わたしばかりでは ないのだ。 わた しは わたしのかなしみを こらえて いかなきゃ ならない」

 そして この でんでんむしは もう、 なげくのを やめたので あります。
 おしまい。 続く。

「一人で勝手にやれば」語る会 22

2011-07-08 17:00:55 | 語る会
 今回「一隅を照らす生き方を求めて」と銘打っての私の想いをお聞き頂いているわけですが、ここで、昨年の暮れ12月30日と31日に私が体験した嬉しい話を二題お話しさせていただきたいと思っていました。しかし、話が長くなりそうですし、それに、歌まで唄ってしまいましたので止めにします。私の身近にいる二人の女性を通しての、とてもいい話でしたが残念です。

□ここから私が皆様方にどうしてもお伝えしたかった肝心な部分の話に少しずつ入っていきます。小田切和雄心の世界の話です。そんなことを云いましても、今でも私自身、いろんな悩みをいっぱい抱えならら精一杯生きているんです。どうにもうまくいかない人間関係もあります。経済的なこと等考えると思い切り落ち込んでしまいそうです。人に云えない悩みも山ほどあります。この顔で。みんなそうだと思います。人には見せないだけです。強がっているだけです。そして、その心のバランスをとるために、私は伊那の町に飲みに出かけます。一人が多いです。そして、お酒が入ると大概の人は元気になり明るくなります。気が大きくなり、ついでに声も大きくなり態度もデカくなります。私も同じです。でも、帰りの電車。その電車から私は一人、木下の駅で降ります。家が近くなるにつれ寂しさが顔をのぞかせます。寝室のドアーを女房に気づかれないよう静かに開け、ソット布団にはいるといろいろ反省します。こんな生き方でいいのかなァ?あんなこと云っちゃったけど、いのかなァ。悲しさが湧いてくることもあります。そんな時思い出す「詩」があります。少しマイナーで哀しくなりますが、皆さんに紹介したいんです。人間の深い部分と、優しさを突いている詩です。
 

「一人で勝手にやれば」語る会 21

2011-07-07 08:39:16 | 語る会
蕎麦屋をやっていても今のお話しのように暇な時もいっぱいあります。もう蕎麦屋なんて止めてしまおうかなんて思う時もあります。そんな時は一燈の窓から綺麗な西の空を眺めて泣いています。いいえ、私は泣き言は言いません。愚痴も言いません。「空が綺麗だなー」「西山が綺麗だなー」と言って誤魔化します。でも、もし私達が一燈の窓から外を哀しそうに見ている姿が確認できたときは、100㍍も行かないうちに方向転換できるところがあります。そこから引き返して一燈へ来て下さい。ほんとに、そんな思いになることもよくあります。

□こんなに車がいっぱい春日街道を走っているのに「一燈の看板点いていないのかなー」と、確認に行きます。でも、電光掲示板はチカチカ光っています。白色発光ダイオードです。毎月リースで払ってます。のぼり旗だって一生懸命ハタハタしてお客さんを呼んでくれています。私達も一生懸命働きたいのにお客さんが見えてくれないことには始まりません。こういう時あまり深く考えないようにしています。深く考えたら「鬱」になってしまいます。私が「鬱」になったら、女房も「鬱」になります。女房が「鬱」になったら、お手伝いしてくれている女房の姉さんも「鬱」になります。スタッフみんなが「鬱」になったら、そうですお客さんも「鬱」になります。「鬱」は、うつるんです。

□そのような暇な時には思いを込め打った蕎麦がたくさん余ります。そして、その蕎麦を私は手を合わせながら捨てるんです。「ごめんね」「ごめんね」と云いながら。だから、私のカラオケでの18番は小林旭の「ごめんね」です。 続く。

「一人で勝手にやれば」語る会 20

2011-07-06 14:53:50 | 語る会
 忘れもしない今年の1月7日(金曜日)朝から寒い日でした。12時になってもお客さんが見えない、12時半、まだ誰も見えない。1時が過ぎた。嫌な予感が胸をよぎる。「今日は、坊主か」坊主って解ります。(業界用語でお客さんが誰も見えないこと)を云うんです。窓の外を恨めしく眺めます。車はいっぱい走ってる。看板も付いている。閉店まで後20分になってしまった。でかいソバ釜はグラグラ煮えている。寒いからストーブもエアコンもフル稼働です。天井の60ワットのクリプトン球も全て点けてある。この時間になると私たちもお腹がすいてくる。かといって今日は一度も蕎麦を茹でてないから、釜がきれいだ。自分たちの蕎麦を茹でて汚してしまうと後の片付けが大変だ。それに、もったいない。そうだ、今日はかき揚げ丼にしよう。と決めた。閉店15分前。一燈の玄関に人影。ドアーの鈴が鳴り、ご夫婦が入ってきてくれた。複雑な心境です。「あァ、よかった坊主じゃあない」という思いと「釜を洗うんだ」という思いと。
 
 そのお客さん、テーブルに着くなり「かけそばを、二つ下さい」とご注文され旦那さんはすぐトイレに行かれた。かけそばをお出しして、ボツボツそば湯を用意しようと思っていると、「お会計を」とのこと。「えらい早いなー」と思いました。帰られた後、その客席の片付けに行くと、「アリャー。ほとんど食べてない。」ご主人の方は半分ぐらい減っていたが、奥さんはほんの少し減っているだけ。考え込んでしまった。解らない。こういう時の私の言葉。「マー、イイか」。これを言うとだいたいのことが楽になります。許せるんです。許しの言葉「マー、イイか」。暖簾を下げ、女房がトイレをお掃除に行き帰ってきた。「さっきのお客さん、解った。トイレに弾んでいたんだわ。紙が無くなり予備の紙をセットしてあった。」なーんだ、そうか。どっかで食事をしてお腹イッパイだったんだ。ただ、トイレを借りたかったんだ。

 さて、ここからが哲学です。「まったくもう、トイレを借りるために入ってきたんだ」と、とるか、「お陰で釜を洗わなきゃァーだよ」なーんて、とるか。「あァよかった、お客さんが入ってくれて、ありがとうございます。」と、とるか。それとも、「何も感じないか」取り方によってえらい違いが出ます。お店に誰も来てくれないのと、一人でもお客さんが来てくれるのでは商売をやっている方ならよく解ると思います。えらい違いです。この日1月7日(金曜日)は何か、神様・仏様が一生懸命、一燈にお客様を入れてやろうと思い、あの時間帯に、あの多摩ナンバーの車を、あのお客さんを選んでトイレを催すようにしてくれたのだと思っています。本当にその日はそう思いました。ありがたいことです。


「一人で勝手にやれば」語る会 19

2011-07-02 13:44:32 | 語る会
 蕎麦屋をやっていてもお客さんが沢山入って頂き、パニクってしまうような嬉しい日もタマにはありますが、考え込んでしまう時もあるんです。それは、今まで来てくれていた常連さんがピターと来なくなってしまう時。そのような時には、いろいろ考えてしまうものです。何か気に入らないことがあったのかなァとか、一燈の味が落ちたのかなァとか、ともかくいろんなことを考えるものです。でも、お客さん側の事情もあるからと、あまり深く考えないようにしています。そして一燈では「最近あの人見えないね」なんて言葉は禁句にしています。では、一燈では何を大切にしているかというと、一燈ではこの言葉を大切にしています。私の大好きな言葉の一つです。それは「今を大切に、目の前の人を大切に」。そうです。今見えてくれているお客さんに精一杯接すること。それしかないと思っています。
 「今、目の前の人を大切に」ということを常に自分に言い聞かせながら蕎麦屋をやっていますが、お客さんが来てくれないことにはそれができません。今、目の前に大切にしたいお客さんがいないんです。 続く。