粗碾き蕎麦の美味しさを求めて

地元箕輪町上古田産石臼碾き「信濃1号」が主体の蕎麦屋です。

タンポポ

2012-04-29 11:13:05 | 雑感
5月1日に同級生とゴルフに行くことになり、それでも多少はクラブを握っておこうと庭に出た。素振りの練習をしようと雑草をめがけてクラブを振った。やはりいつもの癖で素振りでも腕に力が入ってしまい、力みが抜けない。これでは本番で力んでしまうのは無理もない。100を切れないのは全て「りきみ」だと判ってはいる。

名もない雑草をクラブで払っているとフト雑草に申し訳なくなってくる。俺の勝手で、しかも遊びで、雑草などの命を奪っている等と考えてしまう。何もそこまで自分を責めなくともと思う。その雑草の中にタンポポが綺麗に咲いている。チョット待て。さすがに其処を目がけてクラブは振れなかった。非情な俺にも一分の魂か?いや待て、この草はよくて、この草はいけないのか?命に違いがあるわけではあるまい。でもやっぱりタンポポは残した。

だが待てよ、雑草が大きくなればいつものようにビーバーで一網打尽に草を刈ってしまうではないか?何を考えているのだ。そうである。「命を考えている」のだ。草だけではないぞ、昆虫や、蛙、それに名も無き虫など沢山の命を勝手に奪っているのだ。その中で自分が生きているのだということを少なくとも自覚しておこう。



芝桜

2012-04-28 11:56:51 | 雑感
一燈の桜の花も散り始め葉桜の占める割合が多くなってきた。あちらこちらお家の庭にはレンギョウの花、木蓮、花もも、椿、三つ葉ツツジなどが咲き誇っていて、どの花を見てもそれぞれに感動を覚える。

若かりし頃はレンギョウや木蓮の花を見ても是といって意識などしたことはなかった。ツツジや花モモも特に意識などしなかった。それがいつ頃からであろうか、なんともそれぞれの花が自分の心の世界で占める割合が広くなってきたように思う。

木蓮のどちらかと言えば地味に見える花も、なんとも表現するのが難しいが色や形が素晴らしい。微妙な色合いとバランスのとれた形。素晴らしいとしか表現しようがない。

それらの花も素晴らしいが、私はだいぶ以前から芝桜が好きになった。好きなくらいだから自分の庭にも芝桜でイッパイにしたいのだが、これがまた難しい。毎年、移植をしていかないと駄目らしいのだ。いい加減で雑な性分の自分には到底出来ないし、最初からあきらめている。せめて、よそのお家の綺麗な芝桜を眺めて喜んでいようと思う。

初音

2012-04-25 11:47:52 | 釣り
前日の睡眠不足と一燈への思わぬ多数のご来客による疲れが重なったのか、昨晩は嬉しいことに朝五時まで熟睡することができた。今年に入って初めての経験である。さらに嬉しいことに、その目覚めも「ウグイスの鳴き声」に因るものであった。

朝のソバ打ちも身体が軽く、心も晴れやかに、従ってお蕎麦も好い蕎麦を打つことができたと思っている。いつもこんな目覚めができれば嬉しいことだがそんなに甘くないのは今まで経験で判っている。

ウグイスの姿を見ようと目を凝らして見渡しては見たが、ついぞ確認することはできなかった。この時期渓流釣りに行ってもよくウグイスの鳴き声は聞くが、姿はあまり見たことはない。義姉さんにそれを言うと「あまり綺麗とは言えない」とのこと。

それにしても、今朝の目覚めは最高のプレゼントであった。感謝・感謝

桜吹雪

2012-04-24 15:06:29 | 釣り
穏やかな陽気で綺麗な青空。今日は高遠も花見客で賑わっていることだろう。
やはり花見は青空がよい。日曜日は行き付けのスナックの花見にお呼ばれされていたので行ってきたが、あいにくの空模様であった。でも気を利かせていただき屋内での花見となった。寒かったのでストーブまで付けてあった。花見というのに何とも桜の花はそっちのけ、お酒とご馳走、それに酔いが廻っての芸達者の出し物に私などは度肝を抜かれてしまった。

今日は一燈の定休日ではあるが、たまたま御予約のお客様が二組もあって営業させていただいた。どちらのお客様も高遠のお花見の帰りということで充分堪能されて帰ってこられたご様子であった。

帰り際、玄関の戸を開けお客さんをお見送りに行くとなんと、桜吹雪であった。先日まで蕾であったのにもう花を散らせている。なんだかもったいないようでもあり、つい、無常観に浸ってしまった。でも花はまだ良い。来年もまた咲くからね。

籾まき始まる

2012-04-21 11:22:21 | 釣り
桜の開花と共に、にわかに田や畑仕事に精を出す人たちが増えてきた。
ソバ打ちが終わり、ほんの一時、近くに散歩にでるとMさん宅の農業用ビニールハウスに大勢の人が見えたので挨拶をすると、ただいまもみ播き中とのこと。

非農家の私は初めてみる光景に驚いた。まず、もみ蒔きの機械そのものに「よく考えられたものだ」とびっくりした。それと毎年のことで慣れている作業とはいえ、家族や親戚の方々の作業役割分担の手際よさに感心した。

田植えから以降の光景は毎年見ていてある程度は理解できてはいても、もみ蒔きの仕事をじっくり見せてもらったということは67年生きてきて初めてだ。

普段は腰が曲がっていて痛そうに見える人や、足が痛いといっているご婦人も、なにか生き生きと分担された仕事をこなしていた。

農家の方々も目に見えない作業を坦々とこなし秋の収穫を迎えるのだなァと改めて感心した。たまには「ゆとり」を持ってゆっくりと散歩などをしてみるのもいいことだ。それが新たな発見と感動をもたらしてくれるものだと思った。