粗碾き蕎麦の美味しさを求めて

地元箕輪町上古田産石臼碾き「信濃1号」が主体の蕎麦屋です。

「一人で勝手にやれば」語る会 17

2011-06-30 10:28:00 | 語る会
 おかげさまで当初、願っていたような、若いお二人さんが結構来てくれるようにもなりました。上品なお客さんが多いです。そして、ゆっくりくつろいでいただけるような蕎麦屋になったらいいなァと思っていたら、そのようなお客さんも増えてきました。後もう一つ、思っていたこと。それは、できたら遠くから来てくれるお客さんが増えたらいいなァと思っていたら、最近では一燈の駐車場にも県外車が多くなってきました。岐阜、名古屋、多摩が多いような気がします。 遠くのお客さんと云えば、印象に残っているお客さんがいましたので聞いて下さい。

 これは「バカな男の話」です。バカな男とは私のことです。この話は、止めようかと思いましたが、やります。
 皆さんは蕎麦屋の情景(一燈の店内)を頭に描きながら、又、私の姿を想像しながらこの話を聞いて下さい。
 一昨年の秋のことです。スラッとした和服の麗人がこれが又、いい男とお店に入って来られました。綺麗な人は得ですね。お店もパアッと輝きます。そのように見えるから不思議です。私の瞳も輝きます。女房がお蕎麦の注文を聞きに行くと、そのご婦人「私、玄を戴くわ」。おッ格好いい、通だ。と、厨房にいる私。何処から来た方々かなァ、と厨房のドアを開け車を見に行く。「富山かァ。」車は「BMW」。「まァイイか。」お二人で楽しそうにお話ししながらイイ雰囲気でお蕎麦を手繰っています。うらやましいなー。
嗚ー呼ァ、俺もこんな風に誰かと旅をしたいなァ、いやアー、誰かじゃーなくて女房とでした。そんなことを思いながら夢見心地です。その時、そば湯をお出しする合図のタイマー。「ピッピッピッピッピッ・・・・・」接客は私の役目ではないのに、何を思ったか「そば湯、俺が行ってくる」と私。「バカだねェ。」と、女房。うやうやしくそば湯をオヘギに乗せ、男性には目もくれず、和服の麗人に向かい「そば湯をどうぞ」と、その瞬間。その女性がお蕎麦を口に入れたままお顔を上げて私の方を見た。綺麗なその人のお口から長いお蕎麦が・・・・・・。お帰りになる姿も絵のように綺麗でした。お着物は紬でしたかねェ。「こちらへ来たら、また寄らせていただきます」なんて云ってくれたのに、まだ見えないです。 つづく

「一人で勝手にやれば」語る会 16

2011-06-29 09:27:23 | 語る会
□また、それを後押しするように、佐藤一斎の「言志晩録」の中にある言葉。「一燈を掲げて暗夜を行く。暗夜を嘆く事なかれ。ただ、一燈を頼め。」という言葉が浮かんできました。 その佐藤一斎という方は、徳川幕府の唯一の大学である昌平坂学問所を統括していた儒学者で、当時、数千人の弟子がいたそうです。吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟などはその孫弟子に当たると云われています。その「言志四録」はあの有名な西郷隆盛も愛読されていたそうです。

「一燈を掲げて暗夜を行く。暗夜を嘆く事なかれ。ただ、一燈を頼め。」この言葉は、先も見えない真っ暗で大変な状況であろうと、嘆いたり、くじけてはいけない。自分の心の内に掲げた一つの灯りを頼りに、信じて進んで行きなさい。ということだと思います。 そのような一燈という名に思いを込め一生懸命蕎麦を打っています。 続く。

「一人で勝手にやれば」語る会 15

2011-06-25 11:07:26 | 語る会
 さて、蕎麦屋を始めたのは、60歳からです。今になって考えてみると、蕎麦屋の名前を「そば切り 一燈」と付けたのはよかったなァと思っています。いろんな店名を考え、あれこれ迷いましたが、でもどうしても自分の思いとピッタリ来なかったんです。

そんな時、仏典の中にある「貧女の一燈」という言葉が思い浮かんできました。貧女とは「貧しい女」と書きます。この話は、昔ヒマラヤに近いインドの祇園精舎というところに仏様がやってくるということで、その国の王様や大富豪達が燈明を焚くことになった。それを知った一人の貧しい老女は「私も仏様の説法をどうしても聞きたい、そして、少しでも仏様の通る道を明るくして差しあげたい。」と思い、その老女は自分の髪の毛を切ってそれを売り、油にしようとしました。そして、油売りの所へ行ったのです。油売りはそのけなげな老女の気持ちに感動し、少しばかり余計に油を手渡したそうです。そしていよいよ仏様の一行が祇園精舎に差しかかった時、風が吹いたり、雨が降ったり、油が尽きたりしてほとんどの燈明は消えてしまった。しかし、その老女の僅かばかりの燈明だけは朝まで消えずに灯っていたというお話しです。お弟子様が不思議に思い、そのことを仏様に尋ねると「信仰の厚いものの燈明はたやすく消えるものではない、その女性は、遠い未来のその功徳により素晴らしい仏になるであろう」と云われたそうです。「賢愚経」等に出てきます。この貧女の一燈のお話しが頭の中に残っていて、そうだ「一燈だ。」ということになりました。 続く。

「一人で勝手にやれば」語る会 14

2011-06-23 15:25:43 | 語る会
最近は習字を習っています。イヤというほど自分に字が思うように書けないか、癖っぽいのか、下手なのかを思い知らされています。横に一本線を引く「一という字」でさえいまだに自分で納得いくように書けません。先生の書く「一の字」と、私の書く「一の字」の字の違いがよーく解るようになりました。「上手いなーという字」や、「味のある字」が少し解るようになりました。

私の習字の先生は、「丸山翔風先生」と云い、翔風会という習字の塾をやってます。毛筆と硬筆共に文部科学省の最高位の資格を取得しているまだ30代入ったばかりの青年です。教え方がとっても的確で、何より親切で、優しく、丁寧に指導してくれます。私と同じ歯科技工士ですが、将来は書道の世界で大成するであろうと私は大いに期待して、その日の来るのを楽しみにしています。隔週土曜日の2時半から、「そば切り 一燈」で教室をやっていますから、興味のある方は見学に来てみて下さい。 続く。

「一人で勝手にやれば」語る会 13

2011-06-22 11:28:39 | 語る会
自分でやってみて、体験してみて初めてその世界が少しだけ解るものです。私も今までいろんな事を経験しました。でも、みんな中途半端で大したことできませんでした。歯科技工所の経営も価格競争の波が押し寄せ、それがいやで情熱を無くしてしまいました。人を蹴落としてまで生きていく世界がいやだったんです。自分でも歯科技工は天職だとまで思っていた大好きな仕事でした。だからいまだにいまだに未練がましく間を見てはソッとやっています。そして、趣味や遊びも色々やりますが、あまり上手ではありません。下手です。 続く。