粗碾き蕎麦の美味しさを求めて

地元箕輪町上古田産石臼碾き「信濃1号」が主体の蕎麦屋です。

みんな大変だ

2013-02-10 12:02:04 | 語る会
先日、歯科技工業の先輩「O」さんとスナック「T」へ行った。O先輩の奥さんが2年ほど前から鬱状態で妄想も出てしまうとのこと。従って奥さんを一人にしてなかなか外へ出ることが出来なくなっている。そのような状態で刺激が少ないから最近特に物忘れが酷いということである。たまには歌でも唄って脳を活性化させようということであった。

先輩は唄いたい歌をメモしてポケットに忍ばせてありそれをチラッと見ながら何曲も唄っていた。私も唄いたい気持ちはあるのだが、歌手名や、曲名がなかなか出てこない。物忘れが酷くなっているのは10歳年上の先輩とあまり変わらないと思った。

ママさんもここの処お客さんが少なくお店をやっていくことが大変だとぼやくことしきりだ。「ママさん、俺だって同じだよ。客商売は大変だよ。」と返したかったが、折角楽しもうと思ってきたのに愚痴ばっかりではいけないと、先輩と共に大いに唄って店を後にした。

なんだかよく解らないが、お酒を飲み歌も唄ってきたが、落ち込んでしまい見た夢も訳の解らない暗い夢であった。何か明るいことないかなァ。ロト6でも当たってパーッとみんなに振る舞ってみたいものだ。頼むよほんとに。

「一人で勝手にやれば」語る会 27

2011-07-16 11:13:04 | 語る会
 大変な被害にあった名取市。その名取市で被災された名取市職員の張り紙が市役所入り口に張られているのが紹介されました。張り出されたそのメッセージのメモです。「最愛の妻と、生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。 いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう精一杯生きます。 被災された皆さん、苦しいけど、負けないで!名取市職員S」この張り出されたメッセージに、どれほど疲れ切った被災者が勇気づけられたことでしょう。

 また、テレビを通し、ある報道が伝わってきました。家を流され全てを失った方の言葉です。「私達は生きていられたからまだイイ。亡くなってしまった方がいっぱいいるんです。もっと大変な方々の所へ行って助けてあげて下さい。」

 岩手県大船渡市の「東海新報」の女性記者のお話しが新聞に掲載されました。要旨のみ紹介させていただきます。地元新聞社で原稿を書いている時に震度6強の激しい揺れを感じ、その後に来た言葉を失うまでの津波に、彼女の自宅も、見慣れた風景もありとあらゆる建物や、施設全てが無くなっていたそうです。その女性記者である鈴木さんの、取材インタビューに応じてくれた女性のことばです「持ってった。全部、津波が」と云ったきり、鈴木さんの前で泣き崩れてしまったそうです。津波に自宅を飲み込まれた女性記者の鈴木さん曰く。「私より困っている人がはるかに多い。つらいという気持ちはない。今こそ新聞記者としての役割を果たす時だと感じている。」と、また、曰く「毎日、涙で前が見えなくなる。仕事中に泣くなんて社会人失格。でも、悲しくて泣くこともあるけれど、うれしくて泣けることの方がはるかに多い」。「うれしくて泣けることの方がはるかに多い。」どういう事でしょう。みなさんどう思われますか?言葉を失うような悲惨な状況の中で、自分も大変な中、それでも周りの人を助けようとされる人達。、人間の命の奥深くにある、本来持っている優しい心、慈悲の心に接し、嬉しくなるんでしょう。 続く。


「一人で勝手にやれば」語る会 26

2011-07-15 07:07:39 | 語る会
「一隅を照らす生き方を求めて」なんて、偉そうな演題を掲げていますが、「一隅を照らす」という言葉は、現在でもいろんな方々が云っています。そして、それを実践している集まりもあります。しかし、そのルーツは像法時代(西暦800年頃、桓武天皇の時代)の日本に於ける仏教の正師、所謂仏様である「伝教大師・最澄」さまの言葉です。それによりますと、一隅とは今あなたがいるその場所のことで、家庭や職場など、自分自身が於かれているその場所がいわゆる一隅だそうです。その一隅で精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人。という意味です。そして、自分の為ばかりでなく、周りの人の幸せや、国家や、社会全体にまでそのような思いや、言葉や、行動が伝わっていけば、やがて安穏な世界が実現するということだそうです。

□今回の東日本大震災でそのような心優しい方々があらゆる処で活躍され、それが報道されました。我々も知らない、そして報道もされないような過酷な状況の中で黙々と活動された多くの方々がいると思います。震災に遭われた多くの方々がどれほどその優しさに心を癒され事でしょう。直接の当事者でない我々は、ともすると悲惨な記憶が薄れがちになってしまいそうですが、決して目をそらしてはいけない事実だと思います。

□震災の話はもう聞きたくない、と思われる方もいると思いますが、あえて、私も思わず目頭が熱くなってしまった幾つかの記事をここで、ご紹介させていただきます。続く


「一人で勝手にやれば」語る会 25

2011-07-13 13:45:53 | 語る会
もう一つ、どうしても紹介したいことがあります。
カントについてのお話しです。カントって、知らない?カントを知らないなんて、いカントよー。

今から200年も前の、ドイツの哲学者、大学教授 80歳没
3批判書
 純粋理性批判 実践理性批判 判断力批判

  カントは蹄鉄屋の子、馬具職人として生まれ、生まれつきくる病であった。背中に瘤があり、乳と乳の間は僅か2インチ半、脈拍は絶えず120~130、喘息で、いつも苦しげに喘いでいた。ある時町に巡回医師がやってきてた。父はカントをその医師に診察を頼んだ。

□その医師の言葉「気の毒だな、しかし気の毒だと思うのは身体を見ただけのことだよ。考えてごらん。身体はなるほど気の毒だ。それは見れば分かる。だがあなたは、心はどうでもないだろう。心までもせむしで息が苦しいなら別だが、あなたの心はどうでもないだろう。

 苦しい辛いと言ったところで、この苦しい辛いが治るものじゃない。あなたが苦しい辛いと言えば、おとっさんだって、おっかさんだってやはり苦しく辛いんだ。言っても言わなくても、何にもならない。言えば言うほど、みんながよけい苦しくなるだろう。苦しい辛いというその口で、心の丈夫なことを喜びと感謝に考えればいい。
 身体はともかく、丈夫な心のお陰であなたは死なずに生きているじゃないか。死なずに生きているのは丈夫な心のお陰なんだから、それを喜びと感謝に変えていったらどうだね。そうしてごらん。私の言ったことが分かったろ。それが分からなければあなたは不幸だ。 これだけがあなたを診察した私の、あなたに与える診断の言葉だ。分かったかい。 「薬はいりません。お帰り」  宇野千代著「天風先生座談」より 続く。


「一人で勝手にやれば」語る会 24

2011-07-10 10:43:57 | 語る会
 私の大事にしている言葉の一つに、ある覚者の言葉があります。覚者というのは、何か宇宙の一分を悟った方なんでしょうね。

 私の好きな言葉。 「よろこべば喜びが、喜びながら喜び事を集めて喜びに来る。悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみごとを集めて悲しみに来る。」

 と。あります。よく吟味すると、凄いことを云っていると思います。たとえ、どうしようもない辛い現象が目の前にあっても、辛い、哀しいとばかり云ってると、その現象がいつまでも持続するから、云わない方がよいと言うことです。嬉しいなァ、楽しいなァ、幸せだなァ、感謝します、と云っているとその言葉を言いたくなるような現象が目の前に現れる。ということです。続く。