粗碾き蕎麦の美味しさを求めて

地元箕輪町上古田産石臼碾き「信濃1号」が主体の蕎麦屋です。

楔(くさび)

2012-06-29 12:00:41 | 釣り
長年使いっぱなしで、手入れ無しであった我が家の農機具も、ようやっと手がは入り油が注がれ、そして見事に蘇った。しかし、柄の部分に隙間が出来てグラグラしているのが気になっていた。ツルハシ、じょれん、万能クワの3本だ。

今朝、小物入れから鉄製の楔(くさび)を探し出し、その楔を金槌で打ち込んでいった。昔の人はよく考えたものだ。その形状には工夫の跡が幾つも見て取れた。そしてグラグラしていた柄がシッカリと固定できた。さて、張りきって農作業に精を出すとするか。

それにしても、今朝の新聞一面に、私にとってはあまり見たくもない政治屋のお二人がまたまた載っていた。まったくもう、楔でも打ち込んだるかい。

変身か?

2012-06-28 12:15:32 | 釣り
懇意にさせていただいている「Mさん」はメカに強いばかりでなく、機械や道具をよく手入れをされている。それと、物置も、私から見ればよく整頓されていて、何処に何があるかよく解っているみたいである。

その影響を受けたのか、最近になり自分も機械や農具などの手入れをやたらとするようになった。管理機、ビーバー3台、動力噴霧機、鎌、草掻き等を錆止めを噴霧しオイルを足した。

今朝は農具を10本、土を落とし、そして錆を出来る限り落とし、粗砥で刃を付け、必要に応じ中砥を使い仕上げていった。シャベル、ツルハシ、じょれん、万能クワ、草掻き、締めて10本。最後にさび止めを噴霧しビニールハウスに納めた。

67年生きてきて初めてこんなことをやった。土まみれ、錆だらけの農機具に、申し訳なくも思った。そして何より亡くなった親父を思い出した。「おめェもようやく気が付いたか、嬉しいよ」とでも云ってくれそうな気がした。

殿様気分。たまにはイイもんだ

2012-06-24 12:05:32 | 雑感
先週土曜日は夜の部の予約をいただき営業であった。8名様の予約であったが一般のお客様も二組もご来店いただき忙しい一時となった。蕎麦屋でのひとときを皆さん楽しそうに過ごされ二組のお客様10名はこれから辰野の蛍祭りへ繰り出すとのことであった。

そういえば、近くに蛍の名所(辰野)があるのに行ってないなァ。ゆとりが無いのか、情量の世界にあまり感心が無くなったのか、自分でもよく解らない。

昨日は本当に思いがけず、姉さんに温泉と、お食事のご招待をいただいた。唯の温泉でなく、いろんな種類の湯船があり、食事も洋食、中華、和食、居酒屋、何でも揃っていて我々は和食をいただいた。全て美味しかった。もちろんビールも。施設内にはいろんなリラクゼーションのコースも調っていて、自分は腰や肩が張っていたのでマッサージを選択した。マッサージも今まで経験したことがないほど満足度が高く、その後またゆっくりと薬草風呂、ジェットバスに浸かったりと普段の足軽生活から殿様になった気分であった。満足度充分で、久しぶりにこんな夢見心地の一日を過ごすことが出来た。帰りの車の中、女房がトイレで水を流すのを間違え非情ボタンを押したとの話を聞いて大笑い。よく笑わせてくれるよ。全てに感謝。感謝である。

雑草は強い

2012-06-20 10:01:35 | 釣り
ビーバーで刈っても刈っても生えてくる雑草。裏庭の雑草の上で不要になった様々な物を燃やしたので其処だけ円形脱毛症のようになっていた。昨日は其処にも雑草らしき草が生えてきた。その逞しさと生命力には感心してしまう。

ビーバーで刈られようが、除草剤を撒かれようが、火で焼かれようが、何も云うわけでもなく、ただ、あるがままに生えてくる。

それなのに、オクラは何と難しいのだろうと思ってしまう。アブラムシに弱い。寒さに弱い。手が掛かる。自分自身にしてもそうだ。チョット面白くないことがあるとすぐに不機嫌になったり、苛立ったり、怒ったりしてしまう。チョット良いことがあるとすぐに有頂天になり、またすぐに転けたりもする。泰然自若等という言葉にはほど遠い自分だ。

それでも、なんとか自分らしく生きようと思ったりもする。良いとこも多少はあると開き直って。良いとこ半分、悪いとこ半分。良いとこを伸ばせばそれでイイ。自分に出来ることを自分らしくやればそれでイイ。それが、「時・処・位の自己限定」だ。

キュウリが生った

2012-06-16 13:40:35 | 釣り
草取りをやろうと畑に行って驚いた。立派なキュウリが2本、それも一本は先端を土の中に入れた状態で生っていた。2・3日前までは3センチぐらいでまだ収穫はだいぶ先だろうと思っていた。それが不意打ちを食らったように見事な状態で生っていた。今年に入ってミョウガの後に収穫できた野菜では初ものだ。嬉しい。

うれしくて家族に見せたが無反応で言葉も出なかった。亡くなった父親がよく畑から嬉しそうに野菜を収穫してきたが、その時の自分も父親に優しい言葉や、労いの言葉などかけてやれなかったのではと今になって反省している。

喜んでくれそうな人にその一本をあげることにした。今の自分には「タカがキュウリ1本」がとっても貴重で嬉しいのである。このところ、感謝、感激の日々や、事柄が続いている。有り難い。