東京は春爛漫、桜が満開との事。
我が信州伊那谷はまだまだである。もう4月も8日だというのに西山には雪が降っている日が多く、山頂半分くらいから上は雪景色だ。今朝8時の気温もマイナス1度と寒かった。本格的な春が待ちどうしい。
でも、一燈のカウンター席には桜が咲いている。花瓶に生けてある桜は、中庭の山桜の枝である。余り背が伸びてしまったのと、隣の敷地にまで枝が張ってしまったので思い切って慣れない枝の選定をした。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」等という言葉も知ってはいたが、馬鹿は馬鹿なりにやれる事は自分でやったという事である。その桜の枝である。
中庭の親桜はまだ一向に咲く気配はないが、さすが部屋の中は暖かいのだろう。それもそのはず、先日は朝までストーブが付けっぱなしであった。消し忘れだ。もったいないネ。
その花瓶の桜は根が付いていなくともチャンと花が咲くのには感動を覚えたのと同時に、来年は咲く事は無いのだという無常観をも感じてしまった。
我が信州伊那谷はまだまだである。もう4月も8日だというのに西山には雪が降っている日が多く、山頂半分くらいから上は雪景色だ。今朝8時の気温もマイナス1度と寒かった。本格的な春が待ちどうしい。
でも、一燈のカウンター席には桜が咲いている。花瓶に生けてある桜は、中庭の山桜の枝である。余り背が伸びてしまったのと、隣の敷地にまで枝が張ってしまったので思い切って慣れない枝の選定をした。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」等という言葉も知ってはいたが、馬鹿は馬鹿なりにやれる事は自分でやったという事である。その桜の枝である。
中庭の親桜はまだ一向に咲く気配はないが、さすが部屋の中は暖かいのだろう。それもそのはず、先日は朝までストーブが付けっぱなしであった。消し忘れだ。もったいないネ。
その花瓶の桜は根が付いていなくともチャンと花が咲くのには感動を覚えたのと同時に、来年は咲く事は無いのだという無常観をも感じてしまった。