乾酪庵 Cottage de fromage

スピブログとして発足しましたが、ただの日記になりつつあります。
最近は芸人さんの話題が多いです。

字が小さいだの声が小さいだの

2023-04-09 09:00:00 | 家族について考える

子どもの頃、よく母に言われたんですよ。字が小さい、もっと大きな字で書けばいいのに、的なことを。

今はそんなことないんですけどね、図々しいおばさんになりました笑

それで思うわけですよ、誰のせいで字が小さいのかと。

私に言わせれば、ですよ。あなた(実母)が散々怒鳴りつけるから、びくびくおどおどした性格になり、色々生きづらく、人見知りにもなるし、その帰結の一つとして『字が小さい』という現象が起こってるんじゃろがい、と。

こんなことがしょっちゅう起こるわけです。私にしたらいちいち腹も立ててられないというか、いつものことなんで、はーい分かりましたーって感じですけど。

こういう的外れな説教を浴びる度に母に対する感情は冷めていきますよね。

 

写真AC
写真はイメージです。

 

分かってるんですけど。いい年して親のせいって言うのみっともないですよね。

ここで問題にしたいのは、実際に母のせいだったかはともかく、小学生の女の子にここまで思わせたことの方です。分かりますか。

今の私が「母は悪くないの、あれはあれで一所懸命だったの」とか言うたったら、一体誰が小さい私の味方してあげられるんですかね。

別に母に私に対する愛情が無かったとは思ってないです。実際に一所懸命だったと思います。

 

話が逸れてきた。

同様に、声が小さいとも言われます。これは今でも言われますね。気を付けて喋るようにしています。

 

先日、Twitter で、『魔の二歳児』がトレンド入りしてました。

辛いですねぇ…。親御さん方、大変だと思います。

しかし私本っっ当に 物心ついて以来泣きどおしに泣きどおしたんで。

どうしても子供の方に感情移入してしまう~。

ここまで辛くて必死に助けを求めてるのに、子どものわがまま、時期的な問題でほっときゃ収まるぐらいにしか思われてない、それより親の方が大変ってそりゃそうかもしれないけど

 

なだめてもダメ、叱ってもダメ、抱っこしてもダメって、何時間も泣きどおしって大変だと思う、大変だと思うけどそこじゃない、そこじゃないんだよぉ~

そこに至る毎日の何気ない一言、一見問題なさそうな、泣いてもいない時の目線、表情。そういったものにヒントがあるのかもしれない。分かんないけど。子どもによるだろうから分からないけど。

 

字が小さい声が小さい。母に対して笑顔を見せない。この子はこういう子、で済ませてたら気づかないかもしれない。それはサインかもしれない。必死な S.O.S.  かもしれないのに。

 

ちょっともう、収拾がつかなくなってきたのでこの記事はこの辺で切り上げます。続くか続かないかは分からない。

予約投稿


ゆめのまにまに

2023-02-24 20:03:55 | 家族について考える

時々このブログでご報告してましたが(全部消しちゃったけど)、不定期に母の夢をみるんですよね。

先日も見たんですけど、母(と思しき女性)が、もっと優しくしてあげればよかったって泣いてた夢でした。私も泣いてましたけどね、夢の中で。

実際の、というか、私の知ってる母は、泣くような人じゃなかったというか、そういうの「泣けばいいと思ってる」としか思わない人でしたね。何でか知らないけど。

 

さぁ、どうでしょう。これはいわゆる霊夢の類いなのか、ただの夢なのか。


ゆっくりしていってね!!!

区別することに意味はないというか、どっちにしろ私の見ている夢には違いないわけですが。

 

「泣いたってどうにもならないんだよ 」ってよくどなりつけられましたけど。物心つくような、2~3歳ころから10歳くらいまででしょうか。

いやぁ、言わんとしてることはわかるんですけど、例えて言うなら熱がある人間を「鍛え方が足りん 」って言って寒空の下乾布摩擦させるようなものですよ。こっちからしたら助けを求めて(泣いて)るのに意味不明ですよ。

 

おお、ツイートを中央表示させるやり方が分かった

 

自分でもよくないと思うんですが、いい歳して親のせいって言うの。

しかし何で『詰み』なのかって言えば、ああしょっちゅう怒鳴られてたら、いわゆる自己肯定感、自己効力感、みたいなものが育たないですよね。

人を信頼できない状態になるし、人間関係その他にも積極的になれないし。

言いたかないけどイジメられやすくもなるしね。

基礎がその状態ではやり直してもしんどいね。それとも怒鳴られないように上手く立ち回ればいいのかね。人生(今世)2周目ならそれができるのか(ドラマの話です)。

 

親だって人間だ(完璧を求めるな)とか、根本には愛情があったとか、まぁそうだなと思うんですが、今さら謝ってもらっても、はぁ、お気持ちはわかりました。来世で子どもを持つとしたらその子に優しくしてくれれば、私の方はいいですよ、としか言いようが。

別に母を責めたいとか貶めたいとかでこういうこと書いてるつもりはないんですが、むしろそういう気持ちから解放されたくて、気持ちの整理のつもりで書いてる部分もあるんですが。

言い訳臭いですねそうですね。

 

ところで、ご存じの方はご存じかもしれないんですが。わたくし昨年末に某所にて小説を発表してまして。

その中で主人公が、夢の中  で色々な感情から解放される…、件(くだり)があるんですけど、なんで自分の書いた小説と同じ展開を迎えてるんですかね、私。

ああいうのも夢オチになるのかしら…。その辺はまた別で悩むとして。

 

この記事もそのうち消しちゃったらすみません。また近いうちにブログ更新する予定、ではいます。

 

 

 知らなきゃ良かった子育ての影響と、知っといてよかった子育ての影響5選【ゆっくり解説】 - YouTube 2023/02/20


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別に羨ましいわけではないけど

2022-12-09 18:00:00 | 家族について考える

芸能人のご家族が亡くなると、コメントなどが発表されたり、インタビューや、たまたま見たブログなどにその時の想いが書いてあったりする。

そうすると、一ヶ月経ったけど哀しみの底にいるとか、半年経ったがふとした時に涙が出てくるとか綴ってあったりする。

人と比べても意味がないことだが、私など当日(正確には翌日)も葬式の日も、用事が一通り終わった後は普通に Twitter やってテレビも視たければ視ただろうし食事も普通だったろう。普段と変わらない生活をしてた。

冷たいように思われるだろうし、実際白い目を感じたこともある。あからさまに何か言われたりはしなかったが(ほとんどの人には親切にしていただきました。ありがとうございます)。

だって別に哀しくないんだもん…。哀しそうにできるほど器用でもない(別に楽しくもなかったですが)。

今にして思えばいかに小さい頃から自分一人で生きてきたかという証左だと思われる、当人にしてみればそれが当たり前すぎて何が理由かなんてわからない。

もちろん食事の世話とか一通りの身の回りのことなどはしてもらってた。一見して虐待されてるようには見えなかったろう、どころか、母は多分よくやっていたのだろう、第三者的には。

だけど私は心理的に放置され続けた。どんなに目の前でのたうち回って苦しんでても泣けばいいと思ってるの一言で済まされいくら泣き叫ぼうが壊れた時計が鳴り止まないくらいにしか思われない。気持ちを持った人間だと扱われない。ただ幼いというだけで。

恨んでるとか許せないとか言うのとは違う。あの人を好きとか慕わしいとか思う理由もきっかけもなかったのだ。だってそう思いませんか。

泣いた時に抱っこして背中ぽんぽんなんてしてもらったこと一度もない。無視されるか怒鳴りつけられるか正論で説教されるか。言ってることは正しいかもしれないが、私の気持ちは一顧だにされたこともない。彼女の中にはそんなものは存在したことがなかった。

思い起こせばもちろん優しく(?)されたこともないわけではないが、それはこっちがある程度安定してる時に限られ、辛いから泣いてるのに泣けばとにかく𠮟られた。そういう生活が続くとヘンに優しくされると逆におもねってる、すり寄ってこられるようで気持ち悪く白々しく感じるのだ。

もう、2、3歳の物心着いた時には私には母との生活は苦痛にしか感じなかった。叱られればもちろん、優しく(??)されても苦痛なのだ。

私にはそんな母よりも家族よりも、画面の向こうから楽しませてくれ、時に慰め、励ましてくれる芸能人の方が、時に下手すると実在しないアニメキャラの方が心理的に距離が近いのかもしれない。彼らは私を傷つけないし追い詰めない。

家族や親しい人が亡くなって辛いと言う方。それはもちろん辛いと思う。別にそれを羨ましいとか恵まれてるとか言うことは私にはできない。自分を不幸だと思ってるわけでもない。

でもその辛い気持ちを淋しく思って見てる人間がどこかにいると思えば、今まであなたが守られてきた証しと思って多少は慰められないだろうか。

 

 写真AC

 

こういうことを書いていると自分がひどくわがままな娘と思われてそうで、今のとこ何も言われたことないんだけど、まぁ妄想かもしれないけどそう思われてそうで、いたたまれなくなって記事を消してしまったりする。でも我慢できなくてまたこうして書いてしまった。これも後で消したらすみません。

自分の生い立ちや経験について文章にしたいという欲求自体は失くしてないです。ただ乾酪庵(このブログ)ではしません。そのうち今までの記事もまとめて引っ越すかも。

お約束できる話ではないので忘れてもらっていいですよ。


また母ちゃんの夢を視ました

2022-10-25 20:00:00 | 家族について考える

備忘録。また母ちゃんの夢を視ました(以前の記事は現在非公開)。

病院のベッド。母ちゃんは個室で寝ておりました。

実際は自分ではまぶたの上げ下げくらいしかできなかったけど、夢の中では自力で寝がえりぐらい打ててましたね。

会話も少しはちゃんとできてた。これも実際には発語もできなかったんですが。

えーと、一応説明しておくと別に特別病気だったわけではないです。廃用症候群で関節が拘縮して全く動けなくなってたの。

これ読んでる4,50代以上の方、ストレッチと筋トレは簡単にでいいので習慣にしといた方がいいですよマジで。

亡くなった時母ちゃんは80代だったんですが、少し若返って見えました。

今日(仕事)代わってもらったのー? なんて言われて笑ってそうなのーなんて返したりしてました。

生前母と笑顔で会話したことなんてほとんどないです。物心ついたころには大嫌いだったので(なぜそうなったのかの説明は長くなるのでご容赦)。

あんま来れなくてごめんね、なんて言ったりした。目が覚めてぽろぽろ泣いた。病院行けなくて悪かったと一応思ってるのかね、私も。コロナの関係もあったが行こうと思えば行けたのだが。

そんな夢を視ました。

(予約投稿)


皆さまへ いつもありがとうございます。

2022-09-09 21:01:28 | 家族について考える

いつも読んでいただいてる方、たまたまここにたどり着いた方。ありがとうございます。

カテゴリー『家族について考える』の記事ですが、いったん非公開にしようと思います。

何故か急激に続ける気が無くなりました。

理由は自分でもよく分かりません。

ある程度吐き出しが終わって気が済んだのか、実の親を晒しあげてることに流石に罪悪感がうずいたのか。

両方なのかな、ある程度吐き出して心に余裕ができないと、罪悪感も芽生えないでしょう。

あるいは自分でも気づいてない別の理由なのか。分からないけど。

まだ書きたいことというか、書こうと思ってたことはたんまりとあるんですがね。

萩尾先生のところだけ残しておこう。一応続き物なので(途中でカテゴリーが『マンガ、アニメ』から『家族~』に変わってるが、家族の部分だけ消すとわけが分からなくなる)。

再開などは未定です。自分の気持ち待ちです。

別に精神的に落ち込んだりとかはしてないのでその点はご心配なさらず。ciao 


萩尾望都・考.3.5 ~ドラマ版 イグアナの娘~ 今度こそ完結編

2022-07-27 20:05:00 | 家族について考える

その3、として一度公開しましたが、読み返したところあまりにも長いので記事を分割しました。以前に公開した時と内容は変わってないです。

毎度の事、素人が印象だけで好き勝手に語ってます。ふわっと読んでくださいね。

萩尾望都・考 その1その2その3

 

 以下、イグアナの娘、最終回を視た感想。

最終回にカップル乱立する展開ってなんか名前ついてなかったっけw
ところで、かをりや伸子の母がやったように、気の弱い子を叱り飛ばすやり方って、実際には奮起するよりキズを拡げる場合の方が多いと思う。

 上記についてはドラマではカタルシスが必要なので、ある程度強い言葉を遣わないと伝わらないんだろうなと思います。現実でやるならば注意が必要と思いますが。

しつこくイグアナの話し。 子供を愛したいのに愛せない母。さぞや辛かったろう…みたいなラストになるんだけど、それは確かに辛いんだろうけど、その事に正当性を持たせちゃいけないよね。だってそれ小さい子には関係ないじゃない。 

あの時、親はああするしかなかったってのは実際あるだろうけど、それをなぜ子が受け止めなければならないのだろう。 少なくとも十代の子にはできなくて当たり前。多分九十過ぎても苦しんでる人いくらでもいると思う。

子は親を受け止める必要ないと私は思ってますが、ではああするしかなかった親はどうすればいいのか。 ん~、やっぱり自分の中で自分の親(祖父母)と決着する事だと思います。子に積み残すべきではないと思う。

親子の関係としては私はかをりの「恨んでる訳じゃないけど距離をおいて付き合えばいい」ってのが現実的だし、製作者の回答のひとつかなという気がします。 ただ、それだとリカのキャラ、というかこのドラマの温度と合わない感じがしますね。だからあれでよかったんでしょうね。

何度か書いてますが、私母子の問題の事あれこれ書きますけど、若いお母さんを責めたりプレッシャーを与えたりしたい訳ではないんです。 ちょっとの知識や心構えで防げる事があるかもしれない。子育てを若いお母さんだけの責任にせず社会全体で考えたい。大体この二つでしょうか。

そういう意味ではまず母親を救う社会であってほしい。それによってしか子供は救われないだろうと思います。 逆に(事例として分りやすいのでつい引き合いにしてしまいますが)イグアナの娘では、娘が母を理解する事で双方救われる話しなので、お話としては分かるけど順序が逆なのではと思ってしまう。

 双方救われる、というか、主人公が母親を理解するのは母親が亡くなった後なので、母親が救われたかは分からないのですが、それこそBGMや台詞などで、天国のお母さんにもきっと主人公の気持ちは届いてる…と視聴者に思わせている。これぞ正に演出の力。

これって主人公の年齢も関係ありそうですね。
原作 主人公が娘を出産➡母(祖母)の死
ドラマ 母の死(主人公まだ十代)➡後に結婚して出産
原作の順番だったら、母もまたイグアナだった、それによって苦しんでた事に主人公が気づく展開に無理がない。

 

 写真AC
ガラパゴス、で検索したらケータイの写真がいっぱい出てきて、ち、がーうってなった笑

 

日付を見ると私の実母が亡くなる直前なんですね。もういつ何があっても…、と言われてた時期です。

 

大人になり、母になって『イグアナの娘』に対する感想が変わった。っていう意見も拝見します。感想が変わること自体はいいとして、それで下の世代に『あなたも大人になれば分かる…』ってやってしまうのは、何も学習してないのと同じなのではと思えます。結局後の世代に積み残してるじゃない。

全く積み残さないというのも不可能なので、そこは塩梅を探るしかないのでしょうけどね。

 

女子美術大学特別公開講座「仕事を決める、選ぶ、続ける」レポート - ニュース:萩尾望都作品目録
 後半の方でイグアナ~の話

 

以上、長々とありがとうございました。


萩尾望都・考.3 ~ドラマ版 イグアナの娘~ ネタバレあるよ

2022-07-27 20:00:00 | 家族について考える

カテゴリー変わってますが前回の続きです。最終話です。

(…の、つもりでしたが、読み返したところあまりにも長いので3を分割して後半を3.5とします。以前に公開した時と内容は変わってないです)

毎度の事、素人が印象だけで好き勝手に語ってます。ふわっと読んでくださいね。

萩尾望都・考 その1その2その3.5

 

ドラマ版、『イグアナの娘』。
昨年、某所で再放送をしていたのを視て、その感想など Twitter に投げていたのですが、せっかくなのでまとめてみます。

 

 イラストAC

 

 おそらく2~4話辺りを視た感想。

原作だとイグアナは母の妄想なのか、実際そうなのかぼかしてる(と私は思う)んだけど、ドラマだとがっつりイグアナなんだね。ちょっと意味が違ってくる。 つまりイグアナがメタファ(暗喩)の役割をしなくなる。ドラマは分かりやすさを優先したのか…。

 '22.8.12 追記。むしろ『がっつりイグアナ』の方が暗喩になるんじゃないか。ややこしくて長い話になるから深堀りはしませんけど。

 

 4話。陸上の試合で怪我をした主人公の想い人について。

てっきり「もう走らないで❕」って言うかと思ったら、「最後まで走って❕」って言ってびっくりした。 時代かねぇ。今だったら走らせないよね。

 走らないのはあり得ないという意見も見かけたんですけど、例え棄権に終わっても、BGMやカメラワークなどで納得感を出すことは可能です。てゆうかそれをするのが演出なのでは。

 

 多分最終回か、その直前の感想

タイムラインでネタばれするのやめてけれ。知ってたけど😂
あと親友の死はストーリー展開として安易な気がしてあまりいいとは思わない。なつぞらで天陽くんが亡くなった時みたい。
そうでなくてもこの後(以下自粛

 おそらく最終回で主人公の母親が亡くなる展開を示唆してると思われます。

原作読んだの何年も前だけど、多分ドラマの方が主人公が自覚的に自立してる点は評価できる。

 エラそうですみません

 

次回、3.5話。萩尾望都・考、完結編。イグアナの娘、最終回の感想。