乾酪庵 Cottage de fromage

スピブログとして発足しましたが、ただの日記になりつつあります。
最近は芸人さんの話題が多いです。

週刊少年タイガ

2024-08-25 12:25:11 | マンガ、アニメ、ドラマ

大河ドラマの話が出たついで。

一昨年になるんですかね、『鎌倉殿の13人』を途中から(義経が参戦する辺りから)視始めましてね。もっと早く視ればよかったと思っております。

その流れで昨年の『どうする家康』と今年の『光る君へ』も視ているのですが、さて、その中でずっと気になってたことをひとつ。

 

『鎌倉殿~』の最終回で床に寝転がりながら吾妻鏡(鎌倉時代の歴史書)を読んでる若き徳川家康、つまり翌年の大河の主役が登場する、というシーンがあってですね。

「鎌倉殿の13人」最終回放送直前、トーク&パブリックビューイングに小栗旬、小池栄子、坂口健太郎らが登壇 | TVガイドWeb(リンク先に画像あり)

実際の家康も吾妻鏡を愛読してたらしく、面白い演出だなぁと、まぁそれはいいんですが。

 

私も当然、当時を実際見たわけじゃないので本当のところは知らんのですが、紙とか本とかって、時代にもよるでしょうけど、明治以前はまぁまぁ貴重品なはずなので。

書く時はもちろん、読む時も大事に扱ってたはずなんですよね。ちゃんと文机(ふづくえ)に置いて、正座して読んでたはずなんで。

 

 写真AC

 

こんなごろごろしながら読むなんてありえないと思うんですけどね、ジャンプかよ

…てなことを誰かツッコんでくれないかなー、とずっと思ってたんですけど、一年以上経って今のところ誰も言ってくれてるのを見てないので、とうとう自分でツッコんでしまいました。

 

いやー、別に細かいことを言ってケチつける気はないんですけどね。

 

今、明治以前と書きましたけど、江戸時代には庶民の趣味として読書や浮世絵収集が認知されてたみたい。安いものではなかったとは思うが。

 

『光る君へ』でも、越前和紙の紙漉きのシーンがあったりして。ああいうのを見てるのは楽しいです。和風総本家好きでした。豆助~。

話がそれてきたのでこの辺で。


今まで書いてきた事を一覧にしてみた

2024-08-16 18:00:00 | マンガ、アニメ、ドラマ

5月ごろに途中まで書いてたものを今頃清書してみる。先に言ってしまうとヘンなところで終わってます。

 

今まで書いてきた事、考えてきた事を一覧にしてみました。

多分私以外の人は全然面白くないと思います。個人的な備忘みたいなもんです。

なんか自分の脳をさらけ出してるみたいで妙に恥ずかしいんですけど。つくづく昭和脳ですね。

一応言っておきますが、ここに出してる作品の内いくつかは私が生まれる前のものです。私が子どものころは夕方の再放送ってゆう文化がまだあったんですよ。どっちにしろ昔の話しだけどな。

 

- ('66)パーマン ('66)巨人の星 ('72)ベルばら ('77)999 ('81)C翼 ('11)タイバニ
A - 飛雄馬 ロザリー 鉄郎 小次郎 -
B パーマン - オスカル メーテル 若林 バニー
C パー子 花形満 アントワネット - 虎徹
D ブービー 伴宙太 アンドレ - 石崎 -
E バードマン 星一徹 マリア・テレジア ハーロック、等 ロベルト (初期)Mr.レジェンド
F - デュ・バリー プロメシューム - マーベリック
G - - ロベスピエール
サン・ジュスト
- - ルナティック

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( )内は原作が始まった年、は主人公です。

当然ながらここに書いた役割は、物語によって入れ替わったり結合したり分裂したりするので、綺麗に対応してるわけではありません。あくまでこういう傾向がある、ような気がするぅ~という話しなので、細かいことは気にしないでいただければと思います。

 

A は言ってしまうと貧乏人枠です。B、C は金持ち、エリート枠。

 

C は、AB と 出会った時は反感を持たれたり溝がある関係。パーマンとパー子は初対面の時から仲良くいちゃいちゃケンカしてます

(作品によっては B と C は入れ替え可)

そのうち友情が芽生えたり共闘したりするようになる。だが再び離反する場合もある。

 

で、主人公はこの A ~ C のどこかに収まります。

 

D は分かりやすく忠犬枠 表には書きませんけど、『エースをねらえ('73)』の牧とか、『ど根性ガエル('70)』の五郎とかもそう。

 

日本の高度経済成長期というのは、大体 '55~'73 年頃らしい。999 以前の作品からは日本が貧しかった時代の匂いを感じる。

C翼以降はこの匂いが急激に遠ざかる。翼くんは結構いい家に住んでるよね。若林くんちが豪邸すぎて目立たないけど。

時代が少し早かったら C翼の主人公は日向小次郎だったんじゃないかと勝手に思っている。

999 と C翼って、開始年が4年しか離れてないのは意外な気がする。しかし調べてみると、それぞれの原作者は二回り近く歳が離れているのか。

そりゃ価値観とかも全然違ってきて当然だわね。

 

そんなわけで面白いのでそれも調べてみた。それぞれの原作者の生年と左起点の年齢差、ついでに連載開始時の年齢です。単純に引き算しただけで誕生日は考慮してません。

 

('66)パーマン ('66)巨人の星 ('72)ベルばら ('77)999 ('81)C翼
原作 作画
'33
0
33
'36
-3
30
'41
-8
25
'47
-14
25
'38
-5
39
'60
-27
21

 

ちなみに太平洋戦争は '41~'45年です。

こうして見ると、パーマンからは貧しさの雰囲気を感じないのは世代的に不思議だ。藤本先生って結構いいとこの子だったりするのかな。

で、タイバニの時代になると、もう貧乏枠という概念自体が消失してる。虎徹もああ見えてNEXTの中では結構なエリートなのだ。

 

…ここいらまで書いて放置してた。もう気が済んだのでこの辺で終わる。続く予定はない。


「光る君へ」 第30回 ~つながる言の葉~

2024-08-10 21:20:17 | マンガ、アニメ、ドラマ

※ 出てくる台詞は全部うろ覚えなので信じないでください。

今日(土曜日)、さっき「光る君へ」を視てたんですけどね。

まひろ(後の紫式部)の娘の賢子(かたこ)ちゃんが、お母さんの書き物に火を点けてしまう回です

えー、あたしこれかなりまずいと思うんですけどね。

火遊びしてるうちに他のものに燃え移った、でも十分危険ですけど。

明らかにお母さんの大事なもの狙ってやってるじゃんか…。

かなり追い詰められてる、くんちゃんと同じ匂いを感じる。

これは叱らなきゃダメなヤツだと思うので、叱るのは構わないし、かばってくれるじいちゃん(藤原為時)の存在は救いだと思う。

ただ、「人のすることではありませんよ」って明らかに言い過ぎだし(子役も可哀そう)。

このシーンじゃないけど「じいちゃんがお母さんに謝ってあげる」は変なかばい方だと思った。

一通り叱った後は、自省するとかしてほしいんだが、翌日も書き物に夢中のまひろ…。

じいちゃんもさぁ、自分がまひろに学問を授けておいて(まひろが勝手に覚えちゃったんだけど)、「学問がおなごの幸せではない」って「ひどいよ誰が言うかよ」って声でたよ。

 

写真AC

 

「虎に翼」の寅子も、娘の優未に『すんっ』てされる話だし、そういうの多いですね。

 

ところで私は、「光る君へ」が始まってから別のことを検索していて知ったのだが、

平安時代の寝殿造りの建物には壁が無いってご存じでしたか。

 

平安時代の貴族の家には壁がない!?屋外と部屋を区切るのはこれだけ | 平安時代ブログ

 

(;゚Д゚) <…うそ~ん

私は世代的に氷室冴子さんの「ジャパネスクシリーズ」ど真ん中で、一応全部じゃないけど一通り読んでるつもりで、平安時代の風俗や用語など詳しいわけじゃないけど人並みに知ってたつもりだったのだが、壁の件は全然知りませんでした。

そういえば、「ざ・ちぇんじ」とか、大和和紀さんの「あさきゆめみし」で、台風直撃で大わらわ、みたいなシーンあったなぁ、どおりで…、なんであんなにずぶ濡れになるんだろうと思ってたんだよ、あれそういうことだったの…。と数十年ぶりに理解した、のでした。


「うちの子は観てます」

2024-02-12 20:57:28 | マンガ、アニメ、ドラマ

ブログ書こう書こうと思ってるうちにうっかり一ヶ月経ってしまった。

こんばんは、楽しく生きてます。やわらかちーずです(ほんとかな)。

 

前々回の記事を書いた後、他の方の書いた当該映画のレビューなどつらつらと読んでたのですね。

そしたら「何故か分からないけど、うちの子は夢中で観てます」

「繰り返し観てます」

っていう方を何件か見かけました。

なんか分からんけど皆さん共通してお子さんたちが食い入るように観てるらしい。

子どもでも、主人公が可哀そうって言う子もいれば、反面ちょっと不思議なほどハマる子もいるみたいなんですね。まぁ、これに限らず映画ってそういうものかもしれませんが。

へ~、そうなんだ、なんでだろ…。ってぼんやり思って。で、次の瞬間ぎょっとなったんですが。

 

えと、ここからは、いつものように私の妄想だと思ってください。根拠も何もないただの思い付きです。

 

そのお子さんたち、主人公の男の子が泣いて暴れたり、親に汚い言葉吐いたりするのにカタルシスを得てるのかもしれない。

つまり、何らかのストレスや環境への不満を抱えてるのかもしれない。

 

ちょっと気を付けて上げた方がいいのかな、と思いました。まぁ私ごときにこんなこと言う資格ないし、適当に聞き流していただきたいんですけど。どっちにしろ責任もてないし。

 

念のためですけど、こんな映画観せるな、とか、そんなこと言うつもり無いですからね。むしろ観たがるなら観せてあげたほうがってこれも余計なことですね。

 

冷たく聞こえたら申し訳ないんですが、会ったこともない、よその家のことなんて分かりようがないし。ただちょっとまさか…ねって思いました、っていう話しでした。


転載:『おおかみこどもの雨と雪』感想(ネタバレだらけ)

2024-01-07 18:00:00 | マンガ、アニメ、ドラマ

前回『未来のミライ』の感想を書きました。ついでに昔に書いた表題作の感想を某ブログから転載します(その記事はそちらからは削除予定)。

ちなみにこの時以来当該作品は観てません。

 

 写真AC

 

初出:2015年11月04日

録画しておいた『おおかみこどもの雨と雪』を観ました。

感想を書きますが、最初に言っておきますが、正直後味が悪く、救いのない話だな、と言うのが見終わった時の印象でした。

そんな感想でもいいという人だけ読んで下さい。
 

作品としてはつまらない訳ではなく、楽しめたと思います。私はつまらないと思ったら感想も書かないんですけど、そういう意味では何か引っかかるモノがあったのだと思います。

細かいツッコミどころは色々あると思うのですが、大きく言ってしまうと、『前半部分は要るのか』と。

雪(娘)に花(母)の半生を語らせる、という手法を取るなら、雪が物心付く前のエピソードはもっと大胆にカットしてしまった方がよかった。
  • (なんかよく知らないけど)二人は大学で出会ったそうだ。
  • (母は生前の父についてあまり多くを語りたがらないが)二人はとても愛し合っていたという。
  • (あんまよく覚えてないんだけど)私が小さい頃は都会に住んでいた。けど、色々あって母は田舎に移住する決意をした。
こんな感じでまとめて、母子が廃屋同然の家に引っ越してくる描写から始めても…ってソレなんてとなりのトトロ?

そう考えるとトトロってよくできてますね…。私ごときが言うのも何なのですが。

とにかく最初の方は『要らないよなぁ…』って思いながら観てました。監督としてはあそこ(乳児二人を抱えて奮闘するシーン)をやりたかったのかもしれませんけど。

ネットを見ると「大学生が無計画にフリーターの子を産んじゃって(二人も)、シングルマザーになって苦労する話」的な批判が見られるのですけど、20歳そこそこの女性が誰の助けも得られずにあの状況、昼は子育て夜は勉強…。

よく倒れなかったね。よく倒れないっていうかよくななかったね。

これって子育てする母親を応援ていうか礼賛してるつもりなんでしょうか。陰鬱な気分にしかならなかったですけど。

母親に限らず、日本人はぶっ倒れるまで働くのが美しいことだと思ってるフシがあるんだけど、このブログで何度か言ってると思うけどそれ違うから

他に違和感があったのは、児相の職員みたいな人が訪ねてくるシーン。あの人達はなんであんな描かれ方してるんだ。

誰も好き好んで『親子を引き裂く悪役』みたいな事をしてるわけじゃない。セリフは同じでもいいからせめてもうちょっと心配そうな顔させてあげてほしい。

花も別に普通に明日子どもたちが起きている時間に来て下さいって言えばいいだけで、子どもたちにも今日お客さんが来るけどいい子にしててねって言えばいいだけだ。

とにかく母子は逃げるように都会を後にするんだけど、母子にとっては田舎は都会よりは暮らしやすかったらしい。

それはよかったんだけど、花はいつオオカミ化(耳が生えたり鋭い爪が生えたり)するかわからない子どもたちを保育園にも預けられない。つまり子どもたちは世間から隔絶されたまま…。

小学校にすら上げたくないみたいでいくらなんでもムリだよね。二人の父親だって(彼がおおかみおとこだということを)何も知らない親戚の家で大学の講義を受けられるくらいの学力は身につけたんだから義務教育は受けてたと思う。

無事小学校には通えるようになるのですが、この辺から野生児のようだった姉(雪)は人間社会に溶け込んでいき、大人しい弟(雨)は学校に馴染めず孤独を深めていく。

弟がいじめられて姉が庇う…、という描写もあるんですけど、この二人はあまり仲良かったようには残念ながら見えない。

最終的に、弟はオオカミとして生きていくために家を出るんですけど、私には、「ねーちゃんにもかーちゃんにも世間にも理解されないので僕は家を出ます」という後ろ向きな印象しか受けないのだ。花も雪もそれでいいのか。



…と、そんな訳でなんともすっきりしない話でした。

もっとファンタジーに徹して、『奥様は魔女』みたいに、正体バレちゃう~、花、後ろ後ろ~みたいな話だったら同じラストでも素直に良い話だったって思えるのかもしれませんけど。それか逆に『火垂るの墓』みたく、制作者がどうぞ暗い気持ちになって下さい、ってスタンスだったら、ハイ、分かりましたって言えるのだけど。

コレ観てほっこりした気持ちになって下さいって言われてもなぁ~、私にはちょっと難しかったです。

新年最初は『未来のミライ』

2024-01-07 10:00:00 | マンガ、アニメ、ドラマ

お久しぶりです 明けましておめでとうございます

 

久々にブログを更新しようとして M-1 に関するなっがい記事を書いてたんですが、書き終わる前にどんどん世間が発表しづらい雰囲気に…。別に特に〇っちゃん(審査)に触れてる部分はそんなになかったんですけど。

それはとりあえず一旦保留にして、数年前に録画して塩漬けにして、最近ようやく観た『未来のミライ』の感想でも書こうかな。

 

 写真AC
テーマは家族

 

私、こことは別に絶賛放置中のブログがありまして。ほとんどアクセスが無いうえ、私自身もめったに巡回しないという過疎っぷりなので、もう閉鎖しようか、と思いつつそれも含め放置してしまってる状況なのですが。

そちらに『おおかみおとこの雨と雪』の感想を載せているのですけどね、ほめてないです。

そして今から書く『未来のミライ』も正直ほめないです。それでも良いという方だけ読んでください。

 

主人公のくんちゃんは4歳の男の子。お母さんが生まれたばかりの赤ちゃん・妹のミライちゃんを連れて帰って来たところからお話は始まるのですが。

とにかく周りの大人たちのくんちゃんへの扱いがひどい。

両親が新生児に掛かり切りになってしまうのはある程度仕方ないが、祖父母まであからさまに赤ちゃんとお兄ちゃんとで扱いに差をつけてる。

くんちゃんは思うに任せないことが多くなって、しょっちゅう癇癪を起こすのだが、これは明らかにミライちゃんに対する嫉妬である。周囲もそれは分かってるのに誰もフォローしようとしない。

ネタバレになるので詳しくは書かないが、くんちゃんの家の庭の樹を通じて、未来から、過去から、人外から、様々な存在が訪れたりくんちゃんの方から迷い込んだりする。

その存在たちも、ことごとくくんちゃんを責めたり説教したりするのである。私は思わず誰か味方してあげなよと口からでてしまった。

ストレスが減る要素が無い。ネットで見ると、いらいらするという感想が多いのだが、幼少時、似たような経験のある観客なのだろうと思う。トラウマが刺激されて辛いんだと思うよ。

唯一味方と言うか、責めはしない(でもちくちくイヤミは言う)存在としてバイク乗りの青年が出てくるが、青年と出会った後もくんちゃんの癇癪が軽くなったという描写もなく、くんちゃんの精神状態は荒れたままである。

そう、精神状態が荒れてるからあばれてるのに、徹頭徹尾、わがままな性格、甘えん坊、として描かれてる。荒れる要素がなくなればあばれなくなるかもしれないのにその可能性に思い至らない。この理解の無さが辛い。

タチが悪いことに、両親は子どもたちに対する愛情はあるのだ。ただ物理的に手が回らないうえに気も回ってないという自覚がまるでない。

自分たちを省みて叱り過ぎちゃったかなとか、くんちゃんの様子を見て我慢させ過ぎたかなとか、頭をよぎることもない(少しはするけどそれが問題の原因だとは考えない)。くんちゃんの側が成長し、親の気持ちや事情が分かるようになれば問題は解決すると悪気なく信じている。

両親がくんちゃんに愛情を示すシーンもあるのだが、何故か伝わった描写がほとんどない(無くはない)。何故分かるように目を見て抱きしめて、愛情を伝えてやらんのか。

最終的にくんちゃんは不自然な形でムリヤリ成長したことにされ(私にはそう見えた)、両親と妹を以前より受け入れられるようになる。しかし両親がくんちゃんに寄り添うような様子は最後まで見られない。自分たちだけで納得して終わっている。

ムリヤリの成長の象徴のような存在が終盤に登場するのだが、彼もまた小さいくんちゃんを責めるのである。これ結構残酷だと思うんですけどね。お前も親の側の味方かよぉってゆうね。「ガキが」って実際ガキなんだから当たり前だろぉってゆうね。この子にばかり成長を押し付けるなよ。

 

といいつつ、全体的には私はつまらなくはなかったです。ネットの評判によると、1.声優が合ってない 2.不思議な出来事が起きる理由の説明がない という点を不満として挙げてる人が多いのですが、私はそれ両方気にならなかったんですよね。

しかし家族の物語といいつつ、くんちゃんが変化(成長?)するきっかけになるのは常に不思議な存在たちで、現在の家族ではない。くんちゃんは両親の『過去』を覗いたりするのだが、くんちゃんの『現在』を見てる人は誰もいない。くんちゃんが成長してめでたしになる。両親も成長してるらしいのだがあくまで自己評価。

子どもの成長物語自体は一般的なのに、なんでこんなすっきりしないのかというと、この物語ではくんちゃんの成長、即ち、現在の否定、になるから、だろうな。いみじくもタイトルが暗示するように、両親が子どもたちの未来しか見ていない。敢えてこういう言い方しますけど、両親を妹に取られて不安な『今』を誰も分かってやらない。成長と言う美名のもとで我慢を強いられて終わるのだ。

 

『時をかける少女』は素晴らしいと思ったし、『サマーウォーズ』も面白かったんだけど、小さい子がメインだとなんかもやぁっとさせられますね、という話しでした。

 

今日中にもう一件記事をします。ブログをコピペするだけの簡単なお仕事です。
18時予約投稿済み。

 

'24. 2.12 ちょっと追記っていうかこの映画に関連して


松本零士さん.その3.5 999後編 と ベルサイユのばら

2023-03-23 18:00:00 | マンガ、アニメ、ドラマ

スリーナイン後編です。一応劇場版の感想として始まりましたが、今回あんまり関係ないですね。スリーナイン全般の感想です。

 

前回よりつづく)

そんな感じで、私はいつも大体、『主人公 ≒ 子ども』、『敵 ≒ 親、大人社会』、と思って解釈を進めていくことが多いんですが、今回は別の発見をしてしまった。

今頃かよ、というか、発見というか気づいてた人は気づいてただろうし、私も以前から薄々思ってましたけど~。

 

この機械帝国は資本主義社会の象徴、対して鉄郎に代表される生身の身体の人たちは共産主義の象徴ですよね。

いや、決して作者がなにか特定の思想を持っていたとも持ってないとも主張する気は一切ないんですけど。

意識的か無意識かわからないけど作者の世代的に('37年生まれ)、また連載開始の時代的に('77年)、どこかでそういった世相が反映されてると考えても不思議ではないな、と。

私もその辺の社会運動に詳しいわけでは全然ないので、深くツッコまれると困ります…。なんとなくそう思っただけなんで。

と言いますか、999で描きたいのは、共産主義というより、社会構造に立ち向かうレジスタンスなのだと思う…。

 

以前、鉄郎とベルばらのロザリーの類似点を指摘したことがあります。

で、そうして考えてみると。上級国民の側に生まれて庶民の生活に触れて帝国を滅ぼそうとする側に寝返るってメーテルは完全にオスカルですね  

 

そして中の人ネタになりますが。プロメシューム役の来宮良子さん。

こちらはベルばらでデュ・バリー夫人を演じてらっしゃいます。

デュ・バリー夫人はアントワネットの義祖父(ルイ15世)の愛人です。愛人といっても決して日陰者ではなく、公妾という立場。当時の西欧諸国の宮廷では正式に認められた制度だったみたいです。

デュ・バリー夫人も女王プロメシュームも、共に最高権力を持った女帝として描かれています。

 

ああ、そういえば鉄郎役の野沢雅子さん、ベルばらにも出てらっしゃる。アニメにしか登場しない、アコーディオン弾きの息子ですよ。完全に虐げられたる庶民代表ですよ

そんなつもりなかったのに。前回の冒頭の卵の値上がりの話とリンクしちゃったじゃん。

 

あとは田島令子さんがオスカルとエメラルダスを演じてらっしゃる。男性と対等に渡り合い冷熱を併せ持つ美女というキャラは被ってるけど、作中の立ち位置はあまり共通点が無いように思うのでこれは参考程度に。
(エメラルダスがメーテルの双子の姉でプロメシュームの娘という設定は後付けで、この頃はなかった)

 

ベルばらは暗喩でもなんでもなく、ずばり権力者 対 一般ピープルを描いてるし。

主人公が母性を象徴する存在と対立するという構図も類似してるし。

ベルばらの作者は '47年生まれですが、世代も性別も違う作者が似た構造の作品を描くって面白いですね。両作品とも、国や時代を越えた人の世のことわりを描いているということなのかもしれません。

 

 写真AC
銀河と鉄道…

 

それでいながら、戦中、戦後の空気を知っている世代がまだ身近にいた(終戦が '45年なので、映画公開時は戦後34年)、多分団塊ジュニアから少し上くらいの世代(大体 '64~'76生まれくらいのイメージ)から絶大な支持を集める一方、その空気を全く知らない今の子どもたちにはあまりピンとこないと思われるのも無理からぬことかと思う次第です。

 

《追悼・松本零士》「SF」と「昭和」が作品に同居する偉大な漫画家の唯一無二の世界観 | nippon.com

劇場版 銀河鉄道999を観て思ったこと。おわり


松本零士さん.その3 劇場版スリーナイン 前編

2023-03-22 18:00:00 | マンガ、アニメ、ドラマ

※ 劇場版スリーナインに関してネタバレがあります。

こんにちは。噂には聞いてましたが卵の値上がりえぐいっすね

とは言え、今までが安かったというか、他の食材に比べれば今でも安いというか、ぶつぶつ…、みたいな感じで自分をだまして暮らしてます

勝手に庶民代表、やわらかチーズです。

 

先日こういうのをやってました。

 

 

劇場版スリーナインが期間限定公開されてた。そこで久々に観てみましたよ、十数年ぶりだと思います。

スリーナインの劇場版は(私が把握しているので正しければ)全部で3本です。この時、限定公開されていたのは '79年公開の1本目ですね。ゴダイゴが主題歌を歌ってる分です。

で、せっかくですので忘れないうちに感想を…。久々のフレーズ。

なんかそう言って書きかけのシリーズがあった気がしますが。まぁ私の寿命が尽きる前までには書くつもりでいます…。待っててくださってる方っているのでしょうか。もしいらしたらお待たせしてすみません。

 

松本零士さん その1(ヤマト編)その2(999編)

 

感想としては面白かったです。けど、確かに前回の動画の彼女が言うようにピンチの度に都合よく助けられすぎだなって

メーテル、ハーロックは言うに及ばず。他にも色んな人が入れ代わり立ち代わり。

 

そして肝心の女王プロメシュームを最終的に斃したのが、鉄郎でもメーテルでもなく、ほぼゲストキャラみたいな出番しかないスリーナインの乗務員(ウエイトレス)のクレアさんだったってね 

忘れてたので結構びっくりしました。

 

大体敵の組織というのは大人社会、その親玉は(視聴者である子どもにとって)自分の親の投影である、と私は解釈してますが、プロメシュームなんて分かりやすく実母ですよね。

それを赤の他人に斃させる、というのは鉄郎やメーテルにさせてしまうと、観てる側に罪悪感が芽生えてしまい、感情移入できなくなってしまうから、なのでしょうか。適当に言ってますので真に受けないでください。

 

思えばジェミニのサガ(実父の投影)を最終的に斃したのは星矢たちじゃないものな(自)。主人公が親殺しをすることに抵抗を感じる層が一定数いるのかもしれない。

 

しかしあのプロメシュームはしぶといというかしつこいというか。

サガもそうだけど(何度も起き上がってくる)、インナーペアレンツ(脳内親。インナーチャイルドの対概念)からの離脱の難しさを暗喩している、のかもしれない。なるほど私の解釈は甘かったか

 

 

そんな感じで、私はいつも大体、『主人公 ≒ 子ども』、『敵 ≒ 親、大人社会』、と思って解釈を進めていくことが多いんですが、今回は別の発見をしてしまった。

今頃かよ、というか、発見というか気づいてた人は気づいてただろうし、私も以前から薄々思ってましたけど~。

 

次回、999後編と、なぜかベルばらの話。

 

つづく 近日公開

 テレビ版 初回
【公式】銀河鉄道999 第1話「出発のバラード」 <1970年代アニメ> - YouTube
@東映アニメーションミュージアムチャンネル


松本零士さんの話をします.2 銀河鉄道999編

2023-02-26 20:20:00 | マンガ、アニメ、ドラマ

※ 一度全文公開したが、長いので分割して上げ直した後編、です。とはいえ前回のヤマト編とのつながりはあんまりありません。そして分割したのにやっぱり長いな。

 

えーと、エラそうに聞こえると思いますが、実は私ヤマトはほとんど知らないです。

私的には、やはり松本零士さんと言えば銀河鉄道999。

映画3本とも劇場で観ました

 

 【鬼滅の刃以上のブーム】銀河鉄道999はなぜ名作と呼ばれているのか?アニメ映画の歴史から読み解く【松本零士/ガンダム/ヤマト/岡田斗司夫/切り抜き/テロップ付き/For education】 - YouTube 2022/11/29 8:50

 

3:50 秒辺りから始まる奇跡のくだりは笑ってしまいました。

熱く燃やせ奇跡を起こせですね
傷ついたまままじゃいないと誓い合った遥かな銀河ですね分かります  

 

あとあの、何を以て名作と呼ぶかは個人の価値観によるので、無理に理解しようとしなくていいのじゃないですかね。好奇心とか、人がどう思うか知りたいという気持ちを否定するつもりはないですが。

特にアニメやマンガに関しては、前の世代の価値観というのは現代から見ると稚拙に感じるものさ。お笑いとかもそうだけど。

私だって自分が生まれる前のアニメや芸人さんにほとんど興味ないです。ただそれらの歴史には興味あるので調べるのが好きなのです。そういう意味ではなつぞら面白かった(急に何の話だ)。わろてんか、視てないけど視ればよかったと後悔してます(だから急にry)。

 

しかし現代の複雑で多様なジャパニメーションの百花繚乱というのが、こういう松本零士さん('38~'23)や手塚治虫さん('28~'89)の世代に端を発する作品群を礎にしてもたらされたというのは間違いない事実です。ちなみに申し添えておくと、松本零士さんはトキワ壮には居住してないです。してそうですけど。

つまり(現代から見て)単純なものから派生していったものが、時を経て複雑になり、これからも進化し続けるのだろう。現代の萌芽はこの時代にあったのだ。

それこそ、ハーロックの言う『永遠の命』の一端、なのでは。

あゝ、ロマンですねぇ (カッコよくまとめ過ぎか)。

 

個人的には、ああ~間に合ってよかった~、という気持ちです。お二方とも(他、藤子不二雄さんとかも)私が小さい頃は普通にテレビとかに出てましたからね。神さまありがとう~(滂沱)

 

 写真AC
飛行機の軌跡だそうです。キレイですね。銀河鉄道っぽい?

 

あとこれも個人的にですが、「大人になれば分かる」というのは、まぁそうだよな、という場合と、それその人の感想ですよねという場合と両方あるので、大人の話が理解できなかったからって気にするこたぁないと思います。

 

このブログで以前書いた 銀河鉄道999雑感 話は特につながってないので読まなくていいです。

 

劇場版2作目、立ち見で観た想い出…(1作目は立ち見じゃなかったわけではなく、記憶が残ってないのでどうだったか分からない)。

当時は指定席とか入れ替え制とかじゃないから席は早い者順で一日中いられたんですよね。本当に混んでいて人の隙間から観た。

そんな記憶があります。

私は映画館に一日中いたことはないですよ。

そんな話をしてる間に今日貴家堂子さんのタラちゃん最後だったらしい…。そうでしたか。


松本零士さんの話をします.1 宇宙戦艦ヤマト編

2023-02-26 20:13:47 | マンガ、アニメ、ドラマ

※ いつものことなんですけど、一度全文上げましたが、長いなと思ったので二分割して上げ直します。この記事は前半、宇宙戦艦ヤマト編です。

 

松本零士さんの話をします。なんでかは言わなくても分かっていただけると信じます(またかい)。

 

松本零士さんと言えば、『宇宙戦艦ヤマト』か『銀河鉄道999』、を挙げる方が圧倒的に多いですが、意外と知られてないですよね、っていうか私も大人になるまで知らなかったと思いますが。

宇宙戦艦ヤマトって松本零士さん原作じゃないんですよ。

えーと、マンガは描かれてますが、松本零士さんのマンガがアニメ化されたわけじゃないんですよね。順番的にどっちが先か、ほぼ同時か、細かいことは知りませんが。

今で言うメディアミックスのハシリと言うか、別の人が立ち上げた企画に後から参加した形です。

もちろん松本零士さんが加わったことで、皆さんご存じの現在の形に近づいたことは間違いないらしいです。功績は多大だと思いますが、松本零士オリジナルみたいな扱い方は、他の関わった方々がちょっと気の毒かな~、なんて。

 

 山田玲司の原作が10倍おもしろくなる解説【山田玲司 切り抜き】 2023/02/22

【松本零士③】実は宇宙戦艦ヤマトをめぐって壮絶な裁判がありました…【山田玲司/切り抜き】  8:31

※ 途中から始まります。

 

ついでにこれも面白いです。ヤマトが後の日本のアニメのビジュアルに与えた影響。

 【松本零士⑤】松本零士最大の革命!エヴァ…コードギアス…影響を与えたアニメは数知れず…【山田玲司/切り抜き】 - YouTube 2023/02/24 8:01

 

えーと、エラそうに聞こえると思いますが、実は私ヤマトはほとんど知らないです。

私的には、やはり松本零士さんと言えば銀河鉄道999。

映画3本とも劇場で観ました

 

と、いうわけで、後半は銀河鉄道999の話をします