おお柚子胡椒 あなたは天才
ワサビの代わりにもなる
カラシの代わりにもなる
刺身につけよう 納豆にも合う
おでんだけではもったいない
ああ柚子胡椒 やっぱり天才
TKGにもアクセント
※TKG = 卵かけごはん
おお柚子胡椒 あなたは天才
ワサビの代わりにもなる
カラシの代わりにもなる
刺身につけよう 納豆にも合う
おでんだけではもったいない
ああ柚子胡椒 やっぱり天才
TKGにもアクセント
※TKG = 卵かけごはん
※ 気を付けたけど、ネタバレ多分あると思います。
ニコニコ動画の無料配信、一週間観放題なのかと思ってたら違った、ので、一回しか観てません。
でも面白かった。面白かったし、私は自分の解釈が概ね間違ってなかったと思ってひとりで盛り上がってました。
とは言え、ストーリーをなぞるのに精一杯で、構造の深いところまで追う余裕はなかったのですが。なので分析まではいかないただの感想です。
『かくしてまたストーリーは始まる』ってゆうのは テレビ版 part2 の主題歌の歌詞ですが、こちらの Rising の方が、無印の正当な続編てゆう感じしましたね。
冒頭、バーナビーまで2部(2軍)にいるのは何故なんだろう。ちょっと無印の最後が私の中で曖昧なので、ちゃんと理由の説明ありましたっけ(すみませんちゃんと観てなくて)。なんかあんまり必然性を感じないのだが。
そして市民に本名がばればれの虎徹。ブルータスお前もか。ようこそモラトリアムの世界へ。
これはね、仕方ないのよね。続編を制作するってことはある意味成長を拒否することだからね。人気作の宿命よ。
昔は続編という概念自体が希薄だったろうから、ちゃんとした意味での『最終回』を作ってあげることは制作者の義務だったんだと思う。
今は録画もあるし、ソフト化、配信もある。きちんとした最終回なんて意味ないのよ。視聴者の中でずっと続いちゃうから。
そしてなにも成長って必ずしも必須なものでもないのだし。
あとこれは書こうと思って書くタイミングがなかったんだけど、ヒーローのパワーと言うのは大人の力を借りることであると同時に、内緒にしておきたい趣味だとか人に言えないヘキ、あらゆる生きづらさの暗喩でもある。
だからあの人たち迫害されてるんだと思うんですよね。
要はライトに言えば「何で隠すんですアニメ好きだっていいじゃないですか」「いやこういう事はいい大人が人前で言うべきじゃなくて」「古い古いw」ってことかと。
そして深刻が極まるとネイサンみたいになる…。
そして個人的に一番盛り上がったのがワイルドタイガーとルナティックの対決
私の中では魂の兄弟確定のふたり。このふたりもっと対立してもおかしくない筈なのにとずっと思ってた ちゃんと対立してくれてすっきりしました。
そしてバーナビーと対立するスコット。
彼が行動原理にしてたのがやはり父への憧憬と喪失 描きたいのは父子の絆とそれを奪った者への復讐 相変わらず母親は空気 ほんと徹底してるなこの世界観。
シネマトゥデイ 2013/10/26
映画『劇場版 TIGER & BUNNY -The Rising-』予告編 1:30
無印の結末で、バーナビーは『赦す者』になった。虎徹が無理矢理そうさせたんだけど、今回は自分の意志で『救う者』になった。
そして『決して赦さざる者』としてルナティックがいる。
このふたりも虎徹をはさんで相似形なんだけど、あまり接点がない。そもそもお互い目に入ってないっぽい。
このネーミング…、たまたまだろうか、月とウサギって…。それとも初期設定の名残か。
正直ルナティックって最初聞いた時はダサいと思ったが、ちゃんと意味があったのかもしれない。
ネーミングといえば、タイトルの『Rising』。これって単に『上る』って意味らしいんだけど、楓の詩の宿題とからめて考えると、『Rising Sun』のことと思われ。
全員誰でも太陽と言われればまぁ、そうなんだろうけど。
太陽 = 虎徹 の象徴、なのでは。そうなるとやっぱり月との対比なんだよな、とか、ひとりで悶えてます。
他にアクションも見応えがあり、とても良かったです。
……ん? Beginning? 知らない子ですね。笑
といったところでそろそろお開きにします。また機会がありましたら、ぜひ。
(やっと)おわり
TIGER&BUNNY、感想最終話です。良かった聖闘士星矢感想みたいにエタらなくて
もう一度言いますが、こちらより先に本編ご覧になることをお奨めします。まぁもう遅いと思いますが
そして最終回間際。信頼が常に失望に帰着するこの物語の中で初めての展開が待っている。
ルナティックは親に絶望してるので、意外と一歩退いて物事を見てるんだけど、バーナビーは親を亡くした年齢が幼すぎるのと、両親の綺麗な面しか知らないのでそれができない。親に対する期待を捨てられない。
あと多分、ルナティックはタイガーに父性を見るほど彼に依存してないからな。
と、思ってたけど~、Rising で~。(゚∀゚)ノ ひゃは~( 楽しそう
タイガーは再びバニーの信頼を取り戻そうとする。彼は父になるためのイニシエーションとして、または贖罪の儀式として、一度バニーにそうさせる必要があった。
すなわち『罰せられる』必要が。
過去に息子を裏切り続けた父親たちの罪をも一身に背負うがごとく。
ああ、これカノンとミロのエピソードにも通じるな。
しかしオスカルやミロと違って自らの意思でそうしたわけではないバニーは大変ショックを受ける。
タイガーにしがみつきながら、チャーハンがどうたらと泣き叫ぶバニーはまるで幼子のようです。
両親を亡くしたトラウマが刺激されている、つまりそれだけ虎徹のことを両親と同一視してるんだと思います。
一方のタイガーも、この土壇場で実娘(じつじょう、って読むらしい)である楓よりバニーを優先させてるように見える。
まぁ実はタイガーはこの時バニーほど切羽詰まってなかったのでそのせいもあるとは思いますが。
あー、楓ちゃんが娘である必要性も分かった。息子だったらバニーとの関係がブレるもんな。
当初状況的に大人にならざるを得なかったタイガーはやがて自ら父になることを選び、その儀式の実行者としてバニーを選んだ。
子ども時代が終わっていないバーナビーは、追い込まれてその役割を果たすのだけど(痛々しい…)、それがタイガーへの赦しになったことに気づいて力を得る。
これはバニーにとっても通過儀礼であったのだ。
ここで、父(罪人)であることから逃がれようとする者と、そこから決して逃すまいとする者 が登場するわけですね。
いずれにせよ、タイガーとバニーは、その信頼を取り戻しても尚、一度離れる必要があったのだと思う。結婚した友達と疎遠になるようなものだ。(そうなの?)
要は、大人と子供で、生きるステージが違ってしまったのだから。
ただそれは、再び同じステージに立つための準備期間。
かくして、またストーリーは始まるのです。
写真AC
ウサギとトラ (トラ?)
長々とご清聴ありがとうございました。
TIGER&BUNNY 感想、完
…からの~?
今年の連休は結局これにかかりきりだった、ちょっとは出かけましたけど。
TIGER&BUNNY、9話目です。
ネタバレしないことは不可能なので、私も開き直ってます。笑
ここまで、タイガーにとっての Mr.レジェンド、ルナティックにとっての Mr.レジェンド、バーナビーにとってのあの人(別に言ったっていいんだけどなぜか抵抗ある)、と3本の柱が倒れるのを見てまいりました。
打ち砕けマンモスピラー、海底神殿は目の前だ。
というわけで、さて、この場合のメインブレドウィナとは誰にとっての何だと思いますか。てゆうかこの例え分かりづらいですかすみません。
関係ないけどブレドウィナって不自然な言葉だなぁとずっと思ってたらそういうことだったの
てゆうかもう大体分かったと思いますが。
写真AC
おめでたい画像だが展開はシリアス。
バーナビーは冷静なようで意外と思い込みの激しいところがあるキャラだと思います。
前半はなぜそこまでというぐらいタイガーのことを毛嫌いしてくる。
一旦心を許すと今度は逆にただの失敗や違和感を、あなたは優しいからわざと~、とか全部好意的にとらえてしまう。
バニーにとある隠し事がある虎徹(と視聴者)は、内心そんなお前の優しさが怖いよと小さな石鹼をカタカタ鳴らす。また分かりづらいですか。若い読者さん置いてけぼりだな。(つ 神田川)
考え方が極端というか、ある意味素直なのだとも思う。両親を早くに亡くしたバーナビーは、他人に警戒心をいだきつつも心の拠り所を欲していたとしても不思議ではない。
そしてとうとうその隠し事がバレ、虎徹の方も疲れてたのかブチ切れてしまい、ふたりは決定的に決裂する。
話しが前後するが、この時点ではまだ3本目の柱は健在だった。タイガーを信頼し始めていたバーナビーはこの決裂にショックを受け、その柱の下(もと)へ駆け寄ると…。
こっからはもう怒涛の展開なわけだが、つづきは本編にてどうぞ。
さて、この辺からがまたベルばらぽいなぁと思うんですが。
ベルばらって、娘であったアントワネットが、やがて国母となり実際に母にもなって、娘のままでいるオスカルに離反される物語なのですよね。
6/27 追記:この場合の『国母』は誤用だなと後から思ったのですが、例えとして分りやすいのでこのままにします。
ご丁寧なことに『娘』じゃなくなったオスカル自身もその二日後に…。
…てゆう話でしたよね。最後に視てからだいぶ経ってるので。多分原作とアニメで多少展開が違うし。
虎徹はメインキャラの中では唯一子持ちであることが確定してます。子どもを助けたり、他人の赤子を一晩預かったりして子どもに関するエピソードが多いし。え、もしかして虎徹と絡む子ども楓ちゃん以外ほとんど男の子じゃない? 気のせい?
息子として父に対する葛藤も見せながら自らも不器用ながらも父になろうとするのです。
しかしこの世界において父親は常に裏切りの罪を犯す者。裁きの鉄槌を下すのはルナティックか、それとも。
今回最終話のつもりで書き始めましたがやっぱり無理だったよ想定内だけど笑
TIGER&BUNNY、8話目。バーナビーの話、のつづきの前にちょっと寄り道。
ここまでずっと父親の話しをしておりますけど。
では他方で母親は何してるのさって話しですが、これことごとく何もしてない…、は、言い過ぎですが、役に立ってないというか頼りにならないというか。
登場する母親キャラが、年寄り、病弱、メンヘラ、なんかぽわぽわしてる、遠くに住んでる上にいらんもんを押し付けてくる、もう死んでる、とかばっかり。
いや、言い過ぎなのは分かってます。わざと極端に言ってます。すみません。
人間というものは男性でも女性でも基本的にマザコンなので、特に現代日本ではそうですね、父親は仕事一筋で家庭では存在感がない。
マザコンのキャラっていうのは枚挙にいとまがない感じです。例えば白鳥座あたりとか。
母親を理想化とか神聖視してる作品と言うのは多いですが、タイバニではさり気に落としてくる。
究極はサマンサおばさん。バーナビーが幼い頃面倒を見てくれた家政婦さんで、母親じゃないけど母親的なキャラです。
何も悪いことしてないのにあんな事になってしまって気の毒としか言いようがない。
これ、意外とジブリもそうなのでちょっと観察してみると面白いですよ。
ジブリじゃないけどハイジの時代からそうなので筋金入りですな。笑(ハイジは制作・権利関係がよく分からない)
聞けば宮崎監督はお母さまを幼くして喪ってらっしゃるのでそういうのも関係あるのかもしれないです。ハイジは宮崎じゃなくて高畑作品ですが。
さて。
そんな感じで、信頼していた父親的人物から裏切られ、生きてきた時間をほぼ丸ごとひっくり返されてもうぐっちゃぐちゃになるバニーちゃん。視聴者の情緒もぐちゃぐちゃですが、まだ本丸が残ってた。ここからさらに落としてくるぞ。
そして追い詰められる虎徹 さぁ盛り上がってまいりました ドSですなこの制作者。
タイトルの “ウサギ一匹”。ウサギって一羽二羽って数えるんじゃないの?って思われた方、鋭い。
これは元々獣の肉食が禁じられてた時代、『ウサギは飛ぶから鳥です獣じゃありません』という屁理屈を言い出した人がいて、そこから“羽”って数えるようになったらしいんですよね。
なのでウサギを食料として数える時は “一羽二羽”、ですが、それ以外の時は “一匹二匹”、でいいみたいです。とは言え各自好きに呼べばいいと思うよ。
TIGER&BUNNY、7話目です。今回がっつりネタバレします。
私もね、これが聖闘士星矢とかだったらそこまで言わないんですけど、TIGER&BUNNY の場合は本当に事前知識なしで先に本編視た方がいいですよマジで。
とは言えこの辺境ブログまでたどり着いたからにはまぁ知識のある方だと思っていいでしょうか。分からないけど苦情は受け付けられないです。
私はこのシリーズの3話目で “とにかくしつこい父親” って言ったんですけど(そんな言い方はしてない)。その辺ちょっと整理します。
まず第一の父子的関係は虎徹と Mr.レジェンド。
第二はユーリと Mr.レジェンド、です(こちらは実親子)。
今回はバーナビーのターンです。
以前ちょっと触れたんですが、バーナビーの両親はすでに他界してます。
それも何者かによって殺害されている。犯人は捕まっておらず、バーナビーはずっと手がかりを捜している。
幼かったバーナビーはさる人物に引き取られ、ヒーローになるための筋道をつけてもらう。
その人物は社会的地位もあり、虎徹も、俺たちのお父さんみたい、とか言うとても分りやすい伏線を張ってくれる(もう配信終わってるのでこれは正確な台詞ではありません)。
写真AC(一部加工)
加工が下手なのは自覚はあるが力尽きた。
えー、ここまで見てきておわかりのように、この作品の構造はとにかく、
を繰り返すんですよね。敵とかゲストキャラとかじゃなくて、メインキャラの精神的支柱になってる人物をいきなり外してくる。全然安心できない。
要は世界観、舞台装置からひっくり返してくるわけで、まさにどんでん返しの語源を具体化してくる。どんでん返しと言うのは歌舞伎の舞台転換からきています。
ここまでを読み返して分かってきたけど、まぁ繰り返しになるんですけど。
多くのヒーローアニメでは、親、大人社会を象徴してるのは敵キャラ、敵組織なんですが、パーマンでは味方キャラ(バードマン)で、それがとても稀有なのですよね。
(一般的博士キャラも父親的ではあるけど、あの人たちは前線で戦ったりしないからまたちょっと違う気がする)
タイバニの初期では親を象徴してるのがタイガーの精神的支えだった Mr.レジェンド、つまり味方だったので、私としては共通項を感じたのだなと改めて思うなど。
それをまぁひっくり返して来るわけだ。
TIGER&BUNNY、ルナティックの話、つづきです。引き続きネタバレあります。
ユーリは元々は父に対して敬慕の念を持っていたと思います。それが憎悪と軽蔑の対象に堕ち、そこに葛藤が生じる。
一方で虎徹ですけど、こちらも詳細は分からないまでも、人伝にレジェンドに裏の顔があったらしいことを知らされる。ひたすら憧憬の対象だったレジェンドも無謬な存在ではなかったことを知ってしまう。
まぁ、虎徹は大人なんで、ショックではあってもどこかで折り合いはつけられるだろうと思うんです。ただユーリは少年の心で、その葛藤を抱えたままルナティック――狂気のヒーローとしての途を歩み始める。
レジェンドの方で一度会っただけの虎徹を覚えているかは分かりませんが、物語の中では虎徹とユーリはレジェンドをはさんで対称性が高い。息子が二人いるように見える。
見方を変えれば、虎徹とユーリはひとりの人間の別の面をふたりで分担してるとも考えられるのだ。
親からの暴力に耐え兼ねた少年がかつてのように純粋な気持ちに戻りたいと願った時、そこに現れたのがタイガーだったのかもしれないぞ。
で、この辺が私がこれベルばらぽい、と思った所以なんですけど。
タイバニでは子ども(息子)だったが、ベルばらでは逆に親(母親)がふたりのキャラに分けられている。すなわち母親の善性がオーストリアの実母、マリア・テレジアで、魔の面が義祖母にあたるデュ・バリー夫人である。
娘であるマリー・アントワネットはデュ・バリーを攻撃することで、自分を政争の具にした実母に対しての怒りと寂しさを癒してるんですよね。
これあくまでキャラクターとしてのマリー・アントワネットの話しで、歴史上の彼女がどうだったかって話しじゃないですよ、当たり前ですけど。
あとベルばらに関しては、私の考えではなく昔読んだある本に書いてあったものです。手許に無いのが悔やまれますわ。あの本で今の考え方の基礎ができた。
タイガーの方でもルナティックを意識してるシーンは多い気がする。
このふたり状況的にもっと対立していいと思うんだが、ルナティックは決して必要以上にタイガーを攻撃しようとしない。場合によっては守ろうとさえする。
(これを書いた頃、私はまだ『Rising』鑑賞前でした。)
一人の男の正義の体面を保ち、脆弱な素顔を否定するためにユーリは虎徹を必要とした。
虎徹は父親に憧れた幼い日の自分自身だから。
ユーリが虎徹を守ることで真に守りたいのは今や自分の心の中にしかいない正義のヒーローなのだと思う。
これを書くので色々ネサフして知ったのですが、ユーリは当初タイガーの元相棒として設定されてたらしい。それ知ってなんかすごいすっきりしました
一方のバーナビーは、当初ルナティックがウロボロスの関係者と目してた頃以外はその他の犯罪者のひとりって感じ。あまり執着してる様子が見られない。
てかぶっちゃけ、バーナビーって両親と虎徹さん以外の人間に関心ないよね。2では幼なじみとか出てくるけどね。
まぁバーナビーの話は次回以降。
TIGER&BUNNY(無印)の感想、5話目です。重要なネタバレあります。
それで Mr.レジェンドの話をしたいんですけど、その前に虎徹の家族の話をします。
虎徹はシュテルンビルトで一人暮らしですが、田舎に家族を残している。老母、娘の楓、独立した兄。妻は数年前に他界している。
父親については一言も言及がなかったと思うんだが(私が覚えてないだけかもしれないが)、お墓参りのシーンがあったのでおそらくあの中なのだろう。
虎徹が何歳の時に亡くなったのかにもよるが、おそらく父親の不在と自らの能力の出現で精神状態が不安定になってたところで事件に巻き込まれ、そこを救ってくれたのが Mr.レジェンドだった、と。
レジェンドは事件そのものからだけでなく、虎徹少年に将来ヒーローになって誰かを守る、という夢を持たせてくれた、いろんな意味で救いだった。
ある意味父親的な存在と言える。一度しか会っていないこと、現在の消息が分からないことも『レジェンド(伝説)』感をだしており、虎徹の中でより理想化されていると言えるだろう。
考えてみると、虎徹もバニーも実の父親が不在なので、それで父親的な人物が実際以上に大きくなってしまったのはあるだろうな、心の中で。
物語が進むにつれて、そのレジェンドには実の息子がいることが明かされる。
息子のユーリが幼いころは父であるレジェンドのヒーロー業もうまくいっていたようで、息子にとっても良き父親であったようだ。
それがある事情からヒーローとして行き詰まるようになり、家庭でも酒に溺れ妻に手をあげるなど日に日に生活が荒んでいく。思い詰めたユーリ少年はついに…。
ある意味で、虎徹は幸運だったと言えるでしょう、真実を知らぬまま大人になれたことは。
しかしどこかで道を誤れば、ふたりの運命は全く違っていてもおかしくなかったと私は思うのです。
気安く始めたはいいけど、これ書くの結構大変だぞと気づき出しました。おそいよ。
一応言っておくとアニメ以外にも書きたい話題はあります。けどどうしても暗くなるからさぁ
TIGER&BUNNY、4話目です。
ヒーロー物語の世界でパワー、異能を手に入れることは大人の力を借りて一時的に大人になることの暗喩だ、という説について掘り下げてみる。
昭和のヒーローアニメにおいて、主人公が得たパワーは基本的に善なるものとして描かれている。それを得たがための苦悩などもあるのだが、エピソードの一つとして扱われ、物語の前面に出てくる事は少ない(当然例外はある)。
タイバニにおいては、むしろ苦悩が前提になっている。能力者である “NEXT” は、物語世界では周囲にとって招かれざる者であることが多いようだ。
そもそも他のヒーローアニメでは、パワーを得た者とヒーローが無条件でイコールなのだが、タイバニ世界では能力がある者が必ずしもヒーローになれるわけではないという点が大きく異なっている。
また、旧来のアニメでは主人公に能力を授ける存在が登場する。敵(ショッカー)だったり味方(バードマン)だったりするが、どちらにしろこれは大人の代表、親の暗喩だと見ていいと思う。
しかしタイバニの世界では、そういった存在は登場しない。能力はある日突然勝手に発現して、当人や周囲を困惑させる。
これ要するに、視聴者として想定されている年齢層の違いによるものだと思う。視てるのが子どもだったら大人の力を借りて一時的にでも大人になったらそりゃ無敵でしょ。
けど大人だったら、自分程度の人周囲にいっぱいいるし、そのスキルを活かせるかってその人によるよねって話しになる。
書いてて気づいたが私がタイバニを視始めた当初これはパーマン、と思った理由が『敵が固定されていないこと』と『Mr.レジェンド』にあるのだなぁと。
パーマンには、特に定まった敵と言うのはおらず、事件は毎回単発的に起こる。タイバニでも最初の数話はそう。
そしてパーマンにとって導いてくれる存在としてバードマンがいるのと同様に、タイガーにも心の師、先達としての Mr.レジェンドがいる。
これがだんだん、ウロボロスという謎組織が登場したり、レジェンドの過去が明らかになったりしてどんどん “藤子不二雄み” が薄れていく。そうかといって “石ノ森章太郎み” はあんまり感じないけど。
それでその Mr.レジェンド(と、)の話しをしたいんですけど、その前に虎徹の家族の話しをします。
※ ネタバレあります。
TIGER&BUNNY の話し。第3話です。
もう一個、タイバニの特徴を挙げると、時間制限と期間制限というのがあります。
タイガーもバニーちゃんも、ハンドレッドパワーには『5分』というタイムリミットがあります。これが時間制限。
そしてネタバレになりますが、タイガーの能力は徐々に5分保たなくなってゆき、最終的に消失する未来が予想される。これが期間制限です。
時間の制限があるヒーロー、っていにしえから特撮にありました。『ウルトラマン』っていうんですけど。
ウルトラマンに3分間の時間制限がある制作上の理由は Wikipedia に載ってますんで各自ご参照ください。
私が二十数年前に読んだある本によりますと、ウルトラマンの怪獣が暴れてるのは視聴者である子どもたちの中の幼児性の発露を暗喩してるのだと。
暴れることでカタルシスも得てるけど(くんちゃんと一緒)、他方でそのうち怒られるんじゃないかと怯える気持ちも惹起される、そこで幼児性を制御するためにウルトラマンが現れるのだと。
ウルトラマンのおかげで怒られる危機は回避できたけど、そうかといって制御される状態がずっと続いてるのも苦しい…、ので3分間という時間制限があるのだ、という内容でしたね、あえかな記憶によると。
そう言われてみると、バーナビーの両親の仇と目されたジェイク、と言うのはやたら幼児性の強いキャラですよね。
ただ、あんまりジェイクが暴れてるとこを見ても気持ちよくない気がする。
どっちかというと、暴れてるとこを見て気持ちいいのはタイガーだよな。壊し屋タイガーが幼児性の発露でありその能力にタイムリミットが定められてるんだと解釈した方がしっくりくる。
じゃぁバニーは、というところですが、これは単なる付き合いでしょ。深い意味は無いと思う。知らんけど。知らんとか言い出したら全部そうだよ。
まぁ、幼児性の強い敵、といえばダイヤモンドの人もそうだし、part2 に登場する敵もだし、そっちに対しても影響はしてると思いますけれど。
さて、もう一つの期間制限の方ですが。
タイガーの能力が徐々に発動時間が短くなってく問題。これは前回指摘した点に帰結すると思うんですが。
つまり最終回にヒーローパワーを失くすのは大人の力を借りずに大人になることの暗喩だと。
要は旧来のアニメの構造に立ち返ろうとしてる、ように見える。バーナビーからすれば、先祖返りとか言われそうですけど。
大人になる、というのは TIGER&BUNNY の場合自立するということで、では自立とは、というと父親からの巣立ちを表している、と思います。とにかくしつこく父子なんですよこのアニメ。
そんなわけで次回はその辺の話しを。