ずっと以前から、自分の中にある「自分は並外れて凄い人にならなければならない」という強迫観念のような思いと戦い続けている。「他人よりも優れていなければならない」という、その強烈な衝動が、いつも私を追いかけ、私を突き動かし、私を縛り続ける。
治療家なのに数学をやっているのも、そういう理由だ。普通であってはいけない、普通を越えたところにいなければならない──迫り来るそうした感情によって、私は数学を続けている。
もちろん、それだけが唯一の理由ではない。自分ならもっとできたはず、という過去の埋み火のようなブスブスと燃え残った思いがあって、それにいつかケリをつけなければならなかった。
だが、それと同時に──いや、それ以上に──見せつけてやらなければならなかった。「自分は他の人たちとは違う」ということを。誰に対して? もちろん周りの人たちに、ということもあるが、何より自分自身に。私は自分自身に示さなければならなかった。自分の中に繰り返し流れる、「お前が他の人たちとは違うということを示せ」と迫る、その声を黙らせるために。
しかし、数学なんてそんなに簡単に進むはずもなく(ということは最初から分かっていたことだが)、日々「できないダメな自分」を見せつけられ、焦燥感と劣等感が自分の中に降り積もっていく。だからその声も止むことはない。
そんな声に対して、「私はありのままで素晴らしい」などという言葉は全く意味をなさない。「私はありのままで素晴らしい。ただそのままで存在する価値がある」などという言葉を投げても、「ならばそれを証明しろ」という声が返ってくるだけで。そして私は自分が投げたその言葉が正しいことを証明することができない。だから、そんな言葉は(少なくとも私には)何の助けにもならない。無意味だ。
そんな中、ホ・オポノポノの4つの言葉のうちの1つ、「許してください」が(キネシオロジーの筋反射テストで)使えそうだとわかり、それを使って、内なる自分に対して「全然凄くない自分、他人より優れていない自分を許してください」と謝った。さすがに「それを証明しろ」という声は上がらず、自分の内側が少し静かになったように感じる。
だから、そんな少し静かになった自分でまた数学を始める。あの声はすぐにまた追いついてくるとしても。
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