BAR SR

ある時はSRのガレージ、ある時は小皿料理やお酒を楽しめる、小さく狭いからこそ居心地のいい空間を時々開店します。

トマトジュース

2012年10月03日 05時43分22秒 | drink
出張の日は早起きして移動、目的地に向かう。現地で早く活動するために。
新幹線を使って、広島・名古屋・東京に向かうことがほとんど。
この何年かは、移動時間中に効率よく(?)眠ることに長けてきた一方で、
読書の時間が大幅に減少した。
出張が続くと、肩から腰にかけての“こり”がたまることと、
普段から、妙に早く…4時台とか…に目が覚めてしまう。
今日は月がきれいだった…。

このところ気温も低くなり、氷の入っていない飲み物が欲しくなる季節。
さて、先日、山崎と白州が新しくなって発売された。
10月2日より180ml瓶も加わり、自宅飲み用としても買いやすくなった。
基本は飲み切り、BARのタイトルを付けているが、自宅に瓶をと並べていないのだ。
瓶とくれば、サントリー角瓶。10月8日が生まれた日とされる。
発売は1937年、もうすぐ75歳(!)になる。
この日は、ハイボールでお祝いしようと思う…氷入りから遠ざかってはいても。

話題変わり、少し前9月中に自宅に届いたトマトジュースについて。
昨年より通販で購入している。さらっとした中に濃厚なトマトの風味が
くっきりとしている。原材料名はトマト。塩・砂糖は入っていない。
飲むだけでなく、ソース作りなど料理にも使っておいしくいただく。

画像は、麦焼酎をこのトマトジュースで割ったカクテル。レモンを数滴加えた。
グラスに入れただけの、トマトジュースに見えるけども…。

 

日本最初のウイスキーづくり

2011年06月04日 15時58分05秒 | drink
世界の5大ウイスキーの1つとして、品質と生産量で高い評価を受けている日本のウイスキー。
では、初めてつくったのは、いつ・誰なんでしょうか?


明治維新後の日本では、イギリスの文化に対するあこがれのようなものが膨らむ、
そのような中で、国産のウイスキーを作りたいという夢があったわけなんです。

最初に実現させようとしたのは、摂津酒造という酒造メーカー。
しかしながら、当時はスコッチウイスキーの製造法というのは、
国家機密なので教えるはずはありません。文献でもそのようなものはないということで、
それでは本場のスコットランドに誰か留学生を送ろうということになりました。
そこで、白羽の矢が立ったのは竹鶴政孝という青年。彼は広島のつくり酒屋の息子で、
醸造学を勉強していて、就職口を探している時に、摂津酒造からその話があったとか。

1918年、竹鶴は単身、スコットランドのグラスゴーに渡り、それから約2年の間、
ロングモーン蒸留所やヘーゼルバーン蒸留所などで実地にスコッチづくりを学びました。

しかし、戻ってきたときには、日本はちょうど大正末~昭和初期にかけての大不況時代で、
摂津酒造には、もはや財力がありませんでした。
国産ウイスキーづくりの話は宙に浮いてしまったわけなんです。

その竹鶴の夢を実現させたのが、サントリーの前身でもある寿屋の鳥井信郎。
鳥井にも竹鶴と同じ夢があり、1923年、今の山崎の地に国産第1号蒸留所が建設されました。
これが、現在のサントリー蒸留所です。

そして、1929年に国産ウイスキー第1号「白礼」が誕生しました。

この白礼がジャパニーズウイスキーの祖になるわけですが、すべてのつくりかたをスコットランドで
実地に学んだ通りに、まったく同じものをつくろうとしたという点で、白礼はかなりスコッチに似た
ウイスキーだったといえます。ジャパニーズウイスキーはある意味ではスコッチの弟分です。
その当時、世界を席巻していたのは、ブレンデッドウイスキーであって、竹鶴や鳥井の中に頭にあったのも
当然ブレンデッドウイスキー。シングルモルトではありませんでた。

やがて、竹鶴と鳥井はお互い相容れないことがわかってきます。
竹鶴は、樽詰め約8年は寝かせないといけないと主張する。それは、スコットランドでは
8年寝かせるのが一般的だったから。
一方、鳥井の考えでは塾成は、年数にかかわらず最高の状態で瓶詰すべきで、
日本は気候風土が違い、ジャパニーズウイスキーをつくるのであって、スコッチウイスキーをつくるのではない、
ということで、考えが対立してしまいました。

それではということで、竹鶴は山崎蒸留所を退所して、スコットランドの気候風土に近い、北海道の余市に
余市蒸留所をつくりました。これが国産第2号の蒸留所、現ニッカウヰスキーの余市蒸留所です。
当時の社名は、大日本果汁といいました。

ところで、ウイスキーをつくるということは、創業してから製品になるまでに10年近くかかるわけで、
その間、経営をどうするかという大問題があります。
そこで、彼が考えたのが、余市の近くでたくさん栽培されているリンゴを絞ってジュースにし、
それを売るということでした。大日本果汁という社名はそこからつけられたものです。
ニッカウヰスキーという現社名は、大日本果汁の日と果からきているんですね。

竹鶴があくまでもスコッチウイスキーにこだわったのに対して、
鳥井はオリジナルのジャパニーズウイスキーを目指したというのは、非常に興味深いものです。

その後、ジャパニーズウイスキーは、世界の5大ウイスキーとして独自の地位を築く…。


(参考文献:スコッチ三昧 著者 土屋 守、Whisky Book 非売品)


  

左:スピリッツセーフ。ガラス張りの小さな箱のようなもので、セーフ(金庫)というんですね、
これは…書き出すと長くなるので、またの機会に!

右:仕込み槽。麦芽を細かく砕き、温水と共に仕込み槽へ。


焼酎のミツバ香り湯割り

2011年05月14日 05時51分07秒 | drink

さて、画像に写るこの植物、何だかわかるでしょうか?
早速ですが、答えは…ミツバなんですね。

このミツバ、管理されて育てられたものではなくって、
アルミ缶を使い「手作りランタン」の作り方をお伝えした、
キャンプ場近くを流れる川の近くに自生している天然もの
なのです。

このキャンプ場、サイトや場内の設備が快適で、
数年前に初めて訪れて以来、その後もよく使わせてもらっています。

以前、今回と同じゴールデンウィーク時期に利用した際、
“山菜や野草で一皿料理を作ろう”と食材となる植物を探し、
見つけました。それ以来、時期が合えば「今年もあるかな~」と、
自生しているところに会いに行きます。

自然の恵みを少しいただき、その香りを楽しみました。

で、この飲み方は、BAR SRで続けて2度目のご紹介、
水を沸かしてミツバを投入、香りを移したお湯で割った
[焼酎のミツバ香り湯割り]です。
湯気の中にほんのり香り、口に含むとふわっと拡がります。

ただね、今回のキャンプは、赤ワインとビールをたんまりと持ちこんだんで、
焼酎は、行きの道中に立ち寄ったスーパーで、画像の小さな焼酎を一つだけ購入。
この焼酎の味が…好みではなかった(苦笑)。

陽が傾き気温が下がり始める時間、これから夕食を作るという前に、
味わうのにもってこいの[焼酎のミツバ香り湯割り]いかがでしょうか?


ここで、料理のご紹介を。キャンプの初日は、ポトフです。
野菜類は、玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモ、キャベツを大きめに切って、
肉と一緒に鍋に放り込みます。
コンソメ、マジックソルト(品名:スパイスとハーブと岩塩をミックスしたもの)、
ニンニク、赤ワイン、水、それぞれ適量をいれて、蓋をするだけ。
今回は、(今回も)料理に時間を掛けずにたき火を楽しみます。

フランスパンと赤ワインを手にたき火を楽しみつつ、ポトフの完成を待ちます。

出来上がり。

キャンプ2日目の夕食は、カレーです。そう、食材がポトフとほぼ同じで済むから…
それに、調理方法もね。