ついに主対応者が匙を投げた。
そりゃそうなるわ。
金で解決できるのが一番良いが、
制度上は子供のほうが不利にも関わらず当然子供自身の老後資金は目減りしていく。
ある中でやっていく、という論理は、わが毒親には全く通じない。
足りない時は子が払うものとする一般論は別にして、使っている額が贅沢すぎる。本人は「足りない、払えない、サポートしてくれ」という「必要な援助をしてもらえてない」という被害者意識が強すぎて手に負えない。
ざっと仕送りも含めて一人で400万以上は収入がある。
独り身で食費消耗品費で月5万、足りないからもっとくれとはどういう料簡なのか。
医療費だって、必要なところではなく、自分が行きたいところに行くからタクシー往復2万かかるのだ。
生まれは貧しかったはずなのに、なぜこうも常識と経済観念が乖離してしまったのだろう。
不思議で仕方がない。
この毒親の悪い事例は、私にとっては大きな学びを得た。
・手に入れたと思う幸せも人生を通してみれば砂上の楼閣に過ぎない。一時の幸せには常に感謝し、幸せを失ったときも取り戻そうとしない方が心の安定につながる。
・子供がたくさんいようが、何人結婚しようが、自分本位な人格の場合には法律上の義務だけの付き合いで最期には誰も暖かな思いやりを表明することはない。身から出た錆は人生を通して起こってしまう冷たいけれど確かな事実。
・老いては子に従えというのは、心得というより金や体力という資源を子供に頼らざるを得なくなくなるため、子が幼かった頃とは逆の立場となった自覚をしなさいという格言。
・自分のことは死ぬまで自分でやるという当たり前のことを、社会的地位が上がると忘れがち。
・時代の「普通」は怖い。昔は、は禁句だなぁ
・膨れ上がった生活水準はなかなか戻すことはできない。デブ付いた中年の体や物のコレクションと一緒で、生きるために必要なものと見栄や強欲との区別がつかないと悲惨。
以上のことを実例をもって、夫にもいい含めている。
全員でワガママを封じ込めるために親が苦手とする子供を窓口に充てたがどうなることやら。
死ぬまでも、死んでからも、当人には分からない気がするなぁ。
もともとそんなに兄弟仲は良くなかったが、親の件で完全に空中分解した。みな壮年中年。
生まれながらにこの世の生老病死という四苦が導き出す結末はそんなに良くないだろうとは思っているが、なかなかに世知辛いね。
毒親は毒親で病院で98歳の認知症の透析患者を目の当たりにして、自身の有りたい最期について考えだしたようだ。
彼自身はそれらの事象を見て「認知症で自分のこともそう分からなくなっている中で延々と生かされ続けている」と感じたようだ。その人及び家族がどうこうというわけではなくて、どうもそれは自分の有りたい最期ではない、と感じている様子。
誰しも自分は自分でありたいものね。
周りの状況から必然的に心構えをしだすのは良いことだ。引き続き自分のこととして自分のことに取り組んでほしいと思う。