タイトルは義母の言葉。
誰かのために生きるという思いは難しい。
別に夫の幸せのために生きてるのだとは全く思ってない。
私が
夫を悲しませたくないというだけ。
社会のために
貧困のために
誰かのために
家族のために
そのように生きることが心から幸福と思ってりゃいいけど、結構、そう思い込まないと生きてらんねぇゼ!ということってまぁあるよね。
人生は不可逆的だからね。
そう思い込まないと生きてらんねぇゼ!という自覚がある人間はまだ良いけど、「ずっと子供のために生きてきたのに」とか「夫のために」とか自分を犠牲にしてる感を無自覚に持っている人ほど幸せを感じにくい気がする。
周りからしてみたら意外と「それ自己満足じゃん」とか「頼んでないし」とか思われてたりして、他人が介在する幸せなんて報われないことは容易にある。
私が義母から聞いて
うわ~私の家庭ではそんな考えは生まれなかっただろうな、という思い出深い言葉が「私が幸せでなければ子供達は幸せではないと思って生きていた」という言葉。
自分の幸せのために仕事も続けるし、当時は保育園とかも充実していないので、お隣さんやお友達に迷惑をかけつつ、子供が当時は数少ない鍵っ子でも、とにかく自身の幸せとのバランスを取っていたらしい。
当時は女は結婚退職するか○歳までに退職すれば退職金加算される、というような規定が普通に会社の規定にあるような時代で、育休なんてもっての他、女性管理職なんてましてやありえないという時代。
彼女はどうやら会社の先陣を切った女だったようだ。後々後輩に○○さんのおかげで、と感謝されたこともあると言っていた。別に彼女は会社の後輩のためを思ってやったことではないが、結果として幸いにもそういうことになったようだ。
いろんな障害があっても、自身が幸せでいることが大事だね。
死ぬときに「もっと自分のために生きていれば良かった」と後悔しないように。
もちろん「もっと自分以外の人の幸福も考えるべきだった」と後悔もしないように、何事もバランスだな〜