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中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を読んだ

2025-03-06 | 
いつ初読したか忘れてしまった。



大往生したけりゃ医療とかかわるな、という挑戦的なタイトルだが、サブタイトルは「自然死」のすすめ、となっている。

ざっくりとした結論は終末期は余計な医療なんてしないほうがマシで(無理に生かしてるだけ)、ガン死がおすすめとのことだった。

若いうちのガンのことは書いてないように思うので、まぁそれは置いておく。

死ぬ時のためのトレーニングとしては、自分でできることは精一杯自分でする。

利き手麻痺でももう一つの手が残っている。どうせすることがないので(と本に書いてある)1回の食事に半日かかっても構わない。人に食べさせてもらうと欲しくない時にも無理やり口の中に押し込まれるという"拷問"にかけられることになる。(と本に書いてある)

トレーニングで難しいのは
「痛いの痒いのしんどいのは口に出さず、態度にもださない。」

これは難しいので普段から死ぬ時のためにトレーニングを積んでおく必要があるとのことだが、大変難しそう。
うっかり救急車で病院に運ばされると、死ぬのを引き延ばされて、その間"地獄の責め苦"を味わうことになる(と本に書いてある)。

なかなか過激な、でもどこかしら心の奥で医療不思議だよね、と思っていたことを突く内容で今では私のバイブルだ。

これまで、ちょっと具合が悪いと、すぐ「医者よ薬よ病院よ」と騒いでいた人が、延命拒否を声高に叫ぶのは、ちぐはぐだということです。
もちろん、症状軽減のため、医療を利用するのはいいでしょう。
しかし、医療には、若返らせることもできず、死ぬことも防げないという「限界」が厳然としてあるのです。今後どんなに医療が発達しようとも、"老いて死ぬ"という大枠は、どうすることもできないでしょう。大事なのは「今」なのです。
今の生き方、今の周囲へのかかわり方、今の医療の利用の仕方が、死の場面に反映されるのです。「今」の生を考えるために「死」の助けが必要なのです。
この本の実益的なところは先生の事前指示書が公開されている所。本の末尾近くにある。


自分の死を考える集い開催スケジュール掲示板

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著書である父中村仁一が皆様へ遺言としてお伝えしたかった内容を載せております【自分の死を考える集い開催スケジュール掲示板】

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著者の中村先生はご立派に最期を迎えられ、著作のとおりにできることは最期までサポートを受けながらもご自分でなされていたそうな。

本掲示板においては、息子さんが書かれた「中村仁一の遺言」シリーズがとても良くまとまっていておすすめ。

私は安楽死肯定派で先生とは一部立場を異にするけれど、
自戒を含めて
病院にかかりたがり薬だよりなのはいけないな、と少し思っている。

でも痛みや痒みには弱いからすぐ薬欲しくなっちゃうんだよな〜
弱い自分には先生ほどの立派な死は望めなそうだ。