そらとうみとりくと

初めて一緒に暮らしたそらがお空に帰り、その後ポメキーちゃんを迎え、うーたんと穏やかに暮らしています。

ハワイ滞在3日目 パールハーバーへ

2020年01月09日 | 旅行記

4日はうちの長男、二男(あひるのとと)の誕生日。

ホールのケーキはうまく切ることができないので

大人のお誕生日はショートケーキを買うことに決めているワタシ。

 

あいにく、当日本人は休日出勤。

8時頃帰ってくるのを待って、♪ハッピー バースディ♪

そして、ろうそくフーッ!

 

すると、ととがHARUちゃんのお誕生日(12/21 私たちも旅行中)に

何もしてあげてないというので

 

再度、ろうそくに火を灯して、HARUちゃんの分のフーッ!

 

2人とも、30歳のお誕生日、おめでとう。

30代に突入するという大きな節目のお誕生日だったけど

あひるとひよこ、2人を育てる今は

そんなこと考える余裕もないよね。

いつでも応援してるよ。

頑張れ、頑張れ。

 

 

    

さてさて、ずいぶんと時間が経ったけれど

旅行記の続き。

ハワイ旅行3日目はパールハーバーへ。

誰しも一度は歴史で習う、いわゆる真珠湾攻撃があったところ。

 

太平洋航空航空博物館・コックピットツアー

戦艦ミズーリ・アリゾナ記念館などをガイドさんつきで回った。

 

ガイドさんは自称ミッチーさん。

日系3世とおっしゃったかな?

おじい様だったか、ひいおじい様だったかが移住してるから

日本は知らない(住んでない)のに

自分には祖国が二つあると…日本に対しても非常に愛国心が深い方だった。

バスに乗ってすぐ

「パールハーバーにはたくさんの観光客が来るが

日本人はとても少ない。

それはきっと、真珠湾攻撃を”不意打ち、奇襲”と習い

いかにも卑怯と言われるせいだろう。

でも、所詮戦争なんて、お互いがそうやって探り合って戦い

殺しあうもの。

現地ではsurprised attackと訳され

卑怯だと思ったり、日本人を恨む人はいない」と話された。

だから、せっかくここを訪れたので

しっかりと戦争について学び、平和を考える機会にして欲しいとも。

 

後ろは零戦。

多くの若者がこれに乗って、敵機に突入して行ったのだ。

 

 

この戦艦ミズーリは

戦時中最後に完成し、最後に退役したため「最後の戦艦」と呼ばれている。

こんな大きな戦艦を作れる国に勝てるわけがないわよね。

春から見ている再放送の「おしん」

ちょうど、おしんが戦争で長男を失い

失意のどん底にある場面を見たばかりだったので

改めて

戦争のこと、戦争で命を落とした人、そしてその家族に思いを馳せる。

 

1944年に8月に日本が降伏したため

ミズーリは東京湾に入り

この船上で降伏文書が交わされた。

杖をついた人が日本政府代表の重光葵氏。

対するはマッカーサー元帥率いる連合軍側。

ずらりとサインされている。

この船上で…70年余りの年月が流れたんだなぁ。

 

 

真珠湾攻撃によって、沈んだ戦艦アリゾナの上に記念碑が建てられているので

船に乗って、それを見に行く。

 

ここには真珠湾攻撃によって命を落とした兵士の名前がずらりと刻まれている。

 

アリゾナの一部。

すでに錆びて、魚の住処になっている。

 笑顔で写真が撮れる、この平和がいつまでも続きますように。

 

真っ青な空にヤシの木がそびえ、星条旗がはためく。

いかにも南国、アメリカの光景。

平和であればこそ…

 

今一度、ミッチーさん♪ 

歴史では習わない、今まで知らなかったことを

たくさん教えてくださって、ありがとうございました。

ずっとお元気で、たくさんの日本人にいろいろなことを伝えてくださいね。

 

 

この日は夕食がフリーだったので

「KIRIN」の表示があれば大丈夫かと、ここへ。 

KIRINと関連はあるようだけど

中華料理で、スタッフもそちらの方々。

お高うございました(汗)

 

お食事に付き合ってくれたお嬢さんと。 

ツリーが色褪せるほどに、綺麗なんだよ。

素顔出しちゃいたいくらい、秋田美人^^

 

彼女も夜のビーチに連れて行ってあげた。

何回来ても、いかにも〜!と思わせてくれるビーチ。

 

若い彼女がハーゲンダッツが食べたーい!というのでお付き合い。

美味しかった^^

 

さぁ、あとは最終日(日中フリー)を残すのみ。

コメント (4)
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