吾が見る先に(agamirusakini)

自分が見る先には何があるのだろうと思う事が多くなってきた。振り返りながら、自分の道を探しながら歩いていきたいと思う。

我が家の屋敷神

2015年08月13日 | Weblog

古い文献に、などというと「おっ!」と思うが

僕の手元にあるのは、大正六年の信陽新聞の切り抜きである。

ここに特集が組まれ、僕の家の歴史が書かれている。

僕の高祖父『彌平治』という人の事が書いてある。

その中に我が家の屋敷神についての記述がある。

【又 守矢氏の屋敷(やしき)神(かみ)を鹿(しか)乙(おと)明神(みょうじん)と呼べるが

 其(その)祭神(さいじん)を詳(つまびら)かにせざれどそのみ贄(にえ)の鹿(しか)に関係あるは

 推考(すいこう)するに難(かた)からず。

 鎌倉時代の上社の諷物(もの)『諸神(しょしん)勧(かん)請段(だん)』ちうにも

 所載(しょさい)あれば其(その)由緒(ゆいしょ)の古きを證(しょう)すべし。】

     韻を踏んだ唱がその後に続いている。

古い写真を整理しているときに、それらしい祠の写真を見つけた。

この手の事で世話になっている方に知らせると、早速ホームページに掲載されていた。

http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/sikaoto.htm (ご覧ください)

昇り旗は(初午)となっているので、どうも稲荷を祀っているような感じ?

商売をやっていたこともあり、そういった風習があったのだろうと漠然と思った。

ただこの土地には〇〇牧といって、同じ系譜を持つ苗字の集まりがあったと記憶している。

   それの牧の集まりが、初午だったように覚えている。

上社には神馬の対の像もある。それがどう繋がるのかはわからないが、興味のあることではある。

いずれにしろ、我が家の屋敷神が祀られているのは天狗山。

僕はその場所に行ったこともないのだが、行ってみたいと思う。

 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
我が家の屋敷神 (shion)
2015-08-14 13:35:51
この祠は行った事があります。
確かお墓の川を挟んだ反対側に隣の家の氷田(氷を作る処)がありその辺から登った処に会ったような気がします。
子供の頃牧の初午は家族全員で行きました。
御柱もこの祠に建てたような、うろ覚えです。
返信する
お久しぶりです (soraan-jj)
2015-08-14 16:52:48
諏訪には馬を放牧していた記録があり、騎馬民族がいたともいわれます。それが牧だと考えています。一族の集合体が牧で、商売をしていたから稲荷に関係のある、初午の寄合をしていたのだろうとも考えています。天狗山の祠はこんな風に彼のホームページに書いてあります。(西沢川を挟んだ右手の尾根が消滅する手前に、周囲とは馴染まない石垣が見えます。何だろう、とその上を透かすと何かの案内板が見えます。芽吹き前の季節に色が白、ということもあって偶然に近い確率で目に付いたのでしょう。守矢神長官家の墓石も指させる墓地横の道を選び、尾根の反対側に回ります。かつての杖突峠へ向かう道で、それに沿って一跨ぎできる沢が続いています。落ち葉下の見えない危険に大事を取って、確実と思われる石の上を選びました。鳥居があり石祠があり大木があり、先ほど見えた案内板がありました。期待の史跡ではなく、諏訪市天然記念物の案内でした。左の高みにも鳥居と大木があり、真似したかのように祠と案内板がありました。)その大木が櫟の木です。先に祠を見つけています。今は石造りのもので、木の洞に朽ちた祠があったそうです。屋敷神ですから、そんなに遠くに祀ってあるわけがないので、氷田の上の方でしょう。その近くで、同級生と秘密基地を作って遊んだという話が先日同級会で出てました。僕はこの社は覚えがありません。でもよくこんな写真が残っていたと思います。
返信する

コメントを投稿