吾が見る先に(agamirusakini)

自分が見る先には何があるのだろうと思う事が多くなってきた。振り返りながら、自分の道を探しながら歩いていきたいと思う。

まだ今日は地中海村の朝から

2014年06月30日 | Weblog

朝目覚めて、カーテンを開ける

賢島方面を見ているのだろうか・・・・。

英慮湾(あごわん)の朝もやの中を、漁船が進んでいく。 

                    ぼんやりとその風景に浸る

        お父さん早く!  娘と女房は、もう朝食に出る用意をして待っているんだよね

レストランの窓からもその光景が見える。今度はプレジャーボートか

          今日は晴れるのだろうか・・・・お伊勢参りなのに・・・・。

   なんて   少し気取って書いてみたものの、おなかがグウーと鳴ってしまっては

                         女房と娘は日本食で

手前のみそ汁の具はベラ。グロテスクだが白身の魚で旨い

           鯵に鯛の切り身に卵焼き    と なかなか豪勢。

女房のみそ汁はセイゴ。こいつも身が厚くて旨そう。

   僕はと言えば、洋食を頼んだんだけど       写真は ピンボケの失敗作。

ミネストローネ・ホタテの旨煮。キッシュ・ベーコン・ソーセージにヨーグルト。

       クロワッサンにアップルパイなどなど・・・・・・。ボリューム満点です

              でもやはりここは  海産物がいいのかなと、女房達の和食をちら見

満足して、レストランを出て

           さて    明るくなった村の風景でも見ましょうか

レストラン前から海を眺めて、つぼの上に島を乗せて見ました

  昨晩はあまりのぞけなかった、レストランから出て左のトンネルの先です。

この三倍くらい撮っているのですが、そんなに載せられないんで

                   気に入っている物を載せましたが、いいでしょうか。

クラフトショップの中庭は、こんな風になってます。

そして門を内側から撮りました。

   さて今日はこれから村を出発して、伊勢神宮の外宮から内宮に参拝です。

         今回の旅行はカメラと携帯を使って、約300枚に上る写真を撮ってしまいましたので

まだまだ・まだまだ      伊勢の旅は続きます

                しばらく   お付き合いください

 

 

 


伊勢の旅・地中海村の夕昏時

2014年06月29日 | Weblog

食事を終えてから

         部屋に帰るまで

  路地をのぞきながら     ちょっとした旅人気分で。

そうそう、レストランから見て左手にプールと桟橋がありました。

          桟橋では釣りもできます    でも夜はこんなに幻想的です。

レストランから村に入って   右   そして次の写真が 左  を向いて見える景色。

このトンネルを抜けると、

                             こんな景色が広がります

白い壁に書いてある文字が

           なんかピッタリはまる場所だという気がします。

これは僕らの部屋の前にあるクラフト工房。

          こんな照明も素敵な演出です

部屋を通り過ぎて行くと

         迷路のような道が広がります。

                             いろいろ楽しい作りになってますよ

階段を上がると、チョットしたテラスが・・・。

    テラスから見下ろす景色も、風情あり

本当に地中海にあるどこかの街を歩いている気持ちになります。

そして、僕らの泊まるメゾネット・スイートは

こんなロケーションの先にあります。

中からクラフト工房を見ると

そして

このドアがとても重厚で

     いや~~とっても重くて、なかなか開けるのに苦労しましたが・・・

明るい街並みもいいですが、この夕暮れ時は最高でした。

          少し早目について、街中を散歩して歩き

     夕食を日が暮れる前に始め、食べ終えて帰る頃には薄暗くなるくらいが

                              最高な風景になると思いますよ

 素敵なところです  是非・是非  行ってみたら

                                気に入ること請け合いです

 

 

 


伊勢の旅

2014年06月28日 | Weblog

                         25日から

  娘と女房とで、伊勢神宮に行きました

僕の運転で片道8時間をかけての、ロ~~~ング・ドライブ。

     京都や金沢にも行ってますんで、気になりませんがね

行きは圏央道が開通しているはずだったのに

          仕方が無いので、

相模原愛川までは、八王子バイパス・上溝バイパス・16号を使い

   圏央道から東名高速・新東名を使って、名神・名阪・伊勢道と渡りました。

どうしてもウナギが食べたかったので

      浜松のサービスエリアまで、我慢・ガマン・がまん

僕は、桜エビとウナギ

          女房が、うなとろ丼

   娘は、出し巻き卵とうなぎ  とそれぞれ。           分け合って食べました。

どれもウナギがふっくらとして、GoooooooooooooD

                二時過ぎまで我慢した甲斐がありました。

泊まったのは、伊勢地中海村です。

           こんな所にあるのかいと思うようなロケーションの道を行くと

  突然地中海を思わせるリゾートが現れます。

これが入り口で

左のほうに見えるのが、レストランです。

      部屋はメゾネットタイプ。一階はベッドルームで二階がリビング。

  使い勝手は微妙ですが、ものすごくおしゃれ。

                   写真はありません村の中の写真はまた後ほど。

着いたのはもう5時半ごろで、6時半には夕食でした。

         食事が出来るところまでは、片道で40~50分かかるというので

   レストランで食べることにしておいたので、た・の・し・み  でした

サラダ  (ハートのモッツアレラチーズがかわいい)

        パエリアとパスタから選べたんで

パエリアを二つに

          トマトソースのパスタをたのんで、三人で分けました。

さらにメインディシュが続きます・・・・

メインは鯛と牛のランプ肉。(ちょっとピンボケ)

デザートは(マンゴーソルべ・洋ナシのタルト)に珈琲と、怒涛のコースです。

     二時のウナギの余韻が残っているのに、入る入るおなかいっぱいになりました。

すごく幸せな気分でレストランを出ると、夕暮れ。

 

いままで食事をしていたレストランを後に

こんな道を通り

   ちょっと散歩をしながら、部屋まで戻ることにしましょう。

      明日は、夕暮れの村の中の画像を掲載することにします

          

 

 


訂正

2014年06月21日 | Weblog

昨日パズルの答えは『コメント欄でもかまいません』と

               確かに書きました。

     よくよく考えたら、 頭の体操の答えはそれでいいのですが

色のパズルのほうは、そういうわけにはいかないですね

      色のパズルは、完成の写真を送ってください。

正解をこちらからも添付して送ります

                よろしくお願いいたします。

 


パズルであなたに挑戦2

2014年06月20日 | Weblog

先日のパズルの回答を

        お一人の方から頂きました。

  まだまだ解答は載せません

              1時間ほどで解けたそうです。

今日はその二を掲載します

 この問題は昭和61年四月に発行された《婦人の友》に掲載されました。

 【 Let’Try! だれでも遊べるパズル   五色ならべ  芦ケ原伸之】

  今月は世界に名を知られた、守矢 日出男氏の作品を紹介する。

  作り方)は本からとっていると面倒なので、下に僕の作った画像を添付

       しました。一度その通りに作ってもらえればいいと思います。

       少し厚い紙に印刷して、切るのが手っ取り早いです。

   

    遊び方)出来た9つのピースで、縦5×横5の正方形を作る。

       その時、縦・横ともにどの列にも各色が一色づつ

       来るようにしていただきたい。

       いまは色がばらばらに入っています。

   いままで正解をした方は3人ですが、最短で完成させた方のタイムは

   2時間15分。結構これが難しい。

   のんびり何日かけてもいいので、楽しんでいただきたい。

           回答はコメント欄でもかまいませんよ

                       では


パズルであなたに挑戦

2014年06月17日 | Weblog

ホームページ《守矢日出男百科》のひでをの世界に、パズルという個所があります。

        そのなかに載せているパズルが二つあります。

            二つとも父の作ったものです。

今日ここに掲載するものは

           昭和42年に発行された

多湖輝氏の『頭の体操 第二集』に掲載されている

当時勤めていた学校にいた芦が原伸之という理科の先生が懇意にしていて

                    問題作りに協力をしていたらしいのだが

第二集の中に、父の作ったものが芦が原先生を通じて

                        掲載されたということらしい

ホームページであなたへの挑戦として掲載しているのだが

   まだ誰も回答をよせてきたことが無い

で  ブログのほうがアクセス数が多いので、こちらに出してみることにした。

第二集の問68がその問題になる。

《A/B/C/D、四組の夫婦が下図のような桟敷で芝居を見ることになった。

ところで、彼らはつぎのような条件をみたすように、すわりたいという。

①各夫婦は、必ず隣り合うようにする。

②女同士・男同士が隣り合わないようにする。

③B氏とA夫人は兄妹なので、隣り合うようにする。

ただし、隣り合うとは、前後左右の事であり、斜めは含めない。

さて、こうした約束をとりかわしたとたんに、C氏が中央の席に、先に陣取ってしまった。

この場合、C氏をそのままにして、しかも上の三つの条件を満たすように座るためには

○印にはすわれても、×印にはすわれないひとが一人だけいる。それはだれか。》

                    (制限時間・1時間30分)

                                 というのが、問題である。

まあ制限時間も設けてあるが、こればかりは確認のしようがないので

   正解をホームページ記載のメールアドレスに送っていただければと思う。

        では、スタート  しようではありませんか。

 


廃業している・・・

2014年06月15日 | Weblog

やはり廃業しているものも多く

    なかなかです

     ただいままでの調べで行くと、昭和20年から昭和40年ごろらしい

ということはわかりましたので 

                まだ営業をしていらっしゃるところには

 再度コンタクトを撮りたいと思っています

※照本

昔はこじんまりした座敷の飲み屋というか小料理屋というか、

製糸業華やかな頃旦那衆がいっぱい飲んでは商談するこんなところがたくさんありました。

というのは、湯田町に住んでいる叔母から教えてもらったこと。

※菊本

 

※吉野寿司

叔母が嫁いだ頃から店を開いたらしいのですが、いまは廃業しているそうです。

※鳥梅

ここもいまはないそうです。

まだまだありますが、

            小出しにしましょう  ネタが無くなっちゃいますんでね


玄妙庵

2014年06月13日 | Weblog

文殊の地にある玄妙庵。

先日俳句を紹介した、赤地のマッチラベルに出てきた宮津繋がりです。

玄妙庵の前身は、なかや旅館といったらしい。

大正3年に宮津から文珠の地に移り、そして大正9年に別館掬翠荘ができ、

昭和12年にはなかや旅館の別館として玄妙庵が出来たそうです。

終戦間近になかや旅館がなくなり、戦後は玄妙庵と玄妙庵別館掬翠荘とで営業してきたそうです。

問い合わせに丁寧に答えていただきました。

「政府登録国際観光旅館と書かれてあることから、

お尋ねのマッチは玄妙庵が第27号政府登録国際観光旅館として誕生する

  昭和29年前後のお品かと存じます。」ということです。

昭和39年には東京に出て、父は明法学院で教師をしていましたから

          諏訪の清陵にいたときなのか、明法で先生方と出かけたのかは

定かではないですが・・・。いずれにしろ昭和30~40年あたりの物なのでしょう


長岡ホテル

2014年06月12日 | Weblog

この二枚のラベルは、  簡単に調べられると思っていましたが、

              長岡ホテルと入力すると、伊豆長岡温泉のホテルが出てきてしまいます。

それでも、いろいろ調べているうちに

       藍染の宿 長岡ホテルというものに行き当たりました。

                 YOU TUBEで画像が出ていたので、これではないかと思い

   ネットで調べても、ここ自体のホームページが無く

                             どうにもこうにも行きどまってしまいました

《渡り荘》でも《伊豆の白石》でも調べられなかったのですが、

          白石館としてみたら古い写真などのサイトがありました

『白石館(しらいしかん)は西武グループでも謎の旅館である。

戦前から伊豆長岡・古奈(こな)温泉では有名な旅館であった。

三養荘と隣接していたので、西武に戦後買収された。

1970年代後半には三養荘と一体化されたと思われる。』という説明書きでした。

やはりこうなったら伊豆長岡の温泉組合に電話することにしました

そこで判ったことは

①渡り荘は長岡ホテルの前身で、どうも〈大浴場は昔猿がわたってきたという「わたりの湯」〉から

 渡り荘という名前であったらしい。

②その渡り荘がホテルとなったのは、昭和40年代。

③長岡ホテルが藍染の宿 長岡ホテルとなり、その宿も5年ほど前に廃業しているという。

④伊豆の白石姉妹館というのは、古奈にあった白石館と関係があったということ。

 その白石館は前述したが、戦前からある有名旅館だった。

以上から考えるに、父がこのマッチを手にしたのは昭和40年以降らしいということ。

         僕らが東京に出てきてからの事らしい。

                                         なかなか手ごわい


ナポリ

2014年06月11日 | Weblog

ナポリといっても、イタリア南部のあのナポリではない

   マッチのラベルの店の名前である

調べる先が無く、往生したが   とりあえず調べてみたところ

諏訪シネマレイクは1954年12月31日洋画専門館としてオープンしている。

2007年に閉館しているので、映画館前にあったというこの店も今はないようだ。

地図検索をしてみたが、それらしい店がない。

商工会議所にも電話をしてみたが、判る人に出会えなかったので

     壽屋・トリスバーをキーワードにして、ネットで調べて見た。

どうもこの店はこういったものらしい。

*壽屋の洋酒チェーンからの抜粋*

『壽屋がはじめてウィスキーを発売したのは1919年,「トリスウィスキー」である

壽屋はこれら自社製品専売のバーを1957年に「壽屋の洋酒チェーンバー」として系列化する。

系列化の条件は,

◯女性が客席に着かないこと,◯酒とつまみの値段が適正で統一あること,の二点であったという。

壽屋はチェーンバーへのリテールサポートとして,毎年全国的なバー祭りの実施,

バーテンダーの講習,などに加え,コップ,灰皿などのノベルティグッズの頒布を企画,

その一環としてPR誌配布を企画したのである。』

多分いままでの例からして、電話番号の桁数・父が諏訪にいた時期や

トリスバーのチェーン化の時期を考えると、昭和32~39年の間のもののようだ。

映画が大好きでこの時期は諏訪清陵の教師でもあった父が、足しげく通った場所だったのではないか。

と  思いをはせるマッチのラベル『ナポリ』の調査内容でした。