吾が見る先に(agamirusakini)

自分が見る先には何があるのだろうと思う事が多くなってきた。振り返りながら、自分の道を探しながら歩いていきたいと思う。

僕の育った中洲の昔々

2015年11月11日 | Weblog

僕の育った長野県諏訪市中洲。

前にも書いた通り、祖父と祖母はアメリカで結婚。

オレゴン州ポートランドで父を生み、関東大震災の起きた年に日本に帰国。

中洲に住んだ。

新聞記者をやっていた祖父なので、写真は結構豊富にあったが

一度整理をしてしまいあまり残ってはいない。

父のコレクションも、東京で働いている間にだいぶ捨てられてしまったようだ。

ここに紹介する写真は、戦時中のもの。当時の様子がわかる。

上社の社殿前。前列右端が祖父自由也。

八ヶ岳修練農場にてと書いてある。前から3列目左から2番目に祖母がいる。

紀元二千六百年賜饌記念だろうか?片倉館の前のような気がするが・・・・?

上社の鳥居前。右手前がきよめ茶屋(今はない。金子茶寮という店になっている)

これは中洲小学校の校舎前。うしろは教務室や校長室などがあったような・・。

何処かはわからないが結構広い場所である。しかし中ほどにいる白衣の男性がちょっと違和感あり。

これも場所はわからない。洒落た椅子や窓があるが、畳の部屋である。

これも上の写真と一緒の場所のようだ。慰問袋を作っているところだと思われる。

こうした縁の下の力持ち達が、出征した家族を思い・村を思い・日本を思って

支えていたんだろうなと感じる風景。

 


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2 コメント

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僕の育った中洲の昔々 (shion)
2015-11-12 14:50:39
もしかして片倉館?
殆どの写真に母がいますね。
結構美人だったようでこんな小さな写真でも分かります。
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Unknown (もり爺)
2015-11-12 21:29:25
ですね!もっと拡大出来るようにして掲載しようとも思ったのですが、うまくいかなくて。中洲村以外でも一番の美人でしょう!雰囲気が違いますね。
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