僕の育った長野県諏訪市中洲。
前にも書いた通り、祖父と祖母はアメリカで結婚。
オレゴン州ポートランドで父を生み、関東大震災の起きた年に日本に帰国。
中洲に住んだ。
新聞記者をやっていた祖父なので、写真は結構豊富にあったが
一度整理をしてしまいあまり残ってはいない。
父のコレクションも、東京で働いている間にだいぶ捨てられてしまったようだ。
ここに紹介する写真は、戦時中のもの。当時の様子がわかる。
上社の社殿前。前列右端が祖父自由也。
八ヶ岳修練農場にてと書いてある。前から3列目左から2番目に祖母がいる。
紀元二千六百年賜饌記念だろうか?片倉館の前のような気がするが・・・・?
上社の鳥居前。右手前がきよめ茶屋(今はない。金子茶寮という店になっている)
これは中洲小学校の校舎前。うしろは教務室や校長室などがあったような・・。
何処かはわからないが結構広い場所である。しかし中ほどにいる白衣の男性がちょっと違和感あり。
これも場所はわからない。洒落た椅子や窓があるが、畳の部屋である。
これも上の写真と一緒の場所のようだ。慰問袋を作っているところだと思われる。
こうした縁の下の力持ち達が、出征した家族を思い・村を思い・日本を思って
支えていたんだろうなと感じる風景。
殆どの写真に母がいますね。
結構美人だったようでこんな小さな写真でも分かります。