茅野から前宮前・高部を通り・守矢資料館を過ぎて
西沢川を渡ると、峠入口のバス停がある。
余談ではあるが、僕の小さい頃西沢川は《天井川》と呼ばれていた。
今は工事をして低くしてしまったが、昔は道路の上を川が流れていたのだ。
残念ながらその写真を探したが無いので、何とも歯がゆい。
御柱の時の写真に、その橋の上から見物する人たちが見えるものがあったような・・。
県道であるこの道は年々交通量が増え、大型のトラックなどが通るのに
ぎりぎりになったので壊されて、改修されたとか・・。
よくこの土手に登って、イタドリやグミ(桑の実)・土筆や芹・よもぎ等を
取りにいったものだ。そんな懐かしいものは今はほとんどない。
そろそろ本題に戻ろう。
そのバス停の脇に、新しい塀と土留めの石が積まれている。
そこに、道路に向かって碑が建っている。
これは先日高祖父彌平治に関係するもので、《守矢翁頌徳碑》という。
彌平治は鹿乙として鹿肉納入最後の人であったという。
浄瑠璃曲をよくやって、門人も300人余りいたそうである。
その彌平治が七十歳の時、門人たちがこの碑を建てその徳をたたえたそうである。
末尾にあるように、撰文は小川平吉(政治家で曽祖父がこの人の秘書をしていた)。
書は中村不折(洋画家であり書家である。そして祖母の叔父にあたる)が書いている。
よく拓本を取りに来る人が絶えなかったようだ。
親父たちが夏帰ると、学生らしき人が拓本をとらせてほしいと来たという。
しばらく敷地の中にあったが、これも一里塚と同様修復していただけてある。
不折氏の字を使って彫られたものは、我が家にはいくつもあるが。
ぼくの大好きな文字は《天壌無窮》。これは僕の祖父が彫ったものだが、
ー 天地とともに永遠に極まりなく続く様 ーなんとも雄大な言葉だと思う。
なんとも、その道の凄い人たちがこの場所で生きていたと思うと、
感動を覚えざるを得ない。
来年は御柱祭がある。前宮から上社本社への道にあるので、機会があればご覧ください。