昭和・平成・令和と元号が移り変わって、
今、下の世代が上の世代を嘲笑するような風潮もありますが、
素敵なことです。
「いいよぉ」です。(笑)
明治・大正・昭和生まれの時代に年少者だった昭和世代は、
明治世代を笑うことなんて許されることではありませんでしたから。
年長者は敬うのが当たり前でした。
下の世代が上の世代を笑ってもいいのは、
人間の進化を認めたようなものですよね。
上の世代を笑っていいだけでなく、
我慢を強いられない世の中になったのは、
びっくりですよ。
昔は、「我慢しろ」「我慢しろ」と厳しく言われましたからね。
「そんなの無駄だと思います」なんて上に抗おうものなら、
「生意気だ!」とか言われてね。問答無用でした。
どう考えても我慢は禁物です。
しなくていいというよりしてはいけない。
なぜなら我慢とは「ねば・べき癖」の最たるものだからです。
我慢はもうしなくていい。
嬉しいです。
「願えば、叶うって本当なの?」
疑っている人がまだまだいますが本当です。
かつては、「現実は思うようにならないもの」という観念に縛られていました。
「願えば、叶う」が世の中に浸透するのは時間の問題でしょう。
現実世界は人の想念の集大成です。
思っていることや考えていることが現実になっていきます。
ただし願望実現までにはタイムラグがあり、
すぐ叶うものもあれば数十年後に叶うものもあります。
ここは「待つ」という我慢が多少必要かもしれません。
「願えば、叶う」で世界的によく知られているのは、
ジョン・F・ケネディの「アポロ計画」です。
1961年に、「1960年代のうちに人類を月に着陸させる」と宣言しました。
ケネディ大統領は1963年11月22日、パレード中に暗殺されこの世の人ではなくなりましたが、
「アポロ計画」は彼の死後も継続され、
1969年7月21日午前5時17分(日本時間)にアポロ11号が初の月面着陸に成功しました。
願いは、叶ったのです。
今ここにある現実は、かつてどこかで誰かが思い描いたことが映し出されている世界だったりします。
日本人が太平洋戦争後、強く思い描いていたことのひとつに、
「広くてきれいな家に住みたい」という願望がありました。
テレビが普及しアメリカの人々の暮らしが目に入るようになると、
日本の薄暗くて湿っぽく、狭くてすきま風が入る家屋を改善したいと強く願うようになりました。
戦後まもなくは、東京でもまだまだ長屋が多く立ち並んでいました。
木造の長屋やバラック、トタン屋根の掘っ立て小屋などが次第に減っていき、
増えていったのが団地やマンションです。
1960年代、1970年代に建てられた団地が今建て替えの時期に入っていますが、
リノベーションやリフォームで存続している団地もまだまだあります。
それにしても日本の住宅環境はずいぶんと底上げされました。
私も集合住宅に住み、何度も集合住宅を住み替えていますが、
どこも堅固な建物できれいに白い壁紙が張り巡らされ水回りも整備されていました。
ある朝目が覚めて、目に入った美しい室内の光景を何か不思議に感じたことがあります。
いつもの部屋なのにいつもの部屋の感じがしませんでした。
夢の中でタイムリープしていたのかもしれません。
「ああ、これは五十年前の大人の人たちの夢や願いが叶ったのだな」
ときれいな部屋をしみじみ見入ったのです。
先人たちの思いに感謝です。
五十年前の人の夢や願いの実現は、
スケーターの羽生結弦さんをはじめて見たときにも感じました。
当時子供だった女性は、『りぼん』『なかよし』といった少女漫画雑誌に描かれる
美少年を見て育ちましたよね。
細身で背が高く、足が長く、顔は小さく細面で、瞳にはキラキラと星が輝いていて、
微笑みを浮かべています。時折見せる真剣な表情にもはっとさせられます。
でも実際、当時の小学校や中学校で出会う男子にはそんな人いませんでした。
少女漫画の世界は想像上の世界で、ありえないと思っていました。
ところが今、現実世界を見てください。
羽生結弦さんだけでなく、街でふとすれ違う男子にも、
あのときの少女漫画の世界から飛び出てきたような外見を与えられた人たちが、
存在するようになったのです。
奇跡ですよ。
思いは現実化するのです。
現実は過去に願ったことが叶っていると知り、
希望はいつか叶うのだと信じて、未来のために素敵な種まきをしましょうね♪
💓今日も、最後までお読みいただきありがとうございました💓