釈迦『ダンマパダ(真理の言葉)』
昨日に引き続き 第一章 対句 の一部分を読んでみます。
本当ではないことを本当であるとみなし、本当のことを本当ではないとみなす人々は、
間違った思い込みに捉われ、最後まで真実に到達しない。(11)
本当のことを本当であると知り、本当でないものを本当でないとみなす人は、
思いにしたがっていれば、やがて真実に到達する。(12)
屋根が粗雑に造られている家に雨漏りがするように、
心を整えていなければ、情欲に心を乱される。(13)
屋根がしっかり造られている家に雨漏りがしないように、
心を整えていれば、情欲に惑わされない。(14)
悪いことをした人は、この世で憂い、あの世でも憂い、と両方で憂う。
(あの世でも)自分の行為が汚れているのを見て、憂い悩むのである。(15)
善いことをした人は、この世で喜び、あの世でも喜び、と両方で喜ぶ。
(あの世でも)自分の行為が清浄なのを見て、喜び楽しむのである。(16)
たとえためになることを数多く語っていてもそれを実行しないならば、
その人は怠けていることになる。
牛飼いが他人の牛を数えているようなもので、修行者の部類には入らない。(19)
たとえためになることを少ししか言葉にしなかったとしても実行し、
情欲や怒りや迷いを捨て、心が解き放たれて執著しない人は、
修行者の部類に入る。(20)
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『ダンマパダ』などの原始仏典は紀元前後に書き残されはじめましたが、
釈迦の死後数百年間は口承でした。
パーリ語『ダンマパダ』も聞いてみましたが、
朗々と、ゆったりと、牧歌的な節回しでリズムも整っていました。
歌にすると、覚えていませんか?
私は他のことはすっかり忘れていても、歌は何故だか覚えています。
小学生のとき覚えた流行り歌や、高校生の時作った替え歌など、
今もフルコーラス歌えたりします。(笑)
「人生を楽しく過ごそう、花を咲かせよう。
そういう気持ちを具現・体現しよう。」
「命に執着しないで、楽しく過ごそう。」
「口で言っているだけで実行しない人になるのではなく、
言わなくてもいいから実行する人になろう。」
こういう前向きなメッセージが、『ダンマパダ』には出てきます。
釈迦が「本当に」伝えたかったメッセージは、
あれしちゃいけない、これしちゃいけない、
そんなことをしたら地獄を見るぞ、ではなかったと思うのです。
💓今日も、最後までお読みいただきありがとうございました💓
お釈迦様、ありがとうございました💓