兵庫県たつの市へ行ってきました。
私の先輩のお葬式でした。
2年ほど前からがん(ステルス性で胃、肝臓、後もう1ヶ所)にかかってしまって、
1年前くらいまではそこそこお元気できっとこのままなんとか持って、
そのうち、治療法が見つかり、病気を克服できるかもしれないと希望を抱いていましたが、
去年10月にお会いした際はその痩せ方に内心、もうもたないかもと思ってました。
奥様から伝え聞いた限りなので細部は不確かですが、
病院には入院せず、仕事をはげまれていましたが、
亡くなる前日具合が悪くなり病院にいき、、、
とにかく痛いのをどうにかしてくれと、痛み止め(モルヒネだったでしょうか?)を
うち、
痛み止めの結果、
昨晩の痛みが10なら今は3くらいにはなったとの事でした。
亡くなる当日も知り合いの方が仕事場にお越しになり、
がんばって仕事をされてましたところ、
もうきついから、座らせてくれとみんなの手を借りて、
畳の上で座り、
大きく息を吸って、そのまま逝ってしまわれたそうです。
享年59。満だと57歳だと思います。
とても優しい人でした。
京都大学を卒業されててとても頭もいいのに、
全然えらぶったり、知ったかぶったりせず、
分からないことはきっぱり「わからん!」っと言い、
この人でもわからんのか~、っと私(2流私立大学出)とおんなじだとなぜか安心してました。
こわい顏だったけど人懐っこい笑顔で、
怒ってるときでも、どこか冷静でユーモアがあって、理路整然としてて、
でもちゃんと怒ってる。
多くの人に愛されてた思います。
年に一度必ずお会いし、うちの島にもなんども来てました。
もう会えないのかと思うと、、、、
奥様は自宅兼職場でピアノを教えてらっしゃいます。
その部屋にこんな額縁がありました。
いろんな人がいるけれども
今日一日やさしい心でいよう
いろんなことがあるけれども
今日一日あかるい心でいよう
この道は遠いけれども
今日一日一歩すすもう
何があっても大丈夫
今日一日笑顔でいよう
きっと先輩もいろいろ思ったり、愚痴や不満があったりなんだかんだ思い、
人にあたったり、ぐちぐちいったり、
そんなふうに行動したいときもあったのかもしれません。
でもきっと、どう振る舞うのが自分にとって周りにとって良いのか
考えて振るまっていたんだろうなぁと思いました。
もちろん持って生まれたお人柄もあったでしょうが。
そんな人にもう会えない、、、
別れはいつか必ず来る。
でもまだまだ生きてて欲しかった、、、
心にちいさな穴が開いてます。
そのうち埋まるのでしょうけど。
はやく帰って2日間会ってないひまりに猛烈に会いたくなって、
抱っこして顏すりすりしたいと思いました。
深夜0時位に帰宅し、
翌朝起床後ひまりが「おかえりパパ~」
とでも言うかと思いきや、
朝からお菓子を手にもって「これ食べていい~?」っと、
久しぶりに会ってそれかい!
私「ママに聞き~、知らん」
ひまり「パパ(お菓子の袋)開けて!」
おかえりパパ!っと抱き着く所!!