ネットで検索したら「阪本清一郎」で多数ヒットしたので驚いた。
彼の祖父・阪本清五郎は、同時に、私のはるか昔江戸時代に遡る先祖でもある。
日常意識することはないが、こういう理屈っぽいのが一族には多数いる。
清一郎は明治25(1892)年、奈良県の岩崎村(その後、御所市?)に生まれた。
なにしろ行ったことがないのであやふやな書き方ですみません。
彼の生家は元庄屋(明治時代は戸長)だから、けして貧しかったわけではない。
しかしそのムラ全体?がアレなので、上の学校に行くと、級友にいろいろ言われる。
「新平」だというわけ。
そのたびに子供ながら腹をたてていた。
この体験が、長じて後、社会運動に取り組む背景となったという。
ちなみに自由民権運動で活躍した阪本清俊は従兄弟で、一緒に育った仲。
そしてに至る。
大正11(1922)年、清一郎30才。
命名は彼の案が通った。
あれから90年が過ぎ、社会はずいぶん変わったが、平等が達成されたかといえば疑問。
私は先祖の壬申戸籍が見たい。
どんなふうに書いてあるのか。
除籍謄本の交付申請をしてもどうせ門前払いなのはわかっているが。
職業「なめし屋」とか書いてあったりして。(2012.4.2記)
東京ではまったく気にならないが、地方ではいまだに気にする人がいるらしい。
困ったもんだ。
余談だが、彼の作った膠工場はめぐりめぐって富士フィルムに買収されたらしい。
「写ルンです」の材料になったのなら光栄である。
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