ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

アリゾナの空は青かった【5】:おどろき桃の木さんしょの木

2018-04-09 15:38:05 | アリゾナ・ツーソン留学記´78
2018年4月9日

アリゾナ大学は、ソノラ砂漠にあるツーソンの町に位置する。
考古学、天文学でも世界に名を馳せる大学だというのは後で知ったことである。北へ160キロのところには、州都フェニックスがあり、南へ100キロほどソノラ砂漠をつっきると、やがてメキシコ国境、ノガレスにぶつかる。

わたしの大学での第一日目は、ESL((English as a Second Language)クラス編成の試験であった。

大学のキャンパスはNorth 2nd Avenueをまっすぐ行ったつきあたりにあり、徒歩で7、8分だ。初日朝、シャワーを浴び、すぐそばにあるマーケットで前日買い入れたコーンフレークスにバナナの輪切りと牛乳を加えての朝食を終えた。8時過ぎ、「いよいよ始まるぞ!」とわたしは興奮で高まる胸をおさえ、キャンパスに向かった。

広いキャンパスの入り口近くの一角に、ESLセンターの建物はあり、そこの数箇所の教室での試験である。留学生はメキシコ、ブラジル、ベネズエラなどの南米からのみならず、ヨーロッパからも来ていた。そして、当時のオイルマネーを使ってのアラブ諸国からの留学生のなんとまぁ多かったことか。


1月だと言うのに、上半身裸でブーメランに興じる学生。下はWikiから。現在のキャンパス内。緑が増えた。


受験票を渡されてウロウロ教室を探し回り、無事時間いっぱいに試験を終えて廊下に出てみると、各国のグループがかたまってお互いを紹介しあったりして、廊下は人だかりでにぎわっていた。大学ではまだ知っている人が誰もいないわたしは、廊下の片隅でそれらの様子を眺めていた。

すると、「あ、あれぇ~、まさか・・・まさか・・・」日本人グループの中に見覚えのある顔が見えたのだ。

そんなはずがあるわけもない、と当惑の面持ちで、念のためにとその日本人が固まっているグループに、そぞろ近づいてみた。
「ほ、ほ、ほ、ほんざわちゃん!!」

このときの驚きたるや、推して知るべし!大阪のオフィスで退職するまでの6年間を同じ事務所で共に仕事をして来た営業マンのら「ザワちゃん」(あの頃、ビアハウスにも登場している)と呼ばれていた同僚がいるではないか!

なんでやの?なんでザワちゃんがここにおるんよ?おどろき桃の木山椒の木です!
あまりの驚きに人目も構わずみぎて人差し指で彼を指し、「ザ、ザワちゃん!」と日本語で叫んでしまったわたしでありました。

実は、わたしは12月のボーナスが出るや即座に退職し、大阪のアパートを引き払って渡米するまで、横浜のおば宅に居候して、羽田空港から飛び立って来たのであるが、ザワちゃんはと言えば、わたしのすぐ後に退職し、日を違えて渡米して来たのこと。

しかし、広いアメリカやのに、なんで、なんで同じ大学やのよ・・・それをさて置いても、一緒に会社で騒いだ間柄なのに、なんで一言も「ボクも同じとこに留学すんねんで~」と言わんかったのよ・・・

と、このように、大学第一日目からして、波乱万丈の兆しで我が大学生活は幕開けとなったのであります。