2018年4月11日
今日はツーソン留学紀は休んで。
わたしの故郷は弘前である。4月に入るや、外国では耳慣れない「さくら前線」という言葉が踊りだし、日本列島は南から北へ北へとさくらの花で埋め尽くされて行く。
南でさくらが咲く頃、北国はまだ早春で長い冬の衣を脱ぎ捨てるのを今か今かと待ち構えている。春の訪れとともに一斉に芽吹き息づく花々を見ては、毎年決まってポルトにいながらわたしは日本の春を、さくらの春を、さくらの弘前を恋い焦がれるのである。
数年前に弘前で買い求めたもの。今は手元に置いてあり、いつでも手にとって眺められる。
「敷島の やまとごころを人問わば あさひににおう山桜花」
高校時代教の科書に出てきた本居宣長の歌である。あの頃はただただ外国に憧れ、やまとごころのなんたるかに目を向けることもなかった。ポルトガルという異文化に長い間身を置いて初めて自分の日本人のルーツに心を向け始めたと思う。
その折に、この本居宣長の歌は透明の水の中に、あたかもペンから一滴の青インクが滴り落ちて、静かに環を広げて行くかのように、記憶の向こうからやって来たのである。
本居宣長のこの歌には、色々な解釈があるようだ。「やまとごころ」を「武士道」と照らし合わせる解釈もあるが、大和人は男だけではないからして、わたしはもっと平たく、日本人の心と解釈することにしている。
日本人の心とはなんであろうか。そんな大それたことをわたしには論ずることはできないが、祖国を40年近くも離れて異国に住む一人の日本人として綴ってみたいと思った。
作家曽野綾子さんのエッセイに、4月に成田上空にさしかかった時の経験を書いたものがあった。
曇り空の下に点々と枯れ木にしか見えない木々があった。大変だなあ、今年はあんなに木が枯れた、と思ってからギョッとしたのだそうな。 ひょっとすると桜ではないかと。果たしてその通りで、飛行機が次第に高度を下げて来て、枯れ木としか見えなかった木々がわずかに色彩の変化を見せ、桜となったのだそうだが、機内の外国人客は、誰一人としてさくらに反応を示した様子は見られなかった。この時初めて、桜は花の下で見るものなのかもしれないと思った、(ここまで要約)と。
わたしはこれを読んだ時、軽いショックを受けると同時に、日頃、日本語クラスで日本文化の話に及ぶとき、ついつい「さくら」の美しさを、目を細め熱っぽく語ってしまう自分の姿を思い浮かべたのだ。
桜への思い入れは、日本人独特のものではないだろうか。そうして見ると、秋の紅葉や真っ白い雪の中に映える「寒椿」等にも、わたしたちは深い思いがあるように思われる。このような光景を思い浮かべるだけでわたしの胸には美しき天然へのなんとも言われぬ懐かしさがこみ上げてくる。
また、詩人、大岡信さんが京都嵯峨野に住む染色家、志村ふくみさんの織物を綴っていたことがある。美しい桜色に染まった糸で織ったその着物のピンクは、淡いようで、しかも燃えるような強さを内に秘め、華やかでいながら深く落ち着いている色であった。その色に目と心を吸い込まれるように感じた詩人は、桜から取り出した色だという志村さんの言葉に、花びらを煮詰めて色を取り出したのだろうと思ったのだそうである。
しかし、それは、実際には、あの黒っぽいごつごつした桜の皮から取り出した色なのだった。しかも、一年中どの季節でもとれるわけではなく、桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると言う。「春先、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿。花びらのピンクは幹のピンク、樹木のピンク、樹液のピンクであり、花びらはそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものに過ぎなかった」(要約)
この詩人は、「言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だと言ってもいい。これは言葉の世界での出来事と同じではないかという気がする」と言うのですが、わたしは詩人のエッセイにも、そして嵯峨野の染色家にも、いたく心惹かれて、ずっとこのエッセイに書かれてある言葉が心に残っている。
さくらに限らず、異国の町を車で走りぬけるときも、日本ほどではないが、それなりの季節の移り変わりを見せてくれる景色はある。車を走らせながらも、目前に広がる大きな並木道に 「あぁ、きれい。春やなぁ。秋やなぁ」と、思わずその移り変わる季節の匂いを空間に感じる。
とは言え、ひとひらの花びらを、一枚の紅葉を、そっと拾い上げて日記に仕舞い込む。ポルトガルの生活の中で、こんなことを密かにしている人は、何人とはいないであろう。
そんな時、わたしは自分の中のやまとごころがふと顔を出すように思う。無意識のうちに、自分に密かに語りかける自然の声が聞こえる気がするのだ。大自然が広がるアメリカやカナダにも、そういう人はいるだろうが、わたしのような、極々一般の人間でも、そういう感覚は多くの日本人が持っていると思う。花を愛で、はらはらと散り逝く花の潔さと儚さに美学を見るのは日本人の特性なのだと異国に長年住んで今はしきりに思える。
今年も弘前にさくらが咲く季節になった。
今日はツーソン留学紀は休んで。
わたしの故郷は弘前である。4月に入るや、外国では耳慣れない「さくら前線」という言葉が踊りだし、日本列島は南から北へ北へとさくらの花で埋め尽くされて行く。
南でさくらが咲く頃、北国はまだ早春で長い冬の衣を脱ぎ捨てるのを今か今かと待ち構えている。春の訪れとともに一斉に芽吹き息づく花々を見ては、毎年決まってポルトにいながらわたしは日本の春を、さくらの春を、さくらの弘前を恋い焦がれるのである。
数年前に弘前で買い求めたもの。今は手元に置いてあり、いつでも手にとって眺められる。
「敷島の やまとごころを人問わば あさひににおう山桜花」
高校時代教の科書に出てきた本居宣長の歌である。あの頃はただただ外国に憧れ、やまとごころのなんたるかに目を向けることもなかった。ポルトガルという異文化に長い間身を置いて初めて自分の日本人のルーツに心を向け始めたと思う。
その折に、この本居宣長の歌は透明の水の中に、あたかもペンから一滴の青インクが滴り落ちて、静かに環を広げて行くかのように、記憶の向こうからやって来たのである。
本居宣長のこの歌には、色々な解釈があるようだ。「やまとごころ」を「武士道」と照らし合わせる解釈もあるが、大和人は男だけではないからして、わたしはもっと平たく、日本人の心と解釈することにしている。
日本人の心とはなんであろうか。そんな大それたことをわたしには論ずることはできないが、祖国を40年近くも離れて異国に住む一人の日本人として綴ってみたいと思った。
作家曽野綾子さんのエッセイに、4月に成田上空にさしかかった時の経験を書いたものがあった。
曇り空の下に点々と枯れ木にしか見えない木々があった。大変だなあ、今年はあんなに木が枯れた、と思ってからギョッとしたのだそうな。 ひょっとすると桜ではないかと。果たしてその通りで、飛行機が次第に高度を下げて来て、枯れ木としか見えなかった木々がわずかに色彩の変化を見せ、桜となったのだそうだが、機内の外国人客は、誰一人としてさくらに反応を示した様子は見られなかった。この時初めて、桜は花の下で見るものなのかもしれないと思った、(ここまで要約)と。
わたしはこれを読んだ時、軽いショックを受けると同時に、日頃、日本語クラスで日本文化の話に及ぶとき、ついつい「さくら」の美しさを、目を細め熱っぽく語ってしまう自分の姿を思い浮かべたのだ。
桜への思い入れは、日本人独特のものではないだろうか。そうして見ると、秋の紅葉や真っ白い雪の中に映える「寒椿」等にも、わたしたちは深い思いがあるように思われる。このような光景を思い浮かべるだけでわたしの胸には美しき天然へのなんとも言われぬ懐かしさがこみ上げてくる。
また、詩人、大岡信さんが京都嵯峨野に住む染色家、志村ふくみさんの織物を綴っていたことがある。美しい桜色に染まった糸で織ったその着物のピンクは、淡いようで、しかも燃えるような強さを内に秘め、華やかでいながら深く落ち着いている色であった。その色に目と心を吸い込まれるように感じた詩人は、桜から取り出した色だという志村さんの言葉に、花びらを煮詰めて色を取り出したのだろうと思ったのだそうである。
しかし、それは、実際には、あの黒っぽいごつごつした桜の皮から取り出した色なのだった。しかも、一年中どの季節でもとれるわけではなく、桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると言う。「春先、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿。花びらのピンクは幹のピンク、樹木のピンク、樹液のピンクであり、花びらはそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものに過ぎなかった」(要約)
この詩人は、「言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だと言ってもいい。これは言葉の世界での出来事と同じではないかという気がする」と言うのですが、わたしは詩人のエッセイにも、そして嵯峨野の染色家にも、いたく心惹かれて、ずっとこのエッセイに書かれてある言葉が心に残っている。
さくらに限らず、異国の町を車で走りぬけるときも、日本ほどではないが、それなりの季節の移り変わりを見せてくれる景色はある。車を走らせながらも、目前に広がる大きな並木道に 「あぁ、きれい。春やなぁ。秋やなぁ」と、思わずその移り変わる季節の匂いを空間に感じる。
とは言え、ひとひらの花びらを、一枚の紅葉を、そっと拾い上げて日記に仕舞い込む。ポルトガルの生活の中で、こんなことを密かにしている人は、何人とはいないであろう。
そんな時、わたしは自分の中のやまとごころがふと顔を出すように思う。無意識のうちに、自分に密かに語りかける自然の声が聞こえる気がするのだ。大自然が広がるアメリカやカナダにも、そういう人はいるだろうが、わたしのような、極々一般の人間でも、そういう感覚は多くの日本人が持っていると思う。花を愛で、はらはらと散り逝く花の潔さと儚さに美学を見るのは日本人の特性なのだと異国に長年住んで今はしきりに思える。
今年も弘前にさくらが咲く季節になった。