2017年9月5日
今日は思い出の坂道をちょいと上ってみます。
高校時代、学校へはバス通学か徒歩だった。徒歩だと我が埴生の家からは40分近くかかる距離である。
うっそうとした樹木を両脇に歩き、そして、新校舎が建築されるまでの向こう一年間、一時しのぎとして、それまで使用されていなかった古びた中学校を仮校舎とした我が母校であった。
学校近くまで来ると、今度は周囲が林檎畑になるその道をわたしは随分楽しんだものだ。
時間がなくてバス代がある日はバスで、時間があるとき、または、時間がなくてもバス代がないときは、例え遅刻になるのが分かったとしても40分徒歩登校だ(笑) 定期券を買うまとまったお金を親が持たない時である。
さて、その高校に入学してすぐのことだった。その日は当時中学生だった妹と家を出て、バス停に向かって歩いていた。と、妹が突然、足元の少し先の地面を指差し、
「あ、牛の馬糞(ばふん)だ!」
「イヤだねぇ。気をつけようっと」と、そこを避けてバス停にたどり着き妹の学校とは逆方向へと登校した。
高校生活初日の第一時間目の授業である。ぬぬ。「漢文」とはこれまで見たこともなし。今では中3の国語教科書で漢文のさわりが出るが、当時は中3カリキュラムにはなかったと思う。教室に入ってきたのは、四角いいかつい顔をした中年の男の先生であった。この先生は教頭でもあったのだ。
授業がなんだかよく分からぬ・・・ 少し眠気が差して来始めたころ、どういう拍子でか、今朝方の妹の言った言葉が唐突に頭の浮かんだ。
「牛の馬糞・・・・待てよ、おかしいじゃないか。牛の馬糞てことはないぞ。牛だったら牛糞だぞ。辻褄が合わんではないか。」「あっはははは。妹ったら頭良さそなカッコして、牛の馬糞だってよ~」と、頭の中で言い出したのがウンの尽き!(これまた、ウンでした)
わたしはすっかり可笑しくなり、この言葉が頭から離れなくkなったのである。
初めは一人胸の中でクスクス笑っていたのが、その内「クックックックック」と笑いが口をついて出てきそうになり、それをこらえるのに席に座ったまま、少しうずくまるような格好で小腹を抱えた。
しかし、一向に「牛の馬糞」は頭を去らない。
去らないどころか、笑いをこらえきれなくなって、とうとうわたしは漢文の授業中に「ワーッハッハッハッハッ!」
と大笑いしてしまったのである。
驚いたのはクラスの皆。一斉にこちらを振り向き、漢文の先生に至っては、恐ろしい形相で睨みつける・・・
ショッパナからこんなことをしでかした女生徒は、以後、漢文の先生にすっかり目をつけられてしまったのであった。
今では日本に帰国した際、笑い話として妹との間によく上る話題の一つになりました。
後の弘前高校に入った我が妹が先生の娘さんと友人だったとの話しも聞き、また、2004年の帰国時に39年ぶりに出席した弘前の同窓会でお会いした時、先生は、車椅子に座っておられました。
時々この「牛の馬糞」で授業中に大笑いしたあの日のことを台所で思い出したりすると、あれやこれやとあの頃のことがしきりに思い出され、可笑しくていつもに輪をかけボケ~ッとしてしまい、切ったトマトに岩塩ならず砂糖をふりかけていたのも食卓で食べるまで気づかなかいことになるのである。 そして、これまた本日は「ふふん」と閉じるわたしでありますれば。
本日もお付き合いくださり、ありがとうございます。
今日は思い出の坂道をちょいと上ってみます。
高校時代、学校へはバス通学か徒歩だった。徒歩だと我が埴生の家からは40分近くかかる距離である。
うっそうとした樹木を両脇に歩き、そして、新校舎が建築されるまでの向こう一年間、一時しのぎとして、それまで使用されていなかった古びた中学校を仮校舎とした我が母校であった。
学校近くまで来ると、今度は周囲が林檎畑になるその道をわたしは随分楽しんだものだ。
時間がなくてバス代がある日はバスで、時間があるとき、または、時間がなくてもバス代がないときは、例え遅刻になるのが分かったとしても40分徒歩登校だ(笑) 定期券を買うまとまったお金を親が持たない時である。
さて、その高校に入学してすぐのことだった。その日は当時中学生だった妹と家を出て、バス停に向かって歩いていた。と、妹が突然、足元の少し先の地面を指差し、
「あ、牛の馬糞(ばふん)だ!」
「イヤだねぇ。気をつけようっと」と、そこを避けてバス停にたどり着き妹の学校とは逆方向へと登校した。
高校生活初日の第一時間目の授業である。ぬぬ。「漢文」とはこれまで見たこともなし。今では中3の国語教科書で漢文のさわりが出るが、当時は中3カリキュラムにはなかったと思う。教室に入ってきたのは、四角いいかつい顔をした中年の男の先生であった。この先生は教頭でもあったのだ。
授業がなんだかよく分からぬ・・・ 少し眠気が差して来始めたころ、どういう拍子でか、今朝方の妹の言った言葉が唐突に頭の浮かんだ。
「牛の馬糞・・・・待てよ、おかしいじゃないか。牛の馬糞てことはないぞ。牛だったら牛糞だぞ。辻褄が合わんではないか。」「あっはははは。妹ったら頭良さそなカッコして、牛の馬糞だってよ~」と、頭の中で言い出したのがウンの尽き!(これまた、ウンでした)
わたしはすっかり可笑しくなり、この言葉が頭から離れなくkなったのである。
初めは一人胸の中でクスクス笑っていたのが、その内「クックックックック」と笑いが口をついて出てきそうになり、それをこらえるのに席に座ったまま、少しうずくまるような格好で小腹を抱えた。
しかし、一向に「牛の馬糞」は頭を去らない。
去らないどころか、笑いをこらえきれなくなって、とうとうわたしは漢文の授業中に「ワーッハッハッハッハッ!」
と大笑いしてしまったのである。
驚いたのはクラスの皆。一斉にこちらを振り向き、漢文の先生に至っては、恐ろしい形相で睨みつける・・・
ショッパナからこんなことをしでかした女生徒は、以後、漢文の先生にすっかり目をつけられてしまったのであった。
今では日本に帰国した際、笑い話として妹との間によく上る話題の一つになりました。
後の弘前高校に入った我が妹が先生の娘さんと友人だったとの話しも聞き、また、2004年の帰国時に39年ぶりに出席した弘前の同窓会でお会いした時、先生は、車椅子に座っておられました。
時々この「牛の馬糞」で授業中に大笑いしたあの日のことを台所で思い出したりすると、あれやこれやとあの頃のことがしきりに思い出され、可笑しくていつもに輪をかけボケ~ッとしてしまい、切ったトマトに岩塩ならず砂糖をふりかけていたのも食卓で食べるまで気づかなかいことになるのである。 そして、これまた本日は「ふふん」と閉じるわたしでありますれば。
本日もお付き合いくださり、ありがとうございます。
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