2017年12月25日
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4匹ネコのうちの一匹ゴローとクリスマス・ツリー
♪When I was small and Christmas trees were tall,
we used to love while others used to play,
Don't ask me why, but time has passed us by,
someone else moved in from far away.
Now we are tall, and Christmas trees are small....
ビージーズ、「First of May」の出だしです。邦題は「若葉のころ」だそうで、子供の頃の切ない思い出をクリスマスと5月の若葉の頃に寄せて、とても美しいメロディーで歌いあげています。
時節柄、クリスマスにまつわる思い出話をひとつ、そうです、クリスマスツリーが我が息子より大きかった頃の話です。
息子が生まれて6歳までの6年間を、わたしたちは夫の母親、そして彼の母親の姉(夫の叔母)と共に小さな家に住んでいた。
その頃は、クリスマスともなると毎年生木の杉を買って来て、傾かないようにと色々苦心し大きな鉢に立てては飾りつけ、リビングに置いたものだ。12月も半ばころになると、クリスマスツリーの下は溢れるような大小様々の贈りものでいっぱいになる。実は贈り物は大きいものがいいとは限らないのである(笑)
きれいにラッピングされた贈り物はそれぞれ誰から誰に、と名前が書かれてある。
この頃は後に10数年寝たきりになる義母もまだまだ元気だった。我が夫の母親は9人兄弟で、田舎に住む者もいれば、ポルトに住む者もいる。普段から人が良く、何か頼まれるとイヤとは言えない性分
の人柄だということと、夫の病院勤めを頼ってやってくるのとで、私達が同居していた小さな家は、常に客がいると言うような状態であった。
こういう人たちが、この時期になると、多くは、彼らからすれば、東洋系の顔を持ったちょっと不思議な魅力の我が息子に、とプレゼントを携えてくるのである。
クリスマスツリーの下に置かれたプレゼントには、日本のわたしの母や妹からや、アメリカに定住してしまった我が弟分のMoriからの物も毎年欠かさずあった。家族もお互い思い思いのプレゼントを買い集め、少しずつそれをツリーの下に置いていくのである。
それらの贈りものを開くことができるのは、24日クリスマスイブの晩御飯が済んだ後でなければならない。待ち切れそうになく、今にも包装紙を破って開けてしまいそうな息子を諭すのは、容易なことではなかったが、毎日ツリーの下に増えていく贈り物の数を数えてはじっと我慢して24日の夜まで待つのだ。
さて、クリスマスツリーの枝には、ヘタクソな字で 「To Father Christmas」と宛名書きのある、白い封筒に入った一通の手紙が乗せられてある。
それは息子が覚えたての言葉と文字で、Father Christmas(つまりサンタ・クロース。英国式ではこうなる)にあてて、自分が欲しいものを願う手紙なのであった。
Dear Father Christmas,
ボクは、今からママやパパの言うことをよく聞いて
良い子になります。
だから、ぼくに次のプレゼントを置いて行ってください。
(以下欲しい物のリストがずら~っと続く)
ジュアンより
ザッと内容は毎年こんな具合でした。(笑) 本当に自分が欲しい贈りものは、こうしてFather Christmasに頼むのである。Fathehr Christmasはこのリストの全部を置いて行くわけではない。このリストの中から、ふさわしいと思われるものが選ばれて、24日の真夜中、子供が寝静まっている間に、ツリーの下に置いていく。
そんな訳で24日の夕食後には、たくさんのプレゼントを開けるわけですが、一番欲しい贈りものは夜中にFathehr Christmas が置いて行くので25日の朝にしか開けることはできない。
なんとかがんばって、Father Christmasがやって来るのを待とうとするのだが、幼い子にはせいぜい12時までが限度で、やがてコックリコックリ船を漕ぐ^^
さて、息子が6歳の時のクリスマス。毎年25日の朝一番に目覚めるのは彼です。
起きてまっすぐクリスマスツリーの下へ行き、目を見張って口をOの字型に開け、驚きと喜びにあふれた表情で、そこに置かれてあるデカいプレゼントに最初に飛びつき、包装紙を引きちぎる。
ひとつひとつ開けるごとに興奮また興奮である。
その年は、ことの外嬉しかったのであろう。この贈りものがたまらなかったようだ。
翌日26日の朝のことである。
ガバと起きて部屋を出、まっすぐ再び、クリスマスツリーのある部屋へ突進したのには驚いた(笑)
もはや何物も置かれていないツリーの下を見ては、ひどくガッカリした面持ちでスゴスゴと再び自室に引っ込んだのだ。息子のその姿を見てわたしたち家族は大笑い。
息子よ。毎日がクリスマスだったら、いったいどうなるだろう。Father Christmas、いくら働いても間に合わないぞ。それに、1年に一度だけ、じっと我慢して待つことこそが、大きな喜びを育むことになるのだ。
その息子も今では30歳を超えた。母親のわたしより新しい大きなクリスマス・ツリーも、彼から見れば多少低いだろうか。あの頃の親戚や知り合いの顔ぶれも、随分いなくなってしまった。「オ・ジュアンズィーニュ!」(ジュアンちゃんの意)と息子を絶え間なく呼んでは可愛がっていた義母も寝たきりで94歳でみまかった。
エヴァーグリーンのクリスマスツリーの下で、月日は移り変わり、人も変わった。
♪When I was small, and Christmas trees were tall,
do do do do do do do do do...
クリスマスツリーがぼくより大きかった頃~♪
下記、Youtubeからです。
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4匹ネコのうちの一匹ゴローとクリスマス・ツリー
♪When I was small and Christmas trees were tall,
we used to love while others used to play,
Don't ask me why, but time has passed us by,
someone else moved in from far away.
Now we are tall, and Christmas trees are small....
ビージーズ、「First of May」の出だしです。邦題は「若葉のころ」だそうで、子供の頃の切ない思い出をクリスマスと5月の若葉の頃に寄せて、とても美しいメロディーで歌いあげています。
時節柄、クリスマスにまつわる思い出話をひとつ、そうです、クリスマスツリーが我が息子より大きかった頃の話です。
息子が生まれて6歳までの6年間を、わたしたちは夫の母親、そして彼の母親の姉(夫の叔母)と共に小さな家に住んでいた。
その頃は、クリスマスともなると毎年生木の杉を買って来て、傾かないようにと色々苦心し大きな鉢に立てては飾りつけ、リビングに置いたものだ。12月も半ばころになると、クリスマスツリーの下は溢れるような大小様々の贈りものでいっぱいになる。実は贈り物は大きいものがいいとは限らないのである(笑)
きれいにラッピングされた贈り物はそれぞれ誰から誰に、と名前が書かれてある。
この頃は後に10数年寝たきりになる義母もまだまだ元気だった。我が夫の母親は9人兄弟で、田舎に住む者もいれば、ポルトに住む者もいる。普段から人が良く、何か頼まれるとイヤとは言えない性分
の人柄だということと、夫の病院勤めを頼ってやってくるのとで、私達が同居していた小さな家は、常に客がいると言うような状態であった。
こういう人たちが、この時期になると、多くは、彼らからすれば、東洋系の顔を持ったちょっと不思議な魅力の我が息子に、とプレゼントを携えてくるのである。
クリスマスツリーの下に置かれたプレゼントには、日本のわたしの母や妹からや、アメリカに定住してしまった我が弟分のMoriからの物も毎年欠かさずあった。家族もお互い思い思いのプレゼントを買い集め、少しずつそれをツリーの下に置いていくのである。
それらの贈りものを開くことができるのは、24日クリスマスイブの晩御飯が済んだ後でなければならない。待ち切れそうになく、今にも包装紙を破って開けてしまいそうな息子を諭すのは、容易なことではなかったが、毎日ツリーの下に増えていく贈り物の数を数えてはじっと我慢して24日の夜まで待つのだ。
さて、クリスマスツリーの枝には、ヘタクソな字で 「To Father Christmas」と宛名書きのある、白い封筒に入った一通の手紙が乗せられてある。
それは息子が覚えたての言葉と文字で、Father Christmas(つまりサンタ・クロース。英国式ではこうなる)にあてて、自分が欲しいものを願う手紙なのであった。
Dear Father Christmas,
ボクは、今からママやパパの言うことをよく聞いて
良い子になります。
だから、ぼくに次のプレゼントを置いて行ってください。
(以下欲しい物のリストがずら~っと続く)
ジュアンより
ザッと内容は毎年こんな具合でした。(笑) 本当に自分が欲しい贈りものは、こうしてFather Christmasに頼むのである。Fathehr Christmasはこのリストの全部を置いて行くわけではない。このリストの中から、ふさわしいと思われるものが選ばれて、24日の真夜中、子供が寝静まっている間に、ツリーの下に置いていく。
そんな訳で24日の夕食後には、たくさんのプレゼントを開けるわけですが、一番欲しい贈りものは夜中にFathehr Christmas が置いて行くので25日の朝にしか開けることはできない。
なんとかがんばって、Father Christmasがやって来るのを待とうとするのだが、幼い子にはせいぜい12時までが限度で、やがてコックリコックリ船を漕ぐ^^
さて、息子が6歳の時のクリスマス。毎年25日の朝一番に目覚めるのは彼です。
起きてまっすぐクリスマスツリーの下へ行き、目を見張って口をOの字型に開け、驚きと喜びにあふれた表情で、そこに置かれてあるデカいプレゼントに最初に飛びつき、包装紙を引きちぎる。
ひとつひとつ開けるごとに興奮また興奮である。
その年は、ことの外嬉しかったのであろう。この贈りものがたまらなかったようだ。
翌日26日の朝のことである。
ガバと起きて部屋を出、まっすぐ再び、クリスマスツリーのある部屋へ突進したのには驚いた(笑)
もはや何物も置かれていないツリーの下を見ては、ひどくガッカリした面持ちでスゴスゴと再び自室に引っ込んだのだ。息子のその姿を見てわたしたち家族は大笑い。
息子よ。毎日がクリスマスだったら、いったいどうなるだろう。Father Christmas、いくら働いても間に合わないぞ。それに、1年に一度だけ、じっと我慢して待つことこそが、大きな喜びを育むことになるのだ。
その息子も今では30歳を超えた。母親のわたしより新しい大きなクリスマス・ツリーも、彼から見れば多少低いだろうか。あの頃の親戚や知り合いの顔ぶれも、随分いなくなってしまった。「オ・ジュアンズィーニュ!」(ジュアンちゃんの意)と息子を絶え間なく呼んでは可愛がっていた義母も寝たきりで94歳でみまかった。
エヴァーグリーンのクリスマスツリーの下で、月日は移り変わり、人も変わった。
♪When I was small, and Christmas trees were tall,
do do do do do do do do do...
クリスマスツリーがぼくより大きかった頃~♪
下記、Youtubeからです。
海外に40年近く住んでいらっしゃっても
まったく変わらない日本語と立派な文章に
敬服いたします。
姪の娘もイギリスの男性と結婚して3人の男の子を儲け
現在は母親と関西・西宮に住んでいます。
いずれは夫の実家へ行くことになるだろうと思います。
先方のご両親も日本がとても気に入って今までに何度も
来日されています。
私毎ばかりで大変申し訳ございません。
お願いがあってこちらをお訪ねしました。
こちらへは、ぼけぼけとまとさんのブログからやって来ました。
トマトさんとも数ヶ月コメントのお付き合いさせていただいておりましたが
私が何か失礼をしたようで、突然コメント欄を閉じられてしまわれました。
自分ではよくわからないのですが、私のコメントだけでしたので
閉じられた理由は私がお気に障ることをコメントしたことに
間違いないと思います。
一言お詫びしたくてもそのすべもなく、何度もブログ訪問しておりました。
それでこちらのブログにたどり着きました。
トマトさんのお目にとまれば嬉しいのですが・・・・
この場をお借りして、
ぼけぼけとまとさん 申し訳ございませんでした。
なにか誤解があったのであれば、それが解けて、また楽しいお付き合いができればいいですね。
とまとさんのブログを経て、拙サイトへおいでになったということは、とまとさん、なにか言及してらっしゃるのかな?
ちょっとあちらを覗いてみます