2018年3月23日
今日は「あの頃、ビアハウス」は休んで、我が家の苗字について。
娘が日本に住み始めた当初のこと。
「まいこ様、お届けものです!」と宅急便配達人に「さま」つけでドア越しに呼ばれたモイケル娘だそうな。苗字に「さま」づけは分かるがファーストネームに「さま」をつけて呼ばれたらはわたしだってちょっと戸惑う(笑)
あ、言っちゃったよ、モイケル娘の日本名を・・・ま、いっか。本人も自分のブログエントリーで白状してるから(笑)
娘いわく、一瞬、ファーストネームに「さま」づけは新手のサービスの類かと思った。が、すぐに苗字の漢字が読めなかったのではないかと気づいたそうだ。「エリカさま」じゃあるまいしと、その話を聞いてぷっと吹いたわたしだが、さもありなん。我が姓の漢字はさほど複雑ではないのだが、漢字検定試験では準一級の出題範囲になる。
考えてみれば子供の頃から今に至るまで、同姓に出会ったことはない。昔、東京や大阪の電話帳で遊びがてら我が姓をひいてみたことがあるが、やはり見つかることがなかった。さほどに珍しい苗字なのかと思っても当時は由来も何も調べようがなかったのだが、今にしてみれば母の生存中にもう少し家系について聞いておくべきだったと後悔している。
家系を知ったからといって現在の生活がなんら変わるわけではないのだが、ひょっとして「やんごとなき際(きわ=身分←モイケル娘用です)」に辿りついたりなどしたら生活態度には多少の変化があるかも知れない。てなことが到底あるとは思えないが、そんな面白いことを空想しながら家紋を探ったのは数年前だ。
さて、ここからはわたしのメモとして記録したく、取り上げてみたいと思います。
きっかけは母の遺品の紋付であった。結婚して苗字が変わった妹は持つわけにも行かず、結婚した現在でもそのまま苗字を継いでいるわたしがいただくことになった。ポルトガルでは結婚後、実家の姓と夫の姓のふたつを名乗ることができる。ファーストネームも二つ以上持つ人が多く、苗字にいたっては三つ四つがあったりして、長たらしいことこの上ない。
さて、何年も前になるが、知人のギャラリーにて個人で日本文化展示会を開いたときに衣装ケースに仕舞いっ放しにしていては形見も気の毒に、いっそのこと展示に使おう、と引っ張り出したのがこれだ。
妹から本家の紋はこんなのだと名前を知らされていたのだが、いかんせん、そんなことに全く無関心で来たわたしだった。が、この時初めて着物に付けられた父方の美しい家紋を目にして俄かに興味をもったのである。
検索してみると、これは「丸に揚羽蝶」というのだそうで、平家一門に愛用された紋として知られるとある。わたしは青森県弘前出身としているが、父は岩手県雫石町出身で、わたしも一時本籍はそこにあった。
雫石に平家一門の家紋とはと疑問に思い、ひょっとすると平家の落人伝説はないかと更にさぐっていくと、出て来ました。「岩手県岩手郡雫石町平家落人伝説」。
かつて、N○K大河ドラマ「平清盛」で崇徳上皇と後白河天皇の権力争いの保元の乱が放映されたが、源平ともに親子兄弟、叔父甥の一族が敵味方に分かれての血族の争い。負けた崇徳上皇についた清盛の叔父忠正の三男、通正の奥方は密かに逃れて後に生まれたのが平衝盛。後に雫石に居を構え名を戸沢氏と称したと、これもやはり平家に関連する面白い説でる。
家紋は武士の時代が終了して、結構自由に使うことができたとも言われる。我が父の実家は雫石町の更に在所の百姓だったような記憶があるので丸に揚羽蝶の家紋だからとて、先祖が平家に関係する家系だとは夢思わないが、在所の人間としては随分と優雅な家紋を選んだものだと、なんだか可笑しみが湧いてくる。
家紋と珍しい我が苗字を辿ってみたら、平安時代初期の歴史にまで遡って歴史の勉強をすることになり中々に楽しかったのである。
と、ここまで書いて思い出したことに、父の実家には大きな裏山があり、その山は父と叔父兄弟の所有であった。うだつのあがらない地方競馬の騎手だった父は若いうちに自分の持分だった山の一部を二束三文で売り払ってしまったと聞く。
在所にあった百姓の家屋としては父の実家は意外と大きく、わたしが成長してからも敷地で小判が見つかったという話も記憶しているから、もしかしたら在所では少し名が通っていたのかも知れない。一時期父と住んだ6歳の頃以来60年以上も雫石には足を踏み入れていない。
ネット検索の情報なのでどの程度の信用度があるかは疑問だが、我が苗字は全国で26~31人とのこと、これが家族単位なのか個人別なのかはっきりしないのは残念だが、個人単位だとしても日本全国たったの124人ほどが同姓だということになる。
ポルトガルではローマ字にするとうっかりロシア人もどきに間違えられたりすることもある我が苗字だが、できれば子供たちに継いでもらえたら嬉しいものだと、わたしもいつの間にかそんなことを思うような年代に入った。
モイケル娘の「まいこ様」からこんな話になりました。
ではまた。
今日は「あの頃、ビアハウス」は休んで、我が家の苗字について。
娘が日本に住み始めた当初のこと。
「まいこ様、お届けものです!」と宅急便配達人に「さま」つけでドア越しに呼ばれたモイケル娘だそうな。苗字に「さま」づけは分かるがファーストネームに「さま」をつけて呼ばれたらはわたしだってちょっと戸惑う(笑)
あ、言っちゃったよ、モイケル娘の日本名を・・・ま、いっか。本人も自分のブログエントリーで白状してるから(笑)
娘いわく、一瞬、ファーストネームに「さま」づけは新手のサービスの類かと思った。が、すぐに苗字の漢字が読めなかったのではないかと気づいたそうだ。「エリカさま」じゃあるまいしと、その話を聞いてぷっと吹いたわたしだが、さもありなん。我が姓の漢字はさほど複雑ではないのだが、漢字検定試験では準一級の出題範囲になる。
考えてみれば子供の頃から今に至るまで、同姓に出会ったことはない。昔、東京や大阪の電話帳で遊びがてら我が姓をひいてみたことがあるが、やはり見つかることがなかった。さほどに珍しい苗字なのかと思っても当時は由来も何も調べようがなかったのだが、今にしてみれば母の生存中にもう少し家系について聞いておくべきだったと後悔している。
家系を知ったからといって現在の生活がなんら変わるわけではないのだが、ひょっとして「やんごとなき際(きわ=身分←モイケル娘用です)」に辿りついたりなどしたら生活態度には多少の変化があるかも知れない。てなことが到底あるとは思えないが、そんな面白いことを空想しながら家紋を探ったのは数年前だ。
さて、ここからはわたしのメモとして記録したく、取り上げてみたいと思います。
きっかけは母の遺品の紋付であった。結婚して苗字が変わった妹は持つわけにも行かず、結婚した現在でもそのまま苗字を継いでいるわたしがいただくことになった。ポルトガルでは結婚後、実家の姓と夫の姓のふたつを名乗ることができる。ファーストネームも二つ以上持つ人が多く、苗字にいたっては三つ四つがあったりして、長たらしいことこの上ない。
さて、何年も前になるが、知人のギャラリーにて個人で日本文化展示会を開いたときに衣装ケースに仕舞いっ放しにしていては形見も気の毒に、いっそのこと展示に使おう、と引っ張り出したのがこれだ。
妹から本家の紋はこんなのだと名前を知らされていたのだが、いかんせん、そんなことに全く無関心で来たわたしだった。が、この時初めて着物に付けられた父方の美しい家紋を目にして俄かに興味をもったのである。
検索してみると、これは「丸に揚羽蝶」というのだそうで、平家一門に愛用された紋として知られるとある。わたしは青森県弘前出身としているが、父は岩手県雫石町出身で、わたしも一時本籍はそこにあった。
雫石に平家一門の家紋とはと疑問に思い、ひょっとすると平家の落人伝説はないかと更にさぐっていくと、出て来ました。「岩手県岩手郡雫石町平家落人伝説」。
かつて、N○K大河ドラマ「平清盛」で崇徳上皇と後白河天皇の権力争いの保元の乱が放映されたが、源平ともに親子兄弟、叔父甥の一族が敵味方に分かれての血族の争い。負けた崇徳上皇についた清盛の叔父忠正の三男、通正の奥方は密かに逃れて後に生まれたのが平衝盛。後に雫石に居を構え名を戸沢氏と称したと、これもやはり平家に関連する面白い説でる。
家紋は武士の時代が終了して、結構自由に使うことができたとも言われる。我が父の実家は雫石町の更に在所の百姓だったような記憶があるので丸に揚羽蝶の家紋だからとて、先祖が平家に関係する家系だとは夢思わないが、在所の人間としては随分と優雅な家紋を選んだものだと、なんだか可笑しみが湧いてくる。
家紋と珍しい我が苗字を辿ってみたら、平安時代初期の歴史にまで遡って歴史の勉強をすることになり中々に楽しかったのである。
と、ここまで書いて思い出したことに、父の実家には大きな裏山があり、その山は父と叔父兄弟の所有であった。うだつのあがらない地方競馬の騎手だった父は若いうちに自分の持分だった山の一部を二束三文で売り払ってしまったと聞く。
在所にあった百姓の家屋としては父の実家は意外と大きく、わたしが成長してからも敷地で小判が見つかったという話も記憶しているから、もしかしたら在所では少し名が通っていたのかも知れない。一時期父と住んだ6歳の頃以来60年以上も雫石には足を踏み入れていない。
ネット検索の情報なのでどの程度の信用度があるかは疑問だが、我が苗字は全国で26~31人とのこと、これが家族単位なのか個人別なのかはっきりしないのは残念だが、個人単位だとしても日本全国たったの124人ほどが同姓だということになる。
ポルトガルではローマ字にするとうっかりロシア人もどきに間違えられたりすることもある我が苗字だが、できれば子供たちに継いでもらえたら嬉しいものだと、わたしもいつの間にかそんなことを思うような年代に入った。
モイケル娘の「まいこ様」からこんな話になりました。
ではまた。
お久しぶりです。
去年6月末に仕事を辞めて、右に左にと飛び回っております。
珍しい姓、ということで私も自分の姓を調べて見たら、なんと私も珍しい姓でした。
全国で200ちょっとしかないんだそうです。
珍しい姓は人から覚えてもらえるから得な気がしますね。
私も自分の姓が好きです。
5月にはブラガに2週間滞在します。
ポルトガル第三の町、ということで楽しみです。
5月にブラガに滞在とのこと、4月中旬から5月中旬までわたしは帰国します。
ブラガは小さな町ですが、素敵でしたよ。
そこからですと、Viana de Casteloもそう遠くはないので、是非お勧めいたします。