こんにちは、信です。
今夜はさいたまも、久しぶりの雷雨です。
先ほどもすぐ近くに落ちたような気がします。
季節は27候。仲夏、芒種の梅子黄(うめのみ きばむ)です。
梅の実が熟す頃、降る雨。だから梅雨なんですね。
さて福島の裏磐梯、神秘的な五色沼のあと、南下して会津に訪れました。
私自身、新潟時代に来たきりで、もう13~14年ぶりでした。
2010年に屋根瓦が黒い瓦から、今の小豆色の瓦に拭き替えられました。
現在の姿が明治になって解体される以前の、本来の若松城の姿らしいです。
芦名-伊達-蒲生-上杉-加藤-保科-松平と、まさに錚々たる名門が治めた名城です。
入ってすぐの石垣。
武者走りという壁です。左から上がり、右から降りる。
要するに素早く走って登り降りするため、そのように決められていたそうです。
ちょっと逆光気味ですが、東側から見た天守です。
やはり大勢の方が来ています。ガイジンさんも多いですね。
会津藩の衣装で案内される方もいました。一緒に写真撮影されるようです。
城中に入りました。美しい石組みが肌で感じられます。
塩蔵です。塩の守がちゃんと番人してます。
天守内はここ以外は展望台のある、第五層まで撮影禁止です。
展望台から会津の街並みが望めます。
これは北東(巽)の方角。磐梯山の手前に飯盛山が見えます。会津白虎隊自刃の悲劇の場所です。
ちょうどアンテナのような金属塔の向こう側ですね。
残念ながら今回は行けませんでした。
これは北側。放送局のアンテナが見えますが、会津若松駅方向です。
城内の笠間稲荷の参道です。
これは東側、東山温泉が見えます。
そして走長屋。今は土産屋さんになっています。
ぐるり一回り。これだけ街を見下ろせれば、愛着が湧くのも当然ですね。
素晴らしい景観です。
ぐるり一周して再び、磐梯山と飯盛山。
南の走長屋から出ました。
保科正之の家訓があまりにも有名ですが、松平容保はこれを頑迷に守り、幕府とともに時代から消えていきました。
でもその一徹に生きることの美しさに、150年近くたった今でも慕う人々の波は絶えません。
さてその会津の街から、車で南下すること約1時間。
南会津は大内宿にやってきました。
鶴ヶ城を見てきたあとだけに、余計その時間が止まったような異次元に感動します。
これが原風景なんでしょうか。
癒されますね。
素晴らしい景観です。
一番北側の扇分家屋さん。
その横の階段を上がって・・
子安観音堂にお詣り。
やはりお蚕様の蚕室があったんですね。
降りてきたら、もう店じまい。
まだ開いていた茶店で、きなこ餅を頂きました。
突きたてで柔らかく、暖かく、そしてきなこは枝豆入りの上品な味わい。
美味しい漬物といっしょに頂きました。ぜひ行った時にはご賞味下さい。
街のはずれで茅葺修復中。
これは重労働ですね。大変な作業です。
もう暗くなってきました。
那須にある会社の保養所へ向かいます。
会津の歴史を肌で感じられる、良い旅路でした。
おしまい。
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