お早うございます、信です。
今日から三連休が始まりました・・が、まだ私は家にいます。
今朝も秋晴れの美しい夜明けを迎えていますが、行先がなかなか決まりません。
さて10月26日の日光山徘徊です。
まだ陽明門の前にいます
廻廊(かいろう)【国宝】
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。
いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。(東照宮hpより)
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こちらは右手
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こちらは右手の鐘楼
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こちらは左手です
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陽明門の随身 まるで生きているように見えます
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微に細に 仕事がされています
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ここからは陽明門のパーツを
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神輿舎(しんよしゃ)【重文】
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められています。
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唐門(からもん)【国宝】
全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。
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見事な美術品でした
祈祷殿(きとうでん)【重文】
結婚式や初宮などのご祈祷が行われます。
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眠り猫(ねむりねこ)【国宝】
左甚五郎作と伝えられています。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。これより奥宮に通じます。
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今にも目を開けて飛びそうです
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改めて
陽明門(ようめいもん)【国宝】
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。
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ここは三脚が欲しくなりました
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東照宮平成の大修理はこのページで詳しく説明されています
平成の大修理
東照宮の喧騒を逃れて
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二荒山神社へ
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その途中にある石鳥居
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案内板があります
寛永18年と云うと1641年です
ここにある大棟梁 平内さんに会ってみたい気がしました。
二荒山神社です
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むすび大黒さま
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茅の輪がありました
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八汐つつじが良い色になってます
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私はこっちの方が気になりました
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明日は大谷川の含満ガ淵(かまがふち)に行ってみます
撮影日: 10月26日
撮影場所:日光 東照宮・二荒山神社
それでは皆様、ご機嫌よう。
11月に入りようやく里山にも紅葉のスイッチが入りました。 東北・久住と怒涛のフェリー旅でこの秋を楽しみました。
そうそう先週東北の帰りに白馬村に立ち寄りました。10/28はりさんも同日に白馬村にいらしたようで、かなり近いところで行ったり来たりのニアミスでした。
私も最後の3連休に今から出立して来ます。行き先は福井・石川・富山方面
こちらの深まる紅葉がとても好きです。
日光は来年、鬼怒川とセットで行こうと思ってます。
お早うございます。
さすがに三百名山のネタ帳、引き出しに際限がありませんね。
久住高原は「延岡の山歩人K」さんのページで良く見ていて「行ってみたい」と思っていました。
takayan師匠のところで4枚拝見させて頂きましたが、非常に良い感じでした。
いよいよ11月に入りましたね
超FreeTimeもあと僅か、目いっぱい楽しんで新たな船出へのスイッチに備えて下さい。
また福井・石川・富山ですか、良いですねぇ
私も乗鞍・上高地・黒部と廻りたいのですが
うちのクマさんから「北へ」と指示が飛んでいます。
どうなることやら・・
コメント有難うございます。お気をつけて
東照宮の細かな彫刻の数々、本当にきれいですね。
平成の大修理により、極彩色の陽明門が蘇ったようですね。
左甚五郎の眠り猫ははあまりに有名です。
日光へは若い頃に一度行ったきり、もう何十年も前のことです。
今では当時の記憶もほとんどなくて、陽明門のこともほとんど覚えていません。
信さんの写真で詳しく拝見し、あらためてその豪華さを感じることができました。
二荒山神社への参道の風景は、東照宮の賑やかさとは打って変わって静かな佇まいですね。
23.24番の八汐つつじは、もう少しすればきれいに色づくのでしょうね。
錫杖さんはまたお出かけのようですね。
あの行動力には圧倒されます。
お早うございます。
平成25年から着手して、6年の歳月を経て今年3月に竣工した平成の大修理でした。
修理対象は陽明門と拝殿・本殿のみのようでしたが、三猿も綺麗に塗り直されていました。
豪華絢爛たる建築物ですが、私はその裏にある名工・職人たちの仕事に、想いを馳せていました。
それぞれが当時の国を挙げた、事業に携わる誇りをもっていたことでしょう。
この事業にいったい何千、何万の職人が関わったのか想像も及びませんが
それらを束ねた大棟梁が、いったいどんな人物だったのか
余程、度量の深い人物だったのだろうと、思いを巡らしていました。
コメント有難うございます。