沢藤南湘

残り少ない人生を小説とエトセトラ

異聞百済王伝説

2023-09-06 16:19:37 | 小説
異聞百済王伝説
 東京都江東区に立地する東城大学の古代史専門の教授、佐能秀幸、四十五歳、ずうっと独身を通してきた。
 身長、一メートル七十五センチ、学生時代サッカーの選手だったせいか、身体はがっちりしていた。腹はまだ出ていない。
 顔は、野性的で、年齢にもかかわらず、瞳は吸い込まれるほどに透き通っていた。
 女性経験は、何度かあったが、今だ初恋の女性が忘れられずに結婚に二の足を踏んでいた。
 その佐能が、ゼミの学生の前で話していた。
「一か月後に訪れる宮崎県美郷の百済王伝説について、皆事前に調べたり考えたりしておいて欲しい。その前に、百済王伝説について、簡単に話しておこう。皆は、六六一年正月、中大兄が、皇位につき、大王天智が誕生したことは知っていると思う。大化の改新を行ったと言われている。その天智の時代、今の朝鮮半島では、風雲急を告げる状況にあった。百済は、新羅軍に攻められ苦戦をし、倭国に援軍を求めてきた。将軍に任命された阿倍比羅夫(あべのひらふ)は、およそ三万弱の兵を率いて出兵した。百済では、権力闘争で、余豊璋(よほうしょう)が鬼室福信(きしつふくしん)と対立し、余豊璋が、鬼室福信を殺害してしまった。その内紛の機会を狙って、新羅軍が侵攻してきた。百済から援軍を求められた天智は、援軍を百済に送った。倭国の援軍を得た百済軍は、百済南部に侵入した新羅軍を駆逐することに成功したが、それに対して、唐は、新羅に増援の水軍七千の兵を派遣した。唐・新羅連合軍は、水陸併進して、倭国・百済連合軍を一挙に撃滅する作戦に出た。百七十隻の水軍は、熊津江に沿って下り、陸上部隊と会合して倭国軍を挟撃した。阿曇比羅夫は、天智に援軍を要請するために使者を倭国に送った。天智は、比羅夫の文を見て激怒したが、冷静な藤原鎌足は、海の戦に強い廬原君(いぼはらぎみ)を大将と百済へ送り込むことを進言した。そして、天智は、駿河湾を手中に収めていた豪族の廬原君を将軍として、一万余の兵を百済に送った。そのため、白村江で一戦を交えようと策を立てていた倭国と百済連合軍は、白村江への到着が、予定より十日遅れたが、連合軍は、勝利を確信して、相手をのんでかかっていた。相対する唐軍は、既に船軍の配置を終えて倭国連合軍の来るのを待っていた。比羅夫は、その状況を知っていたにもかかわらず、号令を発し、猪突猛進のごとく、唐・新羅連合軍のいる白村江河口に対して突撃を命じた。倭国軍は、三軍編成をとり四度攻撃したが、干潮の時間差などの外的要因を策に入れずに、唐と新羅水軍に大敗した。そして、六六三年、百済復興勢力は崩壊した。白村江に集結した千隻余りの倭国船のうち四百隻余りが炎上した。白村江で大敗北した倭国水軍は、各地で転戦中の倭国軍の兵士や亡命を希望する百済遺民を船に乗せ、唐水軍に追われる中、やっとのことで帰国した。また、その後も、百済から王族が倭国に亡命し、日向の国に漂着したとする伝説があります。南郷村の神門神社の社伝によれば、王族の一行は二艘の船に乗って瀬戸内海に入り、安芸の国(広島)の宮島に着いたが、追っ手を恐れて筑紫(福岡)に向かった。船はあらしに遭って流され、一艘は日向の金ケ浜、一艘は高鍋の蚊口浜に漂着した。金ケ浜が禎嘉王一行、蚊口浜がその子・福留王の一行であった。禎嘉王(ていかおう)らは、すぐに向かうべき土地を占ったところ、西方七、八里によい土地があると出たので、そこへ向かい、着いたところが神門であったという。一方、福留王らも占い、西方に比木(木城町)という土地があることが分かり、そこに落ち着いた。やがて、新羅からの追っ手が、禎嘉王らのいる神門に迫った。南郷村の入り口に近い伊佐賀の戦いは最も激しく、王の次子・華智王は戦死、禎嘉王自身も流れ矢に当たって戦死した。比木にいた福留王は、急を知って小丸川に沿って渡川から鬼神野を経て神門に入り、父王を助けて戦い、苦戦したが、土地の豪族が食料や援軍を出してくれたので、ようやく追っ手を撃退することができた。福留王が、禎嘉王を葬ったところを塚の原と言い、ここに古墳がある。また、この王を祀ったのが神門神社だ。福留王も比木の人々に崇敬され、後に比木神社に祀られた。このようなことで、神門神社と比木神社は密接な神事も伝承しているようだ」
 佐能は、茶を口に含んだ。
「そこでだ、君たちに、美郷の百済王伝説の信憑性について判断を下してほしい」
 と続けた。
「分かりました」
 学生たちが、頷いた。
 学生は、青山和夫、柿崎歌子、田代恵、中西孝雄、そして羽生太の五人で、来年卒業の四年生だった。
 
 一か月後。
 佐能と学生たち五人が、宮崎空港に降りた。
 佐能は、空港近くのレンタカーの営業所に行って、予約していたレンタカーを借りた。
「さあ、みんな乗って」
「先生に運転させるなんて、申し訳ないわ」田代恵が言った。
「君たち学生に運転させるわけにはいかないよ。ところで、今日行くコースだが、美々津で、ちょっと遅いが食事をとり、今回メインの百済王伝説にまつわる西の正倉院、百済の館そして、神門神社をめぐる」 
「ここで、食事をとろう」
 佐能が言って、美々津の食堂の駐車場に車を止めた。
 皆、海鮮丼を注文し、おいしそうに食べた。
 佐能は、皆が食べ終わったのを見計らって、話した。
「なかなかおいしかったな。これから神門神社に行く。しっかり肌で百済王伝説を感じてくれ」
 学生たちも腰を上げた。
 佐能は、学生を車に乗せて、西に向かって一時間ほど走って美郷に着いた。
「ここからは、自由行動にするが、十七時までにここに集まってくれ。いいな」
 学生たちは、最初の神門神社の境内に入った。
「先生は、どうしたんだろう?」青山和夫が、誰ともなく聞いた。
「車に乗って、どこかに行ったみたい」田代恵が、答えた。
「ここは何回も来たことがあるからといっていたんで、ほかの場所に行ったのかしら」柿崎歌子が言った。
「まあいいや。我々は十七時までここを見て回らなきゃいけないんだ」中西孝雄が言った。
「もう三時近いぞ」羽生太が言って、歩き始めた。
「この神社は、養老二年(七一八年)の創建だそうだ。そうすると、古事記と日本書紀の編纂の間になるのか」
 青山和夫が、知ったかぶりして言った。
「青山君、年表に強いのね」
 柿崎歌子は、感心した。
「主祭神に大山祀命(おおやまずみのみこと)と百済国禎嘉王の神社と書いてあるね。大山祀命って、誰だい」
 羽生太が、聞いた。
「大山祀は、我が国の山の神の元締めで、山への信仰から生まれたようだ」
 中西孝雄が、タブレットを見ながら答えた。
「手前が拝殿で奥に見えるのが正殿のようね。今にも倒れそうだわ。もっと大事に保存できないものかしら」
 田代恵が、憤慨して言った。
 次に、西の正倉院に入った。
 一時間ほどで、皆が出てきた。
「百済王の遺品の二十四面の銅鏡は、東大寺大仏殿の台座から出土した銅鏡と同一品で唐花六花鏡(とうかろっかきょう)というんだな」
 青山和夫が、思い出したように言った。
「これこそ大陸文化の象徴ね。しかし、先生は、百済王伝説を疑っているのかしら」
 柿崎歌子が、不思議そうに言った。
「確かに、伝説の信憑性を確かめろと言っていたね」
 青山和夫が、相槌を打った。
「次は、百済の館ね」
 田代恵が、言った。
「あと十五分しかないよ」
 羽生太が、腕時計を見た。
 五人は、さっと見て、駐車場に向かった。
 すでに駐車場で、佐能は、タバコを吸いながら待っていた。
「全員来たな。これから南郷温泉の八千代旅館に泊まる」
 車は、数分も走らないうちに旅館に到着した。
’東城大学御一行様’と書かれた看板が玄関先に掛けられていた。
 女将の左千代と店の女たちが出迎ていた。
「先生、皆様、いらっしゃいませ」
 佐能の荷物を千代が預かり、学生の荷は女たちが、男部屋と女部屋へ運んだ。
「青山、なんて美しい女将なんだ」
 中西が言った。
「こんな田舎にあんな美人がいるとはな」
 青山も吃驚していた。
 佐能は、一人別室に入った。
 入浴を終えて、全員が、夕食を取りに、広間にそろった。
「なんて、豪華な料理なんだ」
 中西孝雄が、すでに並べられた料理を見て驚いた。
 皆それぞれ好き勝手に料理の前に座った。
 女将が、佐能そして、学生たちのグラスにビールを注いで回った。
 田代恵の前に来た。
「すみません。私はアルコールはダメなんです」
「では、ジュースかウーロン茶はいかがですか」
「ウーロン茶をお願いします」
 女将は、待機していた女に目くばせして、扉のほうに行き座って頭を下げた。
「今日は、遠くからこちらに来ていただきありがとうございました。ごゆっくりお過ごしください」
 酒を飲んだ学生たちは、赤ら顔でよくしゃべった。
「先生は、この地には何回も来ているんですか」
 中西孝雄が、聞いた。
「そうだな、五回以上は、来ているかな」
「なんでそんなに来ているんですか」
 柿崎歌子が、聞いた。
「ここ美郷の百済王伝説なんだが、どうも解せないところがあるんだ。それで君たちにも調べてもらいたいので、ここを選んだのだ。今日、君たちは、実際、神門神社や西の正倉院などを回って、どう思ったかな」
 佐能が、中西孝雄のほうを見た。
「まだ頭の整理がつかないので、百済王伝説の信憑性については、なんとも言えません」
「柿崎さんは、どうかな」
 頬が赤く染まった柿崎歌子が、答えた。
「私は、美郷の皆さんが思い続けているように、百済王伝説は間違いなく真実だと思います。先生が信憑性を疑っている理由が分かりません」
「そうか。では羽生君の意見はどうかな」
 羽生は、ゼミの中で一番優秀な学生であった。
「僕は、百済王伝説がまったく信憑性がないとは思いません。ただ百済の人々が、この地に居座ったとは思いません。おそらく、追手が来て戦ったことは間違いないと思います。助勢を得て、追手を追い返した後は、生き残った禎嘉王の臣下と福留王たちは、また追手が来るとの恐怖心からこの地を離れたのではないでしょうか。この伝説の中に、僕の調べた範囲では、福留王が戦った後についての話がないのです」
「なるほど」
「先生いいですか」
 田代恵が、手を上げた。
「田代さん、どうぞ」
「今の羽生君の話の続きになるのですが、生き残った禎嘉王の臣下と此木の福留王たちは、飛鳥板蓋宮の地を目指したのではないでしょうか。そこには、百済王善光がいたからです。善光の兄、扶余豊璋(ふよほうしょう)から飛鳥の地に善光がいると福留王は、百済の戦場で聞いていたのです」
「確かに、扶余豊璋と善光兄弟は、倭の国に人質としてきており、豊璋は、白村江の戦の前に百済に帰国しているので、田代さんのいうようなチャンスは可能性がある。ふたりともよく調べたり、考察していると思うが、私の考えは、美郷にたどり着いたのは、禎嘉王、王の次子・華智王そして、福留王ではなく、その臣下だと思っている」
「禎嘉王、王の次子・華智王そして、福留王は、どうしたんですか」
 田代恵が、追及した。
「おそらく、百済の地か倭の国へたどり着く前に殺されていたのではないか」
 と言って、佐能は時計を見た。
「もう十時を過ぎだ。話は尽きないが、今日はこれで終わりにする。百済王伝説についてのレポートは、東京に戻ってから作って今月中に提出してくれ。明日は、八時半に車に集合だ。では、解散。おやすみ」
「あと二週間しかないわ」
 田代恵が、柿崎歌子に囁いた。
 
 翌朝、八時半の集合時間より少し前に、皆集まったので、佐能はアクセルを踏んだ。
 そして、高千穂近辺を回って、一泊してから翌日の宮崎発12時30分ー東京着13時55分のJAL692便に乗って東京に戻った。
 
 それから、三日後。
 佐能教授の部屋の扉が開いて、羽生太が、最初に入ってきた。
 十三時になるとゼミの学生五人が揃い、席に着いた。
 そして、佐能が、席に着くと、百済王伝説について、学生たちの議論が始まった。
「私は、先生の推論は、正しいのではと思い始めました。唐花六花鏡や剣について、必ずしも百済王がいたとの証明にはなりませんが、百済の人たちがいたことは、間違いないと思います」
 中西孝雄が、今回は自信を持って言った。
「でも、塚の原に禎嘉王を葬った古墳があるわよ」
 柿崎歌子が、反論した。
「柿崎さん、でもそれが本物かどうか分からないんじゃないか」
 青山和夫が、言ってから続けた。
「白村江の敗戦で、天智は、唐が勢いの乗って、倭国に攻めてきて皆殺しに会うことを恐れ、藤原鎌足に北部九州の大宰府の水城や瀬戸内海を主とする西倭国各地に山城などの防衛砦を築かせたようです。また、北部九州沿岸には、多くの防人を配備した。その間、次々と、百済から兵士や亡命の民が、瀕死の状態で舟に乗り込んでやって来たので、恐怖におののいていた天智は、鎌足たち重臣が引き止めるのを振り切り、都を内陸の近江に遷都しています。その時、百済に帰らずに倭国に残った善光も近江へと移って行ったのです。このような話の中で、美郷に百済王が来たとか、そこに唐の追手が上陸したとかという重大な話がないのです。ただし、兵士や亡命の民が流されて美郷に着いた可能性はありますが」
「青山君は、結局何を言いたいの」
 柿崎歌子が、聞いた。
「僕のいいたいことは、百済王伝説は、年数を経ることによって、大きな事件として扱われるようになったのではないかという推論です。百済人が、宮崎に渡来して、鹿児島には渡来していない、いやその伝説が全くないのが腑に落ちない」
 鹿児島出身の青山和夫が、首をかしげた。
 皆それぞれよく調べ、考えてくれた。
「それでだ、今回のレポートに今後の美郷町の発展のために、これからどうしたらよいか、ビジョンを持った内容を追加してほしい」
 しばらくの間、沈黙の時が過ぎた。
「先生、レポートに締め切りは、延ばしていただけますか?」
「そうだな、来月六月三十日午前十時までとしよう。午後一時から、各自、レポートの説明をしてもらう。いいな」
 皆に笑顔がこぼれた。

 六月三十日午後一時。
 ゼミ室に学生たちが、集まった。
「では、あいうえお順で、青山君から説明してもらおう。時間がないから、今回は概要だけにしてくれないか」
「簡単に概略説明します。現在の百済王伝説とは、僕は違う考えです。それは、美郷に着いた人たちは、百済の貴族ではなく、兵士か一般の人々の亡命だと思っています。どちらにしても、これから今以上の百済王伝説を有名にするには、三郷の百済王伝説を今以上に宣伝したほうが良いと思います。例えば、百済王伝説を漫画化して配信したらどうでしょうか。白村江の戦や、天智天皇、藤原鎌足などの人物も登場してもらうのです。誰が描くのか、それは、SNSで懸賞金付きで募集するのです」
「なるほど、青山君、ありがとう。次は柿崎さん、よろしく」
「私は、百済王伝説が正しい事実だと思っています。その理由の一つとして、塚の原に禎嘉王を葬った古墳があるということです。これからは、例えば、美郷の百済王伝説をメインにした例えば「白村江の悲劇」というショートストーリーの映画をYouTubeなどに流したらどうでしょうか。若者にも興味を持ってもらえると思います。ただ、映画にする費用が、必要になります。ちょっと無理かな」
「柿崎さん、ありがとう。では、田代さん、お願いします」
「私は、美郷の百済王伝説をさらに進展させて、生き残った禎嘉王の臣下と此木の福留王たちは、再び追手が来るのではないかと思い、すでに飛鳥に居住していた百済人の善光を頼って、飛鳥に向かったのではないかとそして、最終的には、天智天皇が遷都した近江大津宮遷都に移ったと考えました。かなり無理筋かもしれませんね。禎嘉王と福留王たちのの百済から此木・美郷、そして、生き残った者たちの飛鳥、近江までの逃亡をフィクションにして、観光の宣伝にできないかと思うのですが、いかがでしょうか。うちの大学に小説家希望の人がいると思いますので、募集してその人に書いてもらうのです」
「面白い案だね。次は、中西君」
「僕は、この伝説の信憑性に疑いを持っていますが、それは、あくまで伝説ということなので、問題だとは思っていません。ただ、観光の目玉のひとつの神門神社が、余りにもみすぼらしかったので、がっかりしました。ここを訪れる人をがっかりさせないためにも、この神社の修復をして欲しいです。以上です」
「分かりました。最後になってしまいましたが、羽生君お願いします」
「この伝説は、信憑性はありますが、比木にいた福留王たちがそこに永住したかどうか。僕も田代さんと同様、永住しなかったのではないかと思います。それは、追手への恐怖心です。どこに移住したかは、まだ、分かりません。今以上に美郷を有名にする方法のひとつとして、同じ宮崎県の高千穂の天岩戸神話と併せて、『天岩戸神話から百済王伝説をめぐる古代ロマンのいざない』と高千穂町と組んでツアーを、観光会社に売り込んだらどうでしょう。また、百済王伝説音頭のような歌を作って、夏の盆踊りに使ったらどうでしょうか。踊りも考えなければいけませんね。歌は、一般公募で、踊りは地元の人たちで」
「そうだ、美郷の春夏秋冬の良いところも宣伝しなければ。羽生君、ありがとう。そして、皆、ご苦労様でした。ひと段落したんで、打ち上げをしよう。小田さん、支度お願い」と言って、佐能が、流しへと向かった。
 学生たちも手伝って、酒盛りの準備を終えた。
 机の上に、缶ビールとウイスキー、ウーロン茶そして、乾きものの入った袋が置かれた。
 紙コップにビールやウーロン茶が注がれて、飲み会は始まった。
 就活や卒論の話など話題に着きなく、三十分ほど過ぎた時。
 田代恵が、佐能に向かって言った。
「先生、この間泊まった旅館の女将さんから聞いたんですけど、先生は宮崎県臼杵郡今の三郷町で生まれ育ったそうで、三十数年前、先生は宮崎商科大学の准教授の頃、町の基幹産業の林業に陰りが出てきて、町の若者たちが、見切りをつけて美郷を出て行き人口が半減した時に、当時の村長が、町おこしのために提案したのが、百済王伝説を観光の目玉にして、町おこしの起爆剤にと。そして、柱となる百済の古都、扶餘の百済王宮跡に建つ客舎百済の館の再元と、百済王族の遺品を収蔵した宝物庫の西の正倉院の建設計画案が、持ち出された時、町の人たちが、賛成派と反対派に二分されたそうです。その反対派の先頭に立ったのが、先生、当時の佐能准教授だったと聞いたのですが」
「その通りです。千代さんがそんなことを言ってましたか」
 田代恵が、さらに聞いた。
「なぜ、先生は反対したのですか」
「決して、町おこしに百済王伝説を前面に出すことには、反対ではなく、大賛成だった。しかし、箱モノを二つも造る必要があるのかと、箱モノを造るのが目的になってしまうと後で維持費や経費などでお荷物にならないかと心配していたんだ。建物の中に入れる物が、重要で、観光客をひきつける物を入れなければならない。私は、それが納得できなかった。それより、中西君が提案した神門神社の修復が、先だと考えていた」
「先生は、千代さんをよく知っているんですか」
 柿崎歌子が、聞いた。
「彼女とは、幼馴染だよ」
 千代は、佐能にとって、初恋の人だった。いや、今でも佐能は、千代に恋していた。
「先生は、私たちが見学している間、どちらに行っていたんですか」
 田代恵が、急に話を変えてきた。
 佐能は、返事をためらった。
「先生、もしかしたら千代さんとデートだったじゃないかしら。恋人の丘あたりで、どうですか」
 田代恵が、酒も飲まないのに平気で佐能をからかった。
「実は、来年四月から宮崎商科大学に異動することになったんだ。それから、彼女と結婚するつもりだ」
「えっ」
 しばらくの間、十の目が、佐能を見つめた。
「先生、おめでとうございます」
 田代恵が、真っ先に言った。
「まだ結婚していないよ。ありがとう」
「先生、結婚式に呼んでください」

 柿崎歌子が、声を上げた。
「先生、宮崎に行ってしまうんですか。寂しいな」
 青山和夫の瞳が、潤んでいた。
「君たちに恋人ができたら、恋人の丘に招待するよ」
 皆、黙った。
 五人とも、恋人らしき人はいないようだ。
「宮崎に行ったら、今回の君たちの提案を何とか生かせればと思っている」
 佐能が、真面目に応えた。
 
 そして、三月を迎えた。
 佐能のゼミの学生五人は、就職が決まり、卒論も終えて、ちょくちょく佐能の部屋に遊びに来ていた。
 佐能は、引っ越しの準備にいとまがなかった。
 学生たちは、それを手伝った。
「ゼミの皆で先生の送別会をやりたいんですが、ご都合の良い日ありますか」
 羽生太が、手を休めて言った。
「そうだな、学校に来る最後の日の二十九日なら空いているけど」

 二十九日の五時、大学近くの中華料理店の個室で、佐能の送別会が行われた。
 また併せて、ゼミの解散会も含まれていた。
 ゼミのすべての学生五人と助手の小田恵子が、佐能を囲んで会は始まっていた。
 佐能の希望で、堅苦しい挨拶は、お互いに抜きということになっていたので、ただたわいもない雑談が続いていた。
 学生たち五人も就職先の会社によって、東京を離れて地方に行く者もいた。
 ほとんどが、文化財保護に関係する役所や団体であったが、一人羽生太は、文京区にある帝陽大学の大学院に進学することになっていた。
 そこの木暮教授は、佐能の友人でもあったが、羽生太は、優秀な成績で、大学院修士課程に合格した。
 もちろん専門は、日本古代史である。
 佐能秀幸は、今後の彼らの活躍で、今以上、古代史にスポットがあたることに期待しながら、紹興酒を口に運んだ。
                                      了
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