始めの頃は旅立つ辺りの事ばかりを考えて、正しい判断だったか間違っていたのでは
と一つ一つ頭に浮かんできていた。
他にやれるのではとの思いが絶えず浮かんできていました。後悔ばかりです。
過去の自分へのやり場のない怒りだけです。
しかし、宗教はそんなことはお構いなしに毎週、毎週、毎日、毎日やる事があります。
一方で殆んど寝たきりに近い母親が居り、一時間も外へ行くと家中探し回ります。
食事の準備は簡単でも決まったペースであり、その間にも家事なるものがあります。
そんな事が頭を休ませてくれます。
夜は少しづつ記憶が遡っていきます。楽しかったり嬉しかったりもありますが、
あの時はこうすれば良かった、こう言うべきだったという事がリアルに出現します。
最後の審判の話です。いつか迎える自分と対峙する日です。
形の上では仏教の作法ですが、心はこの方が休まります。
いっそ神話の方が心はなごみます。
残された者は、最後の審判までは一時も休まる日はないのかもしれない。
追記 家内が行末を勝手に苦にしていた実妹のお詣りが有り頑張っての暮らしぶり
安心したであろうと確信。困ったら助けるとの約束必要なし。
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