昨日遠来の友よりリンゴが届いた。お昼ごろに電話を
したが忙しい時でつながらなかった。
夜にと思っていたが寝込んだ。今朝かけ直そう。
昼間10のPCを分解、不燃物に出す。
その時余命宣告を思い出した。呼吸器の医師より40
日余りと。この時ツトメを果たせて喜んだ。医師の不
審気な顔もなんの感慨もかった。それまでは陽子線の
治療の大金に拘っていた。
姪により多く渡すことだけを考えていた。
すぐ死ぬ者に使う必要がないと。
でも妻の友に強引とも思える説得に折れた。結局おか
げで生き延びている。
遠来の友が体験者中西れいの本で励ました。
陽子線の照射は予想外の好結果を挙げた。その恩もあり
今でも経過観察のためのみで外来に通っている。
私はすでに30年前から走ることができない。心臓の異
常は承知している。現役のころは自分設計の現場に行き
大声で余計な指揮をした。これが唯一の運動。
妻の透析の器械も透析中のみ操作を許されていた。
家庭透析の訓練も受けたがもうすべて忘れた。病院にも
入りたくない。ましては入院はマッピラごめん。