最近多い。自身の事は後でも取り返しがつく。
姪の手続き、役所とのやり取りはそうはいかない。
忘れた時には顔をあわせ話し合う。
先日妻が透析でお世話になった看護婦(師)さんを
FACE BOOKで見かけた。今はさらなるご活躍の様子。
嬉しく拝見した。
透析がこんな大きな分野になるとは想像できなかった。
腎臓病は死しかなかった時代。学生運動の活動の捨て場。
そんな時代に透析医療を米国で学んだ活動家だった医師。
それが大当たりした。当初掘っ立て小屋が今では大病院。
ビルが林立している。
私の知り合いの医師がいたので妻も便宜を図って頂いた。
立ち入る事の出来ない透析の現場に介護で付き添った。
最終的には訓練を受け家庭透析ができる迄になった。
そんな先輩たちもすでに引退。私も透析すら見たくない。
透析が医療として成り立つ頃は受ける方も頑張り屋さんが
多かった。国立病院の活動家の方だった人とも10年後患者
さんとして再会した。年を取った今運命に翻弄された思い。
自分の意志で過ごした筈が結婚、透析に導かれた気がする。