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やっと連絡の取れた彼は

かの友人と3日かかって連絡が取れました。いつも折り返しで返事が来るのに異常です。

夜となく昼となく連絡し続けました。

3日目になってやっとメールが来ました。彼は私たちがお仲人をした若者です。

彼が私の友、彼女が家内の知り合いの縁でした。20年以上も前のことです。

彼の父とお合いした時はまだかの父も現役でしたので、お年は気がつきませんでした。しかし享年93と

いうことは私の母親とほぼ同じということです。

連絡が取れなかったのは彼の母親がショックで悪くなり、職も休みお世話をしているとの事です。

先のある働き盛りの男がと思うと残念ですが、全て自分で選んだ道です。何事も全力を尽くすのみです。

親のお世話をするということは物理的に手間がかかるということよりも、精神的に打撃が大きい。

人が人でなくなって行く工程は本当に辛い。

赤ちゃんは何をしていても可愛らしさがあります。親は同じようでも情けなさが先に立ちます。


それにしても彼は勇気があります。愚痴一つこぼさずそれこそ淡々と何でもないかのごとくやります。

彼の決意を改めて見習いながら私もこのまま続けていこうと思いました。


今日のパンは食パン、チーズパン、チョコパンとアップルパイです。




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コメント一覧

sugiura
面倒を見ることは
辛いものがあります。私は多くの係累を見送ってきました。初めのころは曾祖母たちですが当時は家で湯かんをし、近くのお墓で荼毘に付しました。

子供心にも奇異な印象でした。それ以降父親、息子、妹、家内と。今では仏教のお寺様を見るのも嫌なくらいです。

仕事も捨て、家から一歩も出ることなく生活するのは神経がおかしくなります。夜昼のない生活で作業ばかりが多くて精神的に追い詰められるような生活は大変です。

しかし、pcだけが外とのつながりで救われます。
らいちゃん
親孝行
http://blog.goo.ne.jp/raishou0213
母さんのお世話をされているご友人の方は素晴らしいですね。
今、親の恩を返す時です。親孝行してください。

「親孝行したい時には親はなし」と言います。
私の両親は既に他界しているので、親孝行出来ませんでしたが、片親でもいるだけ幸せです。

私は戦時中に生まれた年代ですが、私が子供の頃は明治生まれの祖父母の世話を母親がしていました。
当時はまだ戦後間もないころで、日本全体が貧しい時期でしたが、その頃は子供が親の面倒を看るのは当たり前でした。
それが次第に核家族化が進み、戦後の教育で個人主義が浸透しすると、権利を主張して義務を果たさなくなり、それとともに親の面倒も看なくなり、挙句の果てが介護制度の導入です。

止む得ず親を施設に入れなければならない場合もあるかもしれませんが、出来る事なら子供が最後まで面倒を看てあげて欲しいものです。

そのような世の中が来て欲しいと思っている年寄りの独り言と、お聞き捨てください。
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