昨日Eテレの’ひろしま’のドキュメントを見ました。映画の放映もあったそうです。
気が付くのが遅く見逃しました。常々原爆の映画がないのが気がかりだったのですが
やはり存在していました。被爆を体験した方々が大勢出演されていたと紹介があり
ました。八万もの市民の方々の参加があったそうです。それが核廃絶への大きなうねり
になっていったのです。しかしその中で次第に国際情勢の変化から共産化を防ぐとの
圧力が強まり運動の分裂が始まったようです。私も若い頃原水爆廃絶の運動に参加して
いた時期があります。最初は単に原水爆廃止を訴えていただけなのですがソ連の原爆は
許されるという議論が提起されるようになりました。私自身はたとえソ連の物でも許され
ないと思っていました。でも政治が介入するようになり運動は分裂しました。当事者
よりも政府の介入により就職、組合、赤のレッテルを貼ることによる弾圧が厳しくなり
ました。私自身も奨学金で高校から大学まで行き半額免除の優遇をされていました。更に
教師か自衛隊に入れば返還無用の制度がありました。学生運動にかかわっていたので
どちらも実現しそうになかった。大学院も考えたのですが病弱な母親と妹を支えなくては
との思いもあり進学もためらいました。急速に運動から遠ざかるようになり委縮しました。
それが今の心残りです。時流に流され企業の一員となってしまいました。忖度も違法を
承知で突き進みました。戦場に行けば平気で引き金を引き人を殺してきたでしょう。それが
心残りです。拾った生を有効にしたい。
t:160%;">素敵な生け花や切ない詩、曲などがいっぱい~♪こちらもどうぞ{/m_
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