台風上陸で、不安のある中での広島平和記念式典でした。
どんよりと重い曇り空…気のせいかもしれないけれども、昔は陽射し強い上天気の日が多かったような気がします。でも、なぜか近年はそうでもない日もあるような…。
74年前のあの日の朝、もしかしたら晴天ではなく曇り空だったら、雨降りだったら、広島への投下は中止されていたかもしれません。
それでも、日本の国のどこかに原子爆弾は投下されてしたでしょう。現に長崎がそうだったから…。
そして、その街の、戦時中とはいえ何気ない日常が灼熱地獄のただなかに叩き込まれて、たくさんの人たちが亡くなり、その数と同じ、もしくはそれ以上の人たちが、大切な人を失った悲しみの背負わなければならなくて、傷ついた人達が何十年もその苦しみを背負わなければならなくて…。
人間だけでなく、夏に短い命を生きるセミたちも、犬や猫も、家畜たちも、虫や鳥も、何もわからないまま焼き殺されて…。
核兵器は、いつ、どこで使われても何も生み出しません。
ただ、すべての生きるものを、創造された物を、大自然を破壊し焼き尽くすだけ。その勢いはその後も続きます。
持っていても何の得にもならないはずです。
核兵器の恐ろしさを一番知っていて、一番その恐ろしさを伝えなければならないはずのこの国なの、に。なぜそのために必要な条約への批准をしようとしないのか…ただただ理解に苦しみます。
その言い出しっぺの本人は平気な顔をして式典に出席して、薄っぺらい言葉を述べていました。
その前の市長の平和宣言や小学生の言葉の重みとは比較にならないほどの、表面だけの言葉…。あと何年聞かなければならないのでしょうか?
過ちは繰り返して版らない、でもここ最近の国際情勢を見ても、自国至上主義が横行してるようで、また歴史の過ちを繰り返すことになってしまいそうな予感が消えません。
それでも、ここでこんな偉そうな事をつらつらと書いています。
それは、せめて記憶が残るように、拙くても形にしておくようし、と思うから。
折しも今日は、夏の全国高校野球大会が開幕しました。
この大会の歴史にも戦争の影が残っています。数年間大会そのものが開かれず、たくさんの高校球児達も戦場や戦禍にその命と才能を奪われました。
今日、無事に開会した事を心から喜び、平和の元でのスポーツの熱闘を見守っていきたいですね。