お葬式も無事終わって、二日。
疲れのせいか胃痛があったり。。元々の疾患が少し重くなったり。そして寒さも加わり。。少し体調が万全ではない感じ。
一昨日は、旦那さんに甘えさせてもらいましたけどね
さすがに少し疲れが出てしまったみたい。。
義父母も、お葬式にでてくださいました。。
祖母は、人を見る力がすごかったなって思います。
色々な言葉を思い出します。
私が中学生のとき祖父母の家に行って、一緒に買い物いった時のこと。。
「あんた、福祉にむいてるんじゃない?」
その言葉もあって、社会福祉学科に進みました。
大学決まったときは、祖父母共に喜んでくれてましたね
大学の4回生の時、祖母は脱臼して、手術を繰り返したこともあり、認知症と診断された。
診断される前に祖母は「私は夢遊病みたい。なんかおかしいこと言ってるんだって。これからもっとおかしいこと言い出すと思う。間違ってる時は、指摘して欲しい」
当時全てを否定せず、受け入れなさい」と習っていただけに衝撃でがありました。
仕事で躓いて、すぐ辞めてしまった時、ほかの人は心配する中「そこはあんたに合わなかったんだよ。あんたに合うとこ見つけたらいいんだよ。その時そのとき合うところでやればいいんだよ」
おかげで次の所では、5年以上。
合間合間に施設に行ったりしてました。祖父はこっちの予定考えずに「来て欲しい来て欲しい」って言ってました。祖母は「無理して来ちゃダメだよ。あんたらの体が一番大事だからね。」って気遣いもほんと忘れてない。
私の実家の近くの老人ホームに入ったとき、「ご飯が美味しい」って喜んでいた。祖父は結構好き嫌いが多かったので。。そんな祖父を見て、認知症があっても「わがまま言うてたあかんよ。美味しいもの食べてるんだから」って祖父にお説教してましたっけ。
びっくりしたのは、祖父が危篤のときの一言。「病気になったからこそ手がつなげるようになったし悪いことばかりやない」って話しかけてた。また祖父が亡くなる少し前に、祖母の甥っ子が70代で亡くなっていた。祖父には報告せず、祖父が亡くなってから祖母に伝えた。「おじいちゃんに言わないでよかった。教えてくれてありがとう」と。
本来なら死に関することあんまりよくないとは言うんだけど。。結構伝えてました。
よく喧嘩もしました。でもそれもあってか。。
祖母は他の認知症の人と比べれば、進行がましだったかなって自負してます(笑)
今年の7月、どんだけ調子が悪くても喜んで食べてたチョコレートを「食べない」と言い出した。その回数が段々増えた。
この頃から普通食がダメになってしまった。もうちょっと頑張って欲しいっていうのがただただ本音でした。
点滴するって選択はしたけど、これは苦しめることにならないのかなと葛藤もありました。
祖母が調子いい時に聞いたことがあった。「点滴は辛くない?」と。
祖母は、「お風呂に入るためだから頑張るの」って。
まあそれならいいかって。。感じだったんですよね。
式の4日前と、新婚旅行から帰ってからと会いに行きました。旦那さんにありがとうございますってしっかり挨拶してたのが最期になりました。
明日、私用で実家にほぼ一日いる予定だったので、祖母に会おうって思ってたところだったんで少し残念って思いはあったんですが。母が幸いその場に居て、弟も休みですぐ駆けつけて、父もいて。穏やかに息を引き取ったってことなのである意味祖母の理想だったかもって思います。
昼も少し食事を食べたってことだったんでほんと理想。祖母は、吸入器とか付けずぽっくり逝きたいって以前言ってたもので。ほんとすごいなって思います。父方の祖母がまさに寝てる間に逝った感じだったことがあって、4年半程前普通に祖母とそんな話をしたのでした。目も見えなくて、車椅子で辛かったかもしれませんが、人生の引き際はほんとおばあちゃんらしいって思えました。
改めて祖母に感謝です。