おばあちゃんは父親の姉の方の
伯母さんの家に引き取られた。
伯母さんはおばあちゃんのマンションよりも北に住んでいたので震災の被害はあまり無かった。
伯母さんは私が産まれた時にはもう結婚していて
私はあまり交流が無かった。
私達が半年前に結婚式を挙げ、一つ一つ集めた食器も一瞬にして割れてしまった。
いや、食器なんてどうでも良い。
6000人以上の方が犠牲になった。
私達が住んでいた賃貸マンションは頑丈だったので
『一部損壊』の緑の紙が貼られた。
その他私の親類の家は『半壊』の黄色い紙が貼られた。
私達は2日後にサムのお義母さんのマンションに避難させて貰う事にした。
何十キロも歩いて電車が通っている駅まで行き
やっと着いたその駅でも人が溢れかえりホームに入るまでも何時間もかかった。
電車から見た街は電車が通っているだけあって、被害はマシに見えた。
目的の駅に着いて驚いた。
パチンコ屋さんや喫茶店が普通に開いていた。
私達、水も出なかったのに。。
電車で30分位の場所ではいつもと変わらない日常が繰り広げられていた。
随分温度差があった。
そこから3ヶ月お世話になった。
お義母さんの言動にも
だんだんと温度差を感じる事になった。